第6話 恐竜時代に残された人工物
銀色の機械には
僕の顔があった。
目も鼻も
口元の小さな傷まで
まったく同じだった。
「お前は……」
機械が口を開いた。
「正確には
私はあなたではありません」
声まで僕と同じだった。
「あなたの記憶を
もとに作られた
観測用の複製体です」
僕は少女を
背中にかばった。
「何のために?」
「あなた自身の判断を
外側から観測するためです」
空では
二つの地球が
重なり始めていた。
赤い大地の輪郭が
青い空を侵食している。
湖の水面には
別の森が映っていた。
僕たちの頭上にある森とは
まったく違う森だった。
『統合完了まで
残り九分』
スマートフォンが
警告を発した。
「どちらも救う方法が
あるんだろう?」
僕が尋ねると
機械は少女を見た。
「彼女は
その可能性を発見しました」
「可能性?」
「二つの世界を
消さずに分離する方法です」
僕は空を見上げた。
「だったら
今すぐやってくれ!」
「私には
実行権限がありません」
また権限だ。
江戸の町でも
同じことを言われた。
「誰ならできる?」
機械は答えた。
「第一観測者です」
僕は息を止めた。
「それは誰だ」
機械は
僕を指さした。
「あなたです」
少女が
僕の服を握った。
「やっぱり
お兄ちゃんだった」
僕は首を振った。
「そんな記憶はない」
「記憶は
封印されています」
機械は続けた。
「あなたは
観測者であることを忘れ
観測対象として
旅を続けています」
「なぜそんなことを?」
「その理由を知ることも
今回の旅の目的です」
僕は歯を食いしばった。
知りたいことが
増えるばかりだった。
だが今は
考えている時間がない。
「分離する方法を教えろ」
機械が
湖の向こうを指さした。
「あの山の地下に
第二地点の中枢があります」
遠くに
黒い山が見えた。
山頂から
青い光が伸びている。
「そこに
世界を分ける装置が?」
「あります」
「どうやって行く?」
機械は
地面に手を触れた。
すると
草の下から
銀色の線が現れた。
線は湖を横切り
山へ向かって伸びている。
「これをたどってください」
僕は少女を見た。
「走れる?」
少女はうなずいた。
「うん!」
そのとき
足元にいた
小さな恐竜が鳴いた。
片脚に巻かれた布が
風に揺れている。
少女はしゃがみ込んだ。
「この子も連れていく」
僕は一瞬迷った。
だが
置いていけなかった。
「分かった」
僕たちは
銀色の線を追って
走り始めた。
*
森の中では
奇妙な現象が
起きていた。
一本の木から
二種類の葉が
生えている。
右側は
巨大なシダの葉。
左側は
見たことのない
紫色の葉だった。
空には
二つの太陽が
重なって見えた。
「世界が
混ざっている……」
僕はつぶやいた。
少女が言った。
「違う地球のものが
こっちに来てるの」
その直後
森の奥から
低い鳴き声が響いた。
巨大な肉食恐竜が
現れた。
だが
その体は
半分だけ透けていた。
「走れ!」
僕たちは
木々の間を抜けた。
恐竜が
後ろから追ってくる。
太い尾が
木をなぎ倒した。
少女が転びかけた。
僕は腕をつかんだ。
「大丈夫か!」
「うん!」
そのとき
小さな恐竜が
甲高く鳴いた。
巨大な恐竜が
一瞬だけ動きを止めた。
僕たちは
その隙に
岩の裂け目へ飛び込んだ。
狭い通路だった。
大きな恐竜は
入ってこられない。
僕は息を整えた。
「助かった……」
だが
通路の奥には
さらに奇妙なものがあった。
壁一面に
銀色の板が
埋め込まれていた。
その表面には
七本の線が
刻まれている。
「またこの模様か」
僕が触れると
壁が青く光った。
『第二観測地点』
『歴史分岐制御施設』
少女が
目を丸くした。
「お兄ちゃん
これって……」
「恐竜時代に
あるはずのないものだ」
僕は壁を押した。
すると
岩だと思っていた部分が
左右に開いた。
その先には
巨大な地下空間があった。
天井には
無数の光が浮かび
床には
透明な通路が伸びていた。
そして
中央には
二つの地球が
映し出されていた。
一つは
巨大隕石が衝突する地球。
もう一つは
恐竜が生き続ける地球。
二つの球体は
ゆっくりと
重なり合っていた。
『統合完了まで
残り五分』
僕は中央の装置へ
駆け寄った。
「分離装置はどこだ!」
機械の声が
天井から響いた。
『中央制御盤に
手を置いてください』
僕は言われたとおり
手を置いた。
青い光が
指先から広がった。
『第一観測者を確認』
『記憶認証を開始』
頭の奥で
何かが弾けた。
突然
見知らぬ光景が
浮かんできた。
真っ暗な宇宙。
そこに
小さな光があった。
僕はその光に
手を伸ばしていた。
すると
光が分裂した。
二つ。
四つ。
八つ。
無数の球体が
生まれていく。
それは
すべて地球だった。
「これは……」
僕の声が震えた。
機械が答えた。
『あなたが
最初に行った実験です』
「僕が
地球を作った?」
『正確には
地球の可能性を
分岐させました』
僕は画面を見た。
『記憶照合率 七%』
まだ
ほとんど思い出せない。
それでも
一つだけ分かった。
この装置は
僕の手を
認識している。
『統合完了まで
残り三分』
画面に
三つの選択肢が現れた。
『第一世界を保存』
『第二世界を保存』
『両世界を分離』
僕は迷わず
三つ目を押した。
『分離には
観測者の記憶を
一部消費します』
「記憶?」
『現在保持している
個人的な記憶の一部が
失われます』
僕は息をのんだ。
何を忘れるのか。
家族の顔か。
自分の名前か。
それとも
前の旅で知った
現実の正体か。
少女が
僕の手を握った。
「やめて」
「でも
このままだと
二つの世界が消える」
「お兄ちゃんが
私を忘れちゃうかも」
僕は少女を見た。
江戸の町で
初めて会った女の子。
名前さえ
聞いていなかった。
「名前を教えて」
少女は驚いた顔をした。
「今?」
「今だから」
少女は
小さく笑った。
「さくら」
「さくら……」
僕はその名前を
心の中で繰り返した。
「忘れないようにする」
僕は画面に触れた。
『両世界の分離を実行』
強烈な光が
地下空間を包んだ。
二つの地球が
ゆっくり離れていく。
天井が震え
透明な床に
亀裂が走った。
僕は少女を抱き寄せた。
小さな恐竜が
足元で鳴いた。
『分離成功』
『両世界の保存を確認』
僕は安堵した。
「よかった……」
だが次の瞬間
頭の奥に
激しい痛みが走った。
目の前が暗くなる。
何かが
頭の中から
抜き取られていく。
懐かしい声。
温かい手。
誰かと笑った記憶。
それらが
次々に消えていった。
僕は膝をついた。
「お兄ちゃん!」
少女が駆け寄ってきた。
僕は顔を上げた。
目の前に
小さな女の子がいる。
見覚えがある。
でも
名前が出てこない。
「君は……」
少女の顔から
笑顔が消えた。
「うそ……」
僕は必死に
思い出そうとした。
江戸の町。
青い門。
恐竜の森。
そこまでは覚えている。
だが
少女の名前だけが
消えていた。
「ごめん」
僕は言った。
「君の名前を
もう一度教えて」
少女は
泣きそうな顔で
答えた。
「さくらだよ」
僕はうなずいた。
「さくら」
今度こそ
忘れないように
何度も繰り返した。
そのとき
装置が再び光った。
『第二地点
観測終了』
『次の地点への
移行準備を開始』
僕は画面を見た。
「もう次なのか?」
『次の観測地点は
約三億年前』
『恐竜誕生以前の地球』
僕は息をのんだ。
次は
さらに古い時代だ。
だが
画面には
もう一つの表示があった。
『観測者の記憶照合率
七%から八%へ上昇』
僕は首をかしげた。
記憶を失ったのに
照合率が上がっている。
どういうことだ。
その瞬間
画面が切り替わった。
『失われた記憶を
再構成しています』
『復元対象を表示』
そこに現れたのは
一枚の写真だった。
若い男女が
並んで立っている。
女性は
赤ん坊を抱いていた。
男性の顔は
僕と同じだった。
僕は写真を見つめた。
そして
画面の下に表示された
文字を読んだ。
『第一観測者』
『家族記録』
『娘 さくら』
僕は動けなくなった。
ゆっくりと
隣の少女を見た。
彼女も
写真を見つめていた。
「お兄ちゃん……?」
僕は答えられなかった。
写真の中の赤ん坊と
目の前の少女。
同じ名前。
同じ目元。
そして
僕と同じ顔をした父親。
そのとき
銀色の機械の声が
静かに響いた。
『あなたは
娘を救うために
地球の歴史を
作り直したのです』




