1-7 『就職』
「……はぁい、お疲れ様ぁ」
二時間ほどで、剣の修行は終わった。
といっても、やったことは瞑想だけだった。
そこまでして何の意味があるのかは分からなかったけれど、何か意味があるのだろう。
たまには自分で考えてみるのもいいかもしれない。
だから、僕は二時間の瞑想の理由を訊くことはしなかった。
ただ、瞑想をすることで、身体が軽くなったように感じたのだ。
今まで頭の中にあったごちゃごちゃした感情が、全て洗い流されたような感覚……うん。悪くない。
毎朝起きて瞑想をするのもいいかもしれない。
もしかすると、頭の中にある様々な邪念を取り払うことが目的なのかもしれない。
師匠なら、「頭の中でいろいろ考えているとぉ、身体がぁうごかなぁくなるのぉ」とか言いそうだし。
あれだけ食べてからすぐにはさすがに動けなかったので、瞑想だけだったのはよかった。
あの状態で剣を使ってなにやらしても、僕は絶対にまともに動けない。
平気なのは師匠だけだと思います!
とはいっても、やっぱり剣は使いたかったなぁ……でも、今日はそんなことは言っていられなかったんだ。
この後、僕はアルバイト先へと向かうんだ。だから今日は二時間だけで、明日からはさらに時間が増えるらしい。師匠がやる気を出してくれればの話だけど。
で、瞑想を終えた僕は、「ちょぉっとお風呂入ってぇ来るからぁねぇ」と言ってバスルームへ直行した師匠を待つ短い間で、部屋を片付けた。
思ったより早くお風呂からあがってきた師匠は部屋を眺めて、おぉと感心の声を上げると「ここでぇ清掃員としてぇ、働いてみるぅ?」と言ってきた。いや、その前にちゃんと片付けてください。
僕は苦笑して「やりませんよ」と返した。
たいして本気でそう思っていたわけでもなかった師匠は、すでに話を聞いていなかった。自由すぎるよ、この人。
再び鎧を着こんだ師匠と共に、僕はこの巨大な塔を出て行った。
外から見上げると、やはり雲の上まで伸びているようだった。さっきまで自分がそこにいたのが、とんでもないようなことに思えた。
慣れた足取りで雑踏を歩き始めた師匠に置いて行かれないように、僕は必死で足を動かした。人ごみはやっぱり苦手だ。
「こぉれからおくところねぇ」
ふいに、師匠が語り始めた。
「人に知られてぇないからねぇ、あまりぃ、人に話さないほうがぁいいわよぉ」
「人に知られてない……って、やっぱり怪しいんですけど」
「だぁいじょうぶ! 心配しなぁくても、怪しくはぁないからねぇ……わぁたしにとってはぁ」
「心配要素しか見つからないんですけどっ!?」
決してこの人を信頼していないわけじゃない。
でも、彼女を基準に考えると、全てがダメになってしまうような気がする!
だから人に知られていないし、人に近づいてもらえないんだろう。師匠お墨付きの場所なら確実。
僕はそんなところで働くの?
そんな怪しげな店で働いて大丈夫なの!?
「だぁいじょうぶ、だいじょぉうぶ。それにぃ、タグなら合ってると思うんだぁ」
「合ってる?」
それは掃除のことですか?
だけど、師匠は口に人さし指をあてて話そうとしなかった。
「今はぁ秘密ぅ。実際にぃ、見てみないと分からぁないからねぇ。タグが嫌ならぁ、また別の仕事探せばいいだけだぁし。でぇも、この街、あまり仕事ないからねぇ……よそ者は受け入れてぇくれないかもしれないよぉ?」
「確かに、この街は過密してますよね」
人が多い。まあ僕の村に比べたらどこもそう変わらないと思うけど、多いには多い。
その全員が仕事を持っているなら、よそ者に任せられる仕事は限られてくるし、その数も少ないだろう。
師匠に渡された求人誌にはいろいろと仕事があったけど、どれも低賃金なわりには労働時間が長かった。あの求人誌がブラック企業で埋められているのではないかと思うくらいだ。
まあ、本当にブラック企業だけだったとすれば、これから行くところも同じようにブラックに違いない。
どうなっちゃうんだ、僕は……。
先行きを心配している僕だったけど、いつの間にかバイト先に着いていたらしい。
師匠は一軒の古小屋の前で立ち止まると、僕のほうを向いて薄く微笑んだ。
「ここよぉ。この街にいる間ぁ、タグが働く場所はぁ」
「こ、ここって……ただの小屋じゃ……」
「人の家をただの小屋呼ばわりたぁ、どういうことだコラ」
その時、小屋の扉が開かれ、男が出てきた。
白いスーツを着た、長身痩躯の男だ。藍色の髪は肩まで伸び、紅色の瞳はオオカミのように鋭い。丸眼鏡をしているので、威圧するような雰囲気も少しは和らぐけど、たばこを咥えているので、どこかのギャングの人間に見られてもおかしくないような気がする。
「パズリィ、何だこのガキは? まさか、俺のとこで働かさせる気か?」
男は咥えていたたばこを指の間で挟んで僕を指した。
ひ、人違いと言うか、場所違いじゃないかな?
僕がこんなやばそうな人と一緒に働けるわけ――
「うん。この子ぉ、最近この街に来たばぁかりの旅人さんだからぁ、働かさせてぇあげてぇね」
無理です。
「そうか。分かった」
いや、あなたも納得しないで!?
人は第一印象が見た目とは言うけど、うん。僕はこの人を好きには慣れそうにない。
だって怖いんだもの!
知らずの内に犯罪に巻き込まれそうで!
しかし、僕は何も言えず、ただただ師匠とその男が話しているのを聞くことしかできなかった。ここで口を挟んだら、僕はどちらかに殺られるかもだしね!
「俺はエーレンティカ。ほら、お前も名乗れ」
「ぼ、僕はタグ←アルヴァイス……です」
「タグ、か……よし、分かった。中に入れ」
僕はエーレンティカさんに案内されるまま、古小屋の中に入った。
さっきまで師匠の高級マンション (?)にいたのに、天と地の差だ。
ボロボロになった小屋が、足を踏むたびにギシギシ悲鳴を上げている。いつ床が抜けてもおかしくないだろう。小屋の中が散らかっているので、誰も、ここに人が住んでいるとは思えないだろう。
もはや物置だ。
しかし、エーレンティカはここに住んでいて、さらに仕事をしているらしい。こんなところでこれだけ散らかっているのに、よく仕事なんてできるね。
さっき師匠が言っていた「タグに合っている」というのは、やっぱりこの部屋を片付けろってことなのかな?
でも、確かに気になるから、空いた時間があれば片付けるけどね。
……実は僕はきれい好きなのかな?
妹がだらしないせいで、僕はいつの間にかきれい好きになったのかもしれない。
それが就職口に繋がったなら、死んだ妹に感謝しないと。でも、もういないから、やっぱり神を殺して恩を返そう。
僕は小さくそう決心すると、立ち止まった。前を歩いていたエーレンティカさんが立ち止まったからだ。
彼の向こうには、椅子を壁に向けて大きな机があった。席は一つだけなので、社長椅子ということになるのかな? でも肝心の机がこれまたボロボロ……。
そして、その周りには本がうずたかく積み上げられていた。見た目はあれだけど、本を読むのが趣味なのかもしれない。
危ない本をたくさん読んでいる可能性大。
勝手な予想をしている僕に、エーレンティカさんは机の引き出しから一枚の紙とペンを取り出した。僕にそれを渡すと、エーレンティカさんは椅子に座って足を机の上に投げ出した。その手にはいつの間にか赤い装飾が施された本が開かれていた。
「あ、あの……エーレンティカさん?」
「……」
無視。
でも、本を読むのを邪魔するわけにはいかない。
邪魔した瞬間、僕の頭と胴体がばいばいきーんする可能性がある。怖いね、この人。
いや、怖いのは僕の想像力だ。
仕方なく、僕は渡された紙を見た。
薄っぺらい紙はボロボロで、少し黄ばんでいた。




