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27.ありがとう、大好き

魔女となりこの世に留まる事千年と幾数年。(内魔界滞在歴三百年)

人とは違った時間の流れの中を生きる我々にとって、決して避ける事が出来ない事象が今回も訪れようとしている。


邸の中、日当たりのいい部屋を与えてそこで生活をさせていた彼がここ数日眠ったまま。私の見立てでは今日にでも神の御許に向かうだろう。


ベッドに眠るその男の髪は若い頃とは違い、白ばかりで少し薄くなっている。恐る恐る撫でてみれば元から柔らかい髪質だったのかとても柔らかい、というよりも弱々しい。顔には彼が生きた年月の証である深い皺が刻まれている。それですら愛おしい。髪を撫でていた手を頬に移すと自分の手が目に入る。時が止まったまま、十六歳のままの自分の手と、生物として正しく時間が経過した老いた彼。


(……)


眠りについたままの彼が目を覚ます事は無い。苦しみがないのは彼にとっても私にとっても幸いな事だ。だけど、どうしようもなく寂しい。


ジェラルド・シミオン・レアードの記憶が蘇ってからは侯爵家嫡男という立場も何もかも捨て、わが領域に乗り込んで来たジェラルド・ウィルモット。貴族であったなら決してやる事などなかったであろう料理や掃除、庭の手入れなど様々な仕事を片っ端から熟してきた。最初の頃は失敗の方が多く、まるでこの世の終わりの様な顔をして謝罪の言葉を口にしていたが、数年もすれば一流の使用人として邸の管理を任せられるように成長した。何でも一生懸命に働く姿は好ましく思ったが、もう少し肩の力を抜けばいいのにと思いもした。


休めと言っても傍にいたいと離れようとせず、実家にも帰ろうとしなかった。脅していないのだから帰れ、せめて一年に一回くらいは顔を見せてやれ、と何度も言い争いもした。それ以外にもたくさん、たくさん、言い争った。最終的に丸め込まれるのは私の方で、何度悔しい思いをしたことか。



「……眠れ、眠れ。苦しむことなく、辛い思いをすることなく、幸福な夢を見続けよ。……逝くまで、傍にいてあげる」



額に己のそれを押し当て、手を握ってやる。声は聞こえているだろうか、聞こえていてもいなくても私はここにいるよ。安心して逝くといい。お前の魂は決して迷わず天に向かうよう、天の門の前までは送ってやる。その先に私は行く事は出来ないけど頼りになる人がそこにはいるから、そこから先はその人がいいようにしてくれるはずだ。



「……あなたにっ、出会えてよかった……! クレア・シャーウッドも、クレア・ヘインズも、君というかけがえのない人間に出会えた事をとても嬉しく思っている。……心の底から、愛していたよ。生まれてきてくれて、ありがとう」



―――ふーっと深い吐息の後、彼の呼吸は完全に停止した。心臓ももう拍動していない。握っていた手が徐々に冷たくなっていくのを感じながら私はただただ彼の残った体温に縋った。もう二度と起き上がる事のない、弱った細い体を掻き抱いて嗚咽を懸命に耐える。今日だけ、今だけ。今だけで我慢するから、どうか許してほしい。かつて愛した男の、愛してやまないこの男に身を委ねるのは今だけで十分だから。どうか許して。


……穢れた私が貴方に触れる事を。





*****





死んだら生物の肉体は朽ちていく。今の今まで人であった者は死を迎えた瞬間、モノとなる。土に還る為肉体は腐り異臭を放ち崩れていくのも自然の摂理だ。死んだ後は腐っていくだけ。ここにある体は死んで間もないが、既に血の循環は止まり内側からは腐敗が進行している。


気持ちが落ち着いた後はいたって冷静。いつまでも落ち込んではいられない。



「待たせたね。……さぁ、行こう」



葬儀は簡素に、この領域内で執り行う。遺体は彼の願いもあって荼毘に付した後、庭の一角に埋葬する。実家の侯爵家の墓を一応提案してはみたが「ここに置いていただきたい。私の居場所は貴女様のお傍ですから」と言われてしまってはそれ以上は何も言えなかった。惚れた弱みってのは、どうしようもない。


手の内にある光るガラス玉の様なものは彼の魂だ。今から天の国の門前まで彼を送り届けに行く。……最後のデートだ。



「……行くの?」

「あぁ。行ってくる」



二人だけの時間を堪能させてくれたエリスは出発前に顔を出して来た。



「オルタナがわざわざ行かなくてもこいつの魂はちゃんと天に向かうのに」



面白くなさそうな顔をするエリスに対し、思わず吹き出してしまう。そんな顔をしていたって少しは『寂しい』って感情、解ったんじゃないの?


友でありライバルであり先輩であり後輩でもあった異種族の仲間。長命種である悪魔族と短命種である人間の、人から見れば長く、悪魔から見れば短い時間を過ごした二人の間には確かに何か絆の様なものが結ばれていた。

そんな彼が旅立った事、少なからずエリスの心が乱れている。こんな事初めてだ。



「……人間って、弱いな」

「弱いよ。とっても。……だけど強い」

「……寿命も短い上に弱い人間なんかに何故悪魔が惹かれるのかわからなかったが……アイツや君を見てたらわかった気がする」



そういって手のひらの魂に最後の別れをするエリス。悪魔の加護って天界で嫌われないか? って疑問はあるが彼なりの手向けだしどうやらそう悪くない加護のようだ。これなら盛大に歪めて苦い顔をするくらいで済むだろう。


……ものはついでだ、私からも加護を与えよう。



「悪魔と魔女の加護か。ククッ、天界の連中も扱いに困るだろうな」



悪い顔で嗤うエリスはやっぱり悪魔で間違いない。

―――さて、そろそろ行こうか。ここにいても魂の力を失うだけだ。



「オルタナ」

「ん? どうした」

「……」

「エリス?」



何か言いたげな癖に一向に口を開かない。視線を向けられるが目が合わないのは口にするのを躊躇っている時の癖だ。ふむ、間違っていたら恥ずかしいが気にしているのか?



「すぐ戻る。心配しなくてもいい」

「……」

「私の居場所はここだよ。それはこれから先もずっと変わらない」

「……」

「ジェラルドとの約束もある。ちゃんと肉体も彼の望み通りにしてあげたいから。……その時は、お前もいてくれるでしょう?」

「ああ、いるよ。……だから」





*****





(馬鹿なエリス。私の居場所はそこだって言ってるのに)



空へ。そして(そら)へ。

魂の向かう場所、死した生物全ての終着地点。そこが『冥界』。この冥界から更に生前の行いによって行き先が決定する。所謂、『天国』と『地獄』に別れるのだ。


私がついて行けるのはここ、冥界の門前まで。この先はきっとあの人が待っていくれている。



『……これより先の立ち入りは禁じられている。魂だけをこちらに』

「わかっている。……丁重に、頼みます」

『承知した。……あちらに』

「……」



門番にジェラルドの魂を引き渡す。私に対しては厳しい顔つきだが引き渡した魂を丁寧に扱う様からして、やはり私という存在はここでは受け入れられないのだろう。丁重に魂を受け取った門番が示したその先には懐かしい姿があった。


神官服に似たゆったりとしつつ神聖な装いをした者の性別は男。白に近い銀髪と菫色の瞳。その懐かしさに自然と涙が零れ落ちる。



『クレア。……私の妹』

「……お兄様」



ジェローム・シャーウッド。クレア・シャーウッドの三歳年上の兄で両親と一緒にクレアの無実を訴え続けた末に拷問を受け、処刑されたクレアのよき理解者だった男。

その男が魔女となったクレアの前にいる。魂の姿ではなく、もっと別の存在へと姿を変えて。



「改めて謝罪申し上げます。私の決断が遅かった所為で、お兄様やお父様たちまで」

『クレア、それはもういいんだ。あれは、あぁなる運命だった。だからお前がいつまでも悔やむ必要はないんだよ』

「それでも、私は……!」

『それよりすまない。お前の魂を受け入れる事が出来ないなんて、私はなんて役立たずなんだ! もう十分苦しんだというのに、上はまだお前を『受け入れない』と!! こちらがどうにかすべき事なのにっ……!』



私の魂は一度ここに来ている。魔界から現世に『転生』する際にここに来ていたのだが、そこで知ったのが私の魂は悪魔寄りに傾いており、この冥界では管轄外だという事。基本的に魔界由来の生物の魂は人間界で命を落としたとしても魔界に戻り、力が戻るまでは彷徨い、そして復活する。『死』という概念がないのが当たり前であり、常識。彼らにとっての死は人間の死とは違い魂の消滅を意味する。


私が魔界に行く事になったのは先代魔王に眠りの兆候が見られた為、新たに魔王を決める事になったからなのだが、その魔王も眠るだけで死ぬ訳ではない。記憶も経験もそのまま深い眠りにつくだけでいつの日にか目覚める。その時間がとても長いので新たな魔王を決める為に魔界に向かったのだ。


話は飛んだが私の魂はこの冥界では扱えないというのが結論らしい。お兄様は何度も掛け合って下さったみたいだけど、慣例を覆すのを嫌がるのは官僚にありがちな事。どこの世界も同じような仕組みのようだ。



「いいえ、お兄様。この世に留まり続ける事こそが私への罰であると、そう理解しておりますわ。ですから……私を待つ必要などありませんのよ」



お兄様。処刑されたお兄様。高潔なお兄様。貴方の妹に生まれた事は私の自慢です。



『お前も生まれ変わる筈だった。……なのにっ』

「私は後悔しておりません。……エリスの手を取った事も、魔女となったことも」

『だがっ……!』

「……たくさん、話しました」

『!』



神の御使いとなったお兄様。天使として生まれ変わった後、ずっと私をここから見守って下さっていたのでしょう? 私はあの頃のクレアとはもう違うのですよ。部屋で声を押し殺して泣いていたあの頃とはね。



「たくさん話したんです。言いたかった事も訊きたかった事も少しの疑問も残す事なく、たくさん。思い残しがないように」

『……』

「お兄様、私は罪人です。しかもとんでもない過ちを犯した大罪人。そんな大罪人の私ですが……この数十年はとても心穏やかに過ごすことが出来ました。とても、幸せでした」

『クレア……』



そんな顔をしないで下さいませ。私は不幸ではありませんのよ。



「私はオルタナです。クレアの人生はあの日に終わり、後悔と怨念に支配されていましたがそれももう、解消されました。だからジェローム天使長様」

『……』

「貴方様ももう、解放されていいのですよ。……私の中のクレア・シャーウッドは貴方の幸せを願っています。クレアに囚われず生きてほしい。それがクレアの望みであり、願いです」

『……』



泣きそうな、でも少し怒ったような顔をするジェロームお兄様はフゥーッと大きく息を吐くと天を見上げる。目じりに涙が滲んでいるのは見ない振りをしておこう。



『……辛くなったらいつでもおいで。ここまでなら、誰にも文句を言わせない』

「はい。ありがとうございます」

『ジェラルドの魂は私がしっかり管理するよ。……何も心配する事は無い』

「はいっ」

『……いつも見てる。オルタナとなろうと魔女であろうと……お前は私の大切な妹だよ。愛してる。私の大切な妹よ』

「……っ、わ、私も……! 私も、愛していますっ」



天使となったお兄様に私が触れる事は出来ない。聖属性であるお兄様に私が触れると魔属性の私は浄化の力でダメージを負ってしまう。私だけがダメージを負うならいいがお兄様は天使長となったのだ。もう気軽に触れる事など出来ない存在であるし、何より私が触れる事でお兄様が穢れてしまうかもしれない。天界での考えがどうなのかは知らないけど、魔女となったのが人間だった頃の妹であるという事は天界での立場に苦労したと思うのだ。それなのに一度も文句を言うことなく、ずっと見守ってくれていたお兄様。



「ずっとずっとずっと! 大好きです!!」


明日で最終回。

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