第9話 彼とわたしの異なる世界
私たちは宿屋の階下にある食堂で、早めの夕食を済ませていた。
温かいシチューがお腹と心に染みる。
ふわりと立ちのぼる湯気が、温かくてやさしい。ミルクたっぷりのホワイトソースが、白くキラキラと輝いて見える。
マルクは、ちゃんと夜ご飯を食べられているのだろうか。
両親を亡くして、幼い弟や妹たちの面倒を見ていると、ソラが言っていた。
『金がなければ、食うものも手に入らない。生きるために、必死なんだよ』
ソラの声が過ぎる。
あの子たちは、あたたかいシチューを食べられるのかな。
スプーンに一匙掬っては、考えてしまう。
「気にしてるのか?」
レイに声をかけられて、スプーンを持つ手が止まっていたことに気がつく。
顔を上げると、目が合う。冬の泉のように静かで深い青の瞳。その奥が、私を心配するように、僅かに揺れているように見えた。
「あ、ごめんなさい」
ふと、口をついて出る。
「別に、謝ることはないけど」
また、ごめんと俯いてしまう。
自分に自信が持てない私の悪いクセ。
前回、この世界に来てから、少しは無くなったと思っていたのに。
やっぱり……、自信ない。
「あの子……マルクはご飯食べられたのかな」
「……………………」
「なんか、そんなこと考えちゃって」
この世界に、マルクのような子供はたくさんいる。なんの力もない、私なんかにできることは、きっと……無い。
私は、白いシチューを見つめ、唇を噛んだ。
「……考えても、今は俺達にできることは何もない」
レイが静かにそう言った。その声音が重たい。
「うん……そう、なんだけど」
カチャリ、とスプーンが陶器の皿にあたる音を立てる。
白いシチューに色とりどりの野菜が鮮やかだ。
ここの店の中は、賑やかだ。
周りを見渡せば、いかにも腕に自信のありそうなガタイのいい冒険者らしき人たちや、豪快にお酒を飲んで大声で話をする行商人たち。力仕事を終えて、夕食を楽しんでいるおじさんたちもいる。
みんなが一日の疲れを吹き飛ばすように、大きな声で何か面白そうにお喋りをしている。そして、身体を揺すって笑い合い、あたたかい夕食とお酒を楽しんでいる。
この中で、私のような女性はいない。
それだけここは華やかな王都からは遠く、冬の寒さが厳しい辺境の地ということを痛感する。
夜に着飾った女性が、お洒落なお店で食事をしたり、お芝居を観たりできる王都と、ここは違う。
今、宿屋の階下であたたかい食事をして、お酒を楽しんでいるこの場所から一歩外に出れば、小さな子供たちが親もなく、食べるものもなく必死で生きている。
ちぐはぐな現実……
そんな言葉が浮かんだ。
でも、それは、きっとこの世界だけではなく、私たちの世界でも同じ、なんだと思う。
私は知っていたつもりで、本当は何も知らなかった。
気づけば、また手が止まっていた。
「なあ、ミツキ」
名前を呼ばれて顔を上げると、彼の蒼い瞳が静かに私を見ていた。
「あんたは、この世界の人間じゃない。正直、俺達の問題に巻き込まれてるほうだ。この旅だって、決してラクなものではないと思う」
「……なのに、どうしてそんなに一生懸命になれるんだ?」
どうして……?
なんでだろう……。
自分のことなのに、答えが見つからない。
レイは、シチューを一匙掬い、パクリと口に入れる。
「俺はほんの少しの間だけど、二度、あんたの住む世界へ行った。魔法の代わりに科学という文明が発達していて、電気も車もあって、夜も明るいし、便利な世界だった」
「魔獣の住むこの世界と違って、襲われる心配もない。安全で平和に見えた。少なくとも、あんたの住む街には、盗みをして生活の糧を得る子供はいない」
私の住む街は、昭和の雰囲気が残る古い商店街と、少し駅から離れると閑静な住宅街が広がる。親が都会へ働きに出るファミリー層が多い街だ。子供たちも多く、治安は良く住みやすい場所だと思う。
「ミツキがこの国の暗い部分を知らないのは当然だ」
彼は食事を進めながら、なんでもないことのように話す。
「あんたの育ってきた環境と、ここの世界は違うのだから。それに王都からも今まで出たことはなかったんだ。知らなくて当然だし、仕方がないことだよ。気に病むことはない。気にするな」
私は『世間知らずのお嬢さん』……ソラの言葉が、本当のことを言い当てていて、ショックだったんだ。
「とっくに大人になったつもりでいたけど、本当はまだ知らないことばかりだね」
私は溜息混じりに、こぼさずにはいられなかった。
レイは最後の一口のシチューをペロリと平らげて言った。
「ミツキは、優しすぎるよ」
「え?……そんな、ことは……」
優しいから、マルクのような子供たちのことが気になる?
……ううん、そんなんじゃない気がする。わからなくて、また俯く。
私のいた世界とこの世界は違うから、知らなくてもいい理由になる?
レイは知っていたんだ。
マルクのような子供がいるということを。
現実が理不尽だっていうことを。
騎士の仕事をしている彼は、生死を目の当たりにすることもあるだろう。
前回も魔獣の討伐のため王都を離れたことがあった。
子供の頃にお母さんを亡くして、単身貴族社会に入り、若くして大貴族の当主となった。
私は?
ママに守られ、あたたかい現実の中にいた。
今はママもいないけれど、派遣やアルバイトをして、たまに仕事帰りにコンビニで甘いスイーツ買って、読書や創作とか趣味や推し活を楽しんでる。
将来に不安がまったくないわけじゃないけれど、なんとなくぼんやりとしたまま、ここの世界の現実に比べたら平穏に生きてきた。
もちろん受験とか、進路の節目のときはちゃんと考えてきたつもりだけど。
そう、つもりだったんだけど。
……私って、流されるように、ぬるま湯に浸かって生きていた。
この世界は、生きることが前提じゃない。
両親を魔獣に奪われた幼い子供が、明日、食べて生きていくために罪を犯す。
いま、こうしてあたたかい食事をしている私のすぐそばで。
たった扉一枚の向こうなのに。
温もりの届かない世界にある、あまりに残酷な現実を、レイは知っている。
そんな彼の見ている世界と自分の知っていた世界は、あまりに違った。
彼と自分の間に、見えない壁があるんだと思ってしまう。
私はここでは異物で、あまりに小さい。
「さ、早く食べろ。せっかくのシチューが冷えてしまう」
レイに促されて、私は「うん」と乾いた返事をして、スプーンを口に運んだ。
ミルクたっぷりのシチューのはずなのに、味はわからなかった。




