第二十二話 もう一つの真相
不自然だ、と思うことは今までもあった。
密室殺人の概念がないこの世界で、なぜ密室殺人が起きたのか。
アリバイの偽装という発想がないこの世界で、なぜ複雑なアリバイトリックが作られたのか。
そして、なぜ今回のような身代金目的に見せかけた誘拐事件が突然起きたのか。
……なぜその全てが『黒薔薇騎士団』によって引き起こされたのか。
仁は目の前の「ジェームズ・モリアーティ」と名乗った男を睨みつけながら、右手でアリシアを自分の傍に引き寄せた。
アリシアは仁の突然の変化に慌てていたが、仁にそれを気にする余裕はなかった。
「随分と安直なネーミングだな」
「でもぴったりの名前だと思いませんか? 私はそう思っていますよ」
その答えに仁はシャーロック・ホームズの宿敵、モリアーティ教授のことを思い出す。
犯罪組織の総領として、自らは手を下さずに手下に計画を授けて犯罪を行なわせる。そして自分に嫌疑が及ぶことは決してない。
「他人にやらせて自分は黒幕気取り、という意味ならそうかもな」
仁に寄り添うアリシアの身体が強張った。なぜ仁が目の前の男に警戒しているのか、おぼろげながら理解したのだ。
「で、あんたの本名はなんなんだ?」
怒気を込めた仁の声にも眼前の男は笑みを崩さない。
「そんなもの、必要ないでしょう? あなたは小説を読む時に、登場人物の名前がなぜそういう名前になったのか気にしますか? 私はジェームズ・モリアーティ。それでいいじゃないですか」
「こっちは良くないな。あんたと違って現実と小説はきっちり分ける人間なんだ」
からかうような声に、強い調子で言い返す。
その時、隣で小さなうめき声が上がった。
「ジンさん……」
アリシアが顔をしかめてそう呟く。無意識の内に彼女の腕を強く握り締めていたことに気付いた仁は、彼女を解放した。
解放されたアリシアは、不気味な物を見るかのように男に視線を向けながらも、「氷弾」を展開できる態勢を取る。
「これだけ多くの人がいるんです。騒ぐのは止めましょう」
二人を見て、モリアーティは軽く両手を挙げてそう言った。
その言葉と仕草に、ようやく落ち着きを取り戻した仁が問いかける。
「なんでわざわざ俺に話しかけてきた。なんのメリットもないだろう」
その言葉に、彼は笑みを消し、無表情で逆に仁に向かって問いかけた。
「君はこの世界がつまらないと思いませんか?」
意味が分からず戸惑う仁をよそに、モリアーティは話し続ける。
「私はつまらないと思いましたよ。心が踊るような不可思議な謎がない、謎を巡って皆が疑心暗鬼に陥ることもない、驚嘆するような鮮やかな解決もない。新しい発想も無く、何の工夫も無く、ありきたりな犯罪しかない世界」
そこまで朗々と語り続けてきたモリアーティは、そこで口を閉じた。
そのまま一歩、二歩、仁とアリシアに向かって歩み寄る。
仁は唾を飲み込んだ。先ほどまでアリシアと杯を交わしていた口の中はカラカラに乾いていた。隣にいるアリシアも、気圧されたように一言も発せずにいた。
そんな二人に大事な内緒話でもするように、モリアーティは小声でそっと囁いた。
「だから私は作りたかった。不可思議な謎を、それが生み出す混乱を。そして私は欲しかった。その謎の鮮やかな解決を」
アリシアは思わず仁の腕を掴んだ。目の前の男が魔法使いでないことは分かったが、それでも彼女は、この男がどんな魔法使いよりも恐ろしかった。
仁は再びアリシアを引き寄せる。そんな二人を見て。モリアーティは楽しそうに笑った。
「名探偵とワトスンの仲は良好なようでなによりです……そうそう、私があなたに話かけた理由でしたね。今日はお礼を言おうと思いまして」
「お礼?」
「先ほど言ったでしょう? 私は鮮やかな解決が欲しかったと。謎と混乱を生み出せても、解決ばかりは生み出せません。自分が生んだ謎を自分で解いても、緊張感もなければ面白味もない」
そう言ってモリアーティは笑った。心の底から嬉しそうに。
「だから、事件を解決に導いたあなたにお礼を言いにきたんです。これこそが謎解きの緊張感であり醍醐味である。そう思いませんか?」
「……狂ってやがる」
モリアーティの問いかけに、仁は吐き捨てるように答えた。
その言葉に男は拗ねた様子を見せる。
「狂ってるとは酷い言い様です。今回の事件だって、ちゃんとデキン男爵が共犯者だとジョセフ・クライブが知っていたから、彼を逮捕できたでしょう? もちろん、共犯者の名前を知らなくても蓄音機の受け渡しはできます。でも、それだとジョセフ・クライブが捕まっても共犯者は誰だか分からない」
その言葉に二人は絶句する。ややあって、仁は絞り出すように言葉を紡ぐ。
「お前が教えたのか、お互いのことを。教えなくてもいいことを。解決した者への……俺へのプレゼントのつもりか」
「せっかく事件のカラクリを解いて犯人も捕まえたのに、もう一人の犯人だけが分からないまま事件が終わってしまう。そんなミステリー、私ならごめんです。あなたもそう思いませんか?」
現実の事件を小説のように話すモリアーティに、仁は歯を噛み締める。
カッとして怒鳴り返そうと思ったところで、仁は不意に腕を引っ張られた。
振り返ると、そこには不安と恐怖に引きつった顔をしたアリシアがいた。
これまで自分を何度となく護ってくれた強力な魔法使いである彼女だが、その彼女が今、目の前の男に恐怖して震えている。
いつも彼女に助けられてきた。今度は自分が彼女を助ける番だ。
そう考えて仁はアリシアの手を握る。熱くなっていた頭が冷えていくのが分かった。それと同時にあることに気がつく。
冷静になった仁は、再びモリアーティに向き直った。
「蓄音機の受け渡しをやったのはお前だな」
「そんなことはどうでもいいじゃありませんか。なぜ私がそんなことを」
「いや、お前がやった。黒幕を気取ってるが、お前は自分の計画した犯罪が暴かれるかどうかにスリルを求めていると言った。そんな奴が高みの見物だけで満足するわけがない。必ず自分の犯罪に関わりたがる。証拠はないが、これまでもお前は事件のどこかに直接関わってたはずだ」
仁の指摘にアリシアが息を飲み、眼前の男の動きが止まった。
彫像のように固まった三つの影の中で、最初に動き出したのはモリアーティだった。
「……あはははは、面白い。実に面白いですよ! あなたがこの世界に来てくれたことは、私にとっては正に天の配剤です。あなたの存在こそ、私が求めていた『鮮やかな解決』です!」
狂喜するモリアーティに、アリシアは仁の手を強く握りしめながらも「氷弾」を展開する。
一方で、仁はそんなモリアーティを冷たい目で見ながら彼を問い詰める。
「お前がやったと認めるんだな?」
その瞬間、男の笑いが止まった。仁を真正面から見つめ、挑発的な口調で答える。
「認めませんよ。あなた自身が証拠はないと言ったじゃありませんか。私はジェームズ・モリアーティ。あなたには特別な意味のある名前かもしれませんが、それだけで私を捕まえるつもりですか?」
その言葉に仁は渋い表情になる。彼の言う通り、今までのやりとりは言葉だけのものだ。それすら注意を払い、自分がやったとは一言も言っていない。
この男が自分たちに話しかけてきたのは、スリルを楽しむためだと仁は気付いていた。
しばし睨みあっていた二人だが、先に頭を下げたのはモリアーティだった。
「突然話しかけて失礼しました。今後ともよろしくお願いします。では、ごきげんよう」
男はそう言うと、薄い笑みを浮かべてテラスから立ち去った。
冷たい風が流れ、二人は小さく身震いした。
「ジンさん……あの男は、誰なんですか?」
アリシアが小声で仁に問いかける。
しばらく沈黙していた仁は、一度深呼吸すると、アリシアの方を見ずに口を開いた。
「あの男は……俺と同じ世界から転移してきた。そして俺と同じ推理小説のマニアだ。不可思議な犯罪や謎を追うのが好きな男だ」
そこで一度、彼は口を噤んだ。そして、胸の中を吐き出すように続けた。
「あの男が『黒薔薇騎士団』の犯罪を指揮している。あの男を捕まえない限り、『黒薔薇』を止めることはできない」
そう言って仁は、多くの人が集まる晩餐会の会場を見つめていた。まるでそうすれば彼を見つけ出すことができるかのように。
何も言うことができないまま、アリシアは黙って仁の横顔を見つめることしかできなかった。
参考文献
コナン・ドイル「最後の事件」[1893]
これにて四章は終了です。詳細は活動報告で。




