第7話 この地球は僕の知る過去ではない
『娘 さくら』
画面に表示された
その文字を
僕は何度も読み返した。
娘。
僕の娘だというのか。
隣に立つ少女は
不安そうに
僕を見上げていた。
「お兄ちゃん?」
僕は答えられなかった。
記憶の中に
娘はいない。
結婚した記憶もない。
赤ん坊を抱いた記憶も
まったくなかった。
「これは本当なのか」
僕は機械に尋ねた。
『家族記録は
第一観測者の
保存情報です』
「でも
僕には覚えがない」
『記憶が
封印されています』
「どうして?」
『その理由は
最終観測地点で
開示されます』
また同じ答えだった。
僕は拳を握った。
「さくらは
本当に僕の娘なのか」
機械は
少し間を置いた。
『同一の記憶記録に
登録されています』
「それじゃ
答えになってない」
僕が声を荒らげると
さくらが
服の裾を引いた。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「私のお父さんは
江戸にいるよ」
僕は動きを止めた。
「え?」
「お母さんも
おじいちゃんも
あの町にいた」
確かにそうだった。
老人は
自分の家族だと
話していた。
だが
機械の記録には
僕の娘とある。
「どういうことだ……」
そのとき
画面に
新しい文字が現れた。
『生物学的親子関係と
記憶上の家族関係は
一致しない場合があります』
僕はその意味を
考えた。
別の世界では
別の人生がある。
同じ人間でも
違う家族を持つ。
もし
さくらが別次元の
僕の娘だったら。
「この子は
別の世界の僕の娘?」
『可能性があります』
「可能性?」
『現在の記憶情報では
確定できません』
僕はため息をついた。
何も分からない。
それでも
一つだけ確かなことがある。
さくらは
今ここにいる。
僕を信じて
ついてきてくれた。
「分かった」
僕はしゃがんで
目線を合わせた。
「どんな関係でも
君を守るよ」
さくらは
小さく笑った。
「うん」
その笑顔を見て
僕は少しだけ
安心した。
だが
安心できたのは
ほんの一瞬だった。
地下施設の天井から
低い警告音が響いた。
『第二地点
閉鎖処理を開始』
『残留生命体を
元の世界へ返還します』
小さな恐竜が
僕たちの足元で
鳴いた。
その体が
青く光り始める。
さくらが
慌てて抱き上げた。
「待って!
この子は?」
『第二地点の生命体は
次の地点へ
移動できません』
さくらは
首を振った。
「いやだ!」
僕は機械を見た。
「元の世界に
戻るだけなんだな?」
『はい』
『生存可能な
分岐世界へ返還します』
僕はさくらに
うなずいた。
「大丈夫。
この子は
恐竜たちの世界で
生きていける」
さくらは
しばらく黙っていた。
そして
恐竜の頭を
優しくなでた。
「元気でね」
小さな恐竜は
一度だけ鳴いた。
次の瞬間
青い光に包まれて
消えていった。
さくらの目から
涙がこぼれた。
僕は
その肩に手を置いた。
「きっと
また会えるよ」
そう言ったものの
本当に会えるかは
分からなかった。
機械が
新しい画面を開いた。
そこには
無数の地球が
浮かんでいた。
「これは?」
『第二地点で
発生した分岐世界です』
一つの地球には
巨大隕石が
衝突していた。
別の地球では
恐竜が生き続けている。
さらに別の地球では
恐竜に似た生物が
都市を築いていた。
僕は目を疑った。
「恐竜が
文明を作ってる……」
『進化の結果は
世界ごとに異なります』
画面には
二本足で歩く
恐竜のような生物がいた。
石造りの建物。
広い道路。
空を飛ぶ乗り物。
まるで
人類とは違う文明だった。
「こんな未来も
あったのか」
『存在しています』
僕は画面に
手を伸ばした。
その瞬間
都市の中に
奇妙な建物が見えた。
七本の線が
刻まれた塔だった。
「またこの模様だ」
『観測施設です』
「この世界にも
観測者がいるのか」
『すべての分岐世界に
観測地点が存在します』
僕は背筋が
冷たくなるのを感じた。
恐竜が文明を作った世界。
人類が誕生しない世界。
氷に覆われた世界。
そのすべてが
誰かに見られている。
「観測して
何をするんだ」
機械は答えた。
『結果を記録します』
「それだけ?」
『結果に応じて
次の世界を生成します』
僕は画面を見つめた。
世界は
ただ存在するのではない。
次の世界を作るために
使われている。
「じゃあ
僕たちの地球も?」
『はい』
短い返事だった。
僕は息をのんだ。
『あなたの知る地球も
数ある分岐世界の
一つです』
僕は
言葉を失った。
前の旅で
現実の正体を
知ったつもりだった。
だが
その現実さえ
誰かの観測結果に
すぎなかったのか。
さくらが
僕の手を握った。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「じゃあ
本当の地球は
どこにあるの?」
僕は答えられなかった。
機械が
静かに言った。
『その問いが
今回の旅の目的です』
突然
施設全体が震えた。
床の中央に
巨大な円が現れる。
青い光が
渦を巻き始めた。
『第三観測地点への
移行を開始します』
僕はさくらを見た。
「一緒に来られる?」
『保護対象の同行を許可』
機械が答えた。
さくらは
僕の手を
強く握った。
「今度は
離れないでね」
「約束する」
僕たちは
青い円の中心へ進んだ。
足元が
ゆっくりと消えていく。
僕は目を閉じた。
また
あの眠気が
押し寄せてきた。
最後に聞こえたのは
機械の声だった。
『次の地点では
現在の生命構造を
維持できない
可能性があります』
僕は目を開けた。
「どういう意味だ!」
だが
答えを聞く前に
意識が途切れた。
*
目を覚ますと
僕は巨大な森の中にいた。
空気が
異様に濃かった。
息を吸うたび
胸が熱くなる。
周囲には
見たことのない植物が
生い茂っていた。
木々の高さは
三十メートルを超えている。
だが
鳥の声は聞こえない。
代わりに
低い羽音が
森全体に響いていた。
「ここは……」
僕は起き上がった。
隣には
さくらが倒れていた。
「さくら!」
僕が肩を揺すると
彼女は目を開けた。
「お兄ちゃん……」
「大丈夫か?」
「うん」
僕は安心した。
だが次の瞬間
頭上に
巨大な影が落ちた。
見上げると
信じられないものが
飛んでいた。
羽を広げると
人間の腕ほどもある
巨大なトンボだった。
「嘘だろ……」
さらに
足元の落ち葉が動いた。
そこから
巨大なムカデのような
生物が現れた。
体長は
二メートル近くある。
さくらが悲鳴を上げた。
「きゃあ!」
僕は彼女の手をつかみ
走り出した。
森の奥へ
必死に逃げる。
背後から
硬い脚が地面を叩く音が
追いかけてきた。
「何なんだ
この世界は!」
スマートフォンが震えた。
画面には
文字が表示されていた。
『第三観測地点』
『約三億年前』
『石炭紀』
『残り移動回数 十一回』
僕は息をのんだ。
恐竜が現れるより
はるか昔。
巨大な昆虫や
節足動物が生きていた
太古の地球だった。
だが
画面には
さらに警告が続いていた。
『大気組成の異常を検出』
『生命維持機能
残り二十三分』
僕は足を止めた。
「二十三分?」
さくらが
僕を見上げた。
「どうしたの?」
僕は答えられなかった。
画面には
新しい文字が現れた。
『警告』
『この世界の大気は
現在の人体に
適合していません』
その瞬間
さくらが
激しく咳き込んだ。
「お兄ちゃん……
息が苦しい……」
僕は彼女を抱き上げた。
だが
自分の胸にも
鋭い痛みが走った。
目の前が
少しずつ暗くなる。
そして
スマートフォンの画面に
最後の一文が現れた。
『生存するには
人間であることを
やめてください』




