21.話し合い
「だーからっ! そんな男は忘れて僕のモノになっちゃえばいいのに」
「!!」
男は気配もなく現れた。夜がよく似合う美しいその男は私を背後から抱きしめ頬を寄せる。涙で濡れた私の頬にエリスのシミ一つない肌が触れ、それを拭う様に口づけてきた。
「こんな男の為に何故泣くの……? オルタナが泣く必要は無いのに」
「エリス……」
「僕は君の魂に惚れた。だから欲した。だから君に力を与えて復讐に手を貸した。復讐を遂げた今、君は僕のモノ。そうでしょう? なのにどうして僕を想ってではなくこの男の為に君が涙を流すんだ」
ぎゅうっと抱きしめるエリスの言葉は穏やかで決して責めているようには聞こえないが、本心は心穏やかでない事は明らか。私が復讐の為に自分の魂と肉体を差し出したおかげで復讐対象でもあったエリスを取り込んだ際に、エリスの感情が何となくわかるようになっていたのだ。
今はとても不快な気持ちを私の前で、私の領域だからと押し殺している。
ここが私の領域でなければ、私がここにいなければ……元婚約者殿は殺されていただろう。
自分のモノに手を出される事を極端に嫌うエリスが私が嫌がると解っているから手を出さずにいる。その事にほのかな歓びを感じ、そして自己嫌悪。幸せになってはいけないと言い聞かせていたのに実際は言い聞かせたつもりでしかなかった。
ずっと……エリスは共に居てくれたんだから。
「ごめん。感謝してるよ……ありがとう」
「むぅっ、ずるいなぁオルタナは!」
最後に自分からエリスの頬に自分のそれを摺り寄せた。この行動にエリスは目を見開いて驚いたが、元婚約者殿の前という事もありわざと余裕の笑みを浮かべた。
「元婚約者殿。私がこの領域を出る事は無い。今はそちらの世界に手を出そうとも思っていない。手を出そうものなら反撃、報復は行うが」
「クレア……」
「言ったろう? クレア・シャーウッドはもう千年前に死んでいる。そして……それは君もだ」
「、だがっ私は!」
そう言いかけて口籠ってしまった元婚約者殿。拳を固く握り、白くなっている。
「言いたいことは言い合おう。折角の機会を作ってくれたヨアキムの好意、無駄にしたら怒られてしまう」
視界の片隅に見え隠れするヨアキムとぺテリウスは、エリスが乱入した時からこちらをちらちらと心配そうに窺っていた。ああは言っていたがあの子はあの子でやはり気になっていたのか、顔には心配と書いてある。
そんなに心配しなくても大丈夫だよ。
「君と私の人生が交わる事はない。ヘインズ伯爵家はお取り潰しとなり婚約解消となった今、お前の婚約者の席は空席となった。侯爵家嫡男のお前は後継ぎを残さなければならない。……私の婚約者だった事で畏れる令嬢は多いだろうが、お前相手ならそれでも嫁ぎたいという令嬢も多いだろう。早急に新たな婚約者を探すといい」
嫌がる令嬢は大半だろうが、それでも嫁ぎたい! という令嬢もそれなりの数はいる筈だ。何なら恋人としていい関係を築き本妻の座は別の人でもいいわ、と割り切った関係を求める女性だって多いだろう。その中から適当に見繕い、子を成した後は離婚するも婚姻継続も好きにしたらいい事だ。私にはもう、関わりの無い事だから。
「……家は継ぎません。従兄弟に譲りましたから。だから無理に結婚する事も子を成す事も必要ありませんっ! だから……だから、クレア!! 私とっ」
「もう終わったのですよ。千年前に、そしてつい最近にね。……もういい加減私の事などお忘れください。忘れて……あなた自身の幸せを探してください」
「私の幸せにはあなたが必要なんです!!」
そう大きな声で言った元婚約者殿のそれは悲鳴のようだ。
「魅了された私が悪かったっ! 君がいながら私の心はあの女に奪われ、君や家族を追いやった責任は全て私にある! 悪いのは私だ、全て私の所為だ……だからっ」
エリスに抱きつかれたまま元婚約者殿は私の足元に跪き右手をとったかと思うと手のひらに口づけを落とした。
「私を許してほしいなど言いません、結婚したいとも言いません。だからどうかっどうか!!」
手のひらへのキスの意味は『懇願』
あなたは私に何を望むの?
「私が死ぬその瞬間まで、どうかお傍に置いてください! 私の残りの人生すべてを掛けたとしても、あなたが苦しみ続けた年月には到底及ばないのは重々承知しておりますが、どうか私をおいて下さい……!」
私とエリスは千年の時を共に過ごして来た。年月だけで言えば元婚約者殿と比べようもない時間を彼と過ごして来たのだ。永い時間で私の心はゆっくりと溶け出しエリスとは親愛以上の情、恋人や夫以上の絆が結ばれている。
……そんな男が隣にいるのに元婚約者殿を傍に置く?
「君は、それがどういう意味か分かっている?」
「はいっ。それが私に出来る唯一の罪滅ぼしだと……」
「……君は私に〝あの女と同じ事をさせてあの時の私の気持ちを体験する〟事を罰だとそういうのか。この私にっ! あの女と同じ事をさせようというのか!!」
「っ!」
「ふざけないで!!」
ティーカップを手を払いのけ椅子から立ち上がる。それと同時に椅子は大きく音を立て転がった。そしてエリスは怒りを露わにする私に寄り添い肩を抱きそれを見た元婚約者殿の顔が強張る。
フーッフーッ! と怒りで興奮した私は知らずに呼吸が荒くなり目の前の男を睨み付けた。
「アレと同列にするつもり!? 私とアレが! あんなのと同じ位置まで下れと、そういうのかっ!!」
「それはっ……ですが、私に出来る事など……」
「お前に何も求めていない!! 謝罪も償いも、私は何一つ求めていない!!」
勝手だよ、本当に勝手だ!
復讐を遂げた今、私がいつ謝罪を求めた、償いを求めた!
私が求めたのは、唯一求めたものは……!
「あなたの『幸せ』よ……! それを求めたのに、どうして償いになんてなるのよ……!」
「クレ、ア」
涙腺が緩い。もうヤダ、泣いたのなんか千年前が最後だった筈なのに最近緩みっぱなしだ。
「幸せになって……! もうあなたはあの時のあなたじゃない! レナード王国王太子ジェラルド・シミオン・レナードはとっくの昔に死んだ、私が殺した!! あなたはもう、ジェラルド・ウィルモットなの……! ジェラルド・ウィルモットの人生を歩んでよっ……」
どうして思い出してしまったのっ……! どうして自分から前世に囚われようとするの……! どうして今の人生を生きようとしないのよ!
「生きて、辛いも苦しいも楽しいも嬉しいもたくさん経験してよ……! 人間として生きて、たくさんの人達と出会って別れて結ばれて……。血を繋げて、生きた証を残して……。平凡でも何でもいいっ! あなたの人生を生きて……! お願い……」
前世に囚われないで。前世は前世、あなたはあなたなの。あなたはジェラルドじゃない、ジェラルド・ウィルモット。王太子の側近で将来有望な侯爵家の嫡男で未来ある若者。そんなあなたがどうして千年前の出来事に囚われる必要があるっていうの。
「……それは違います」
「なにをっ」
「私は私の意志でここにいます。そして私の人生を今もしっかりと生きている。決してレナード王太子のジェラルドが人生をやり直そうとしているのではありません。罪滅ぼしというのも、事実は私が楽になりたいだけの自己満足。そしてそれを口実に貴女の傍にいる為にそう口にしただけの事」
「……そんなの」
「信じられなくてもそれが私の事実です。そして私はクレアを愛している」
「……嘘よ」
何をいうかと思えば『愛している』ですって?
あんなに何も言わず黙ってばかりで返事も真面に返してくれた事もなかったのに。
「あなたが記憶の中のクレアだと会った瞬間わかった。だけど私は大きな過ちを犯した。そんな私があなたと共に居るべきではないんだと……そう思っていたんです。でもだからといってこのままでは他の男に取られるんじゃないか、私の手の届かないところに行ってしまうんじゃないかと思うと、いてもたってもいられなくなって父に頼んで婚約を結びました」
ほら、やっぱり。十分囚われているじゃない。
「初めはそうでした。でも、あなたと会うたびにクレアと違う事に気づいていきました。好きな花、好きな紅茶の香り、家族との接し方、将来の展望。……婚約をアビゲイルに変更して将来はヘインズ伯爵家から除籍した上で一人生きて行こうとしていたのも知っていたよ」
「……」
「そうして気づいたんだ。ここにいるのはクレア・ヘインズでクレア・シャーウッドじゃない。彼女はもう、どこにもいないんだって……」
哀し気に目を伏せる元婚約者殿。私はその姿を黙って見つめる。
「クレアであってクレアでない。そんな事はわかっていた筈なのに、私はその事に気づくまで幻想に囚われていた。あなたもきっと、私を想ってくれていると。だからきっと……思い出してくれる、きっとまた愛してくれる、きっと今度こそは……結婚できるんだって」
叶わなかった夢。クレアも夢見た愛しい人との結婚。
二度と戻らない幸せだった日々に涙がこぼれる。
「思い上がっていた。実際の君は私から離れようとしていた事に気づいて思い知らされたよ。魂は同じでも、全く別の人間なんだって。……当たり前だ。私とクレアはほとんど交流なんてしていないも同然で君の前では上手くしゃべる事が出来なかったから」
交流は月に一度のヘインズ家でのお茶会のみ。それも妹が現れると退席してお開きとなり、時間にして十分程度。短い時では五分と経っていなかった。
「毎回アビゲイルが現れて去っていく君を引き留める事が出来なかった。もっと一緒にいたいのに、もっと心を交わしたかったのに、君の諦めた顔を見ると出来なかった……。私が好かれていない事はわかっていたし上手く躱す事も出来ない私に、君を留める資格はなかった」
まるで自分こそが婚約者と言わんばかりにやって来ては楽しそうに振る舞うアビゲイル。それを咎めない元婚約者殿。何も言わず、咎めなかった私。
諦めたのは私だ。
何処かでわかっていたんだ、『この人はダメ』だって。
「好きになっても、きっと叶わない……! 私じゃあなたを幸せになんか出来ないものっ! 私は、私はあなたの大切なものを奪った。家族も地位も国も名誉も……! あなただけじゃない、何万、何十万の命を理不尽に無慈悲に奪ったのよ! この両手はもうっ……あなたに触れられない、血まみれなのっ……」
汚れてしまうもの。綺麗なあなたを汚れた私が触れてしまったら、きっと汚れてしまうわ。血がこびりついてどんなに洗っても消えないのよ。どんなに洗っても臭いがとれないの。どんなに洗ってももう、肌に染みついてしまっているの。
そんな私があなたに触れるなど出来ないわ。あなたにはずっと綺麗でいてもらいたいの。汚泥の底に沈んで二度と陽の光を浴びる事が出来ない私ではあなたを幸せに出来ないし、私のように沈んでほしくない。
「それでも私はあなたを愛している」
「嘘。そんなものは嘘。すべて幻想。夢を見過ぎだわ」
「それでもいい。夢でも幻想でもいい。あなたを、あなただけを愛している」
「やめて、私でなくてもいい筈よ」
「君でないとダメなんだ!!」
グイッ! と引き寄せられ彼の腕の中に囚われた。千年振りの彼の腕の中は不思議とあの時と変わらないように感じた。
「ジェラルド・ウィルモットはクレア・ヘインズを愛している。恵まれない境遇でも自分で人生を切り開こうとする君が眩しかった。泣き言も言わずどんなに馬鹿にされても黙って努力する君が、いつしか何よりも愛しい存在になっていた。この気持ちは嘘なんかじゃない……!」
離して、と言えなかった。懐かしさと愛しさでいっぱいになって、ダメなのにもう少しだけこの腕の中にいたいとそう思ってしまった。
「愛してる、クレア」
―――わたしは……




