第10話 彼の秘密
夕食を終えたあと、私たちは二階の部屋へと戻ってきた。客室は二階に四つほどの、こじんまりとした宿屋だ。
食堂の横にある木の階段を、ミシ、ミシッ……と軋ませながら上がっていく。木の廊下の両側に、部屋が向かい合うように二部屋ずつ並んでいる。簡素な木造の建物なので、二階にいても階下の賑わいが楽しげによく聞こえていた。
私達の部屋は、廊下の奥側だった。木のドアを開けると、中はさほど広くはなく、簡素なベッドが二つ並んでいるくらいだった。
私たちは二人で一部屋を借りた。まあ、もとより空いている部屋が、ここしかなかったのだけれど。
つまり今夜も、私とレイは同じ部屋で過ごすことになった。
旅を始めて、まだそれほど経っていなかった頃。その日は、空いている部屋がひとつしかなくて、夜も一緒の部屋で過ごすことになった。そのときは、さすがに私もレイも大慌てした。
けれど、すでに同じ部屋に泊まってしまったうえに、野宿もした仲にもなれば、今回も同室だと言われたところで、大騒ぎはしなくなった。
まあ、少しだけ緊張はするけど。
慣れって、怖い……。
それに、同じ部屋に泊まってみると、それなりに都合が良いところもある。
防犯面でも安全だし、レイと一緒なら心配いらない。それに、朝が弱いレイのことを起こしてあげたこともある。
なにより、私は一人でいるより、レイが一緒にいてくれるほうが心強かった。
だから、今回も空いている部屋がひとつしかなかったけれど、私達はすんなりここに決まった。
私は、窓側の自分のベッドの縁に座る。
夕食のあと、たいていレイはもう一度外へ出かけることが多い。情報収集といって飲み屋にいくか、街を見回りしているそうだ。だから、そのあいだに私は寝る準備をして、とくにすることもなくなって、先にベッドへ入っている。
そして、日中の疲れもあって、ほんとは起きて待っていたいのだけど、情けないことに気づくと眠ってしまっていたりする。
ほんとのところ、レイがほぼ毎晩のように出掛けて、何をしているのか、少し疑問に思っていることもあるのだけれど……。
ところが、今夜はレイも自分のベッドの縁に腰掛ける。
「?」
長い脚を開いて座る膝の上に、両肘を置いて何か言いたげに、両方の掌を組み合わせる。
ベッドに互いに向き合って座っているのだけど、膝がぶつかってしまいそうなほど、なかなか距離が近い。
え……っと……、
ドキドキするのだけど……。な、なんだろう……何か私に話しでもあるのかな……?
私も膝を揃えて彼の話を聞く準備をする。
心臓の音が煩い……レイに聞こえちゃったりしないかな。
「明日だけど……」
「うん……」
「領都ニブルブルクまでは、あと1日か2日足らずのところだけど、このまま進むのは難しい」
「え……?」
彼の思わぬ言葉に、目を見開く。
「……それって……」
彼のコバルトブルーの瞳に真剣な光が浮かんでいる。昼間に聞いた少年騎士であるソラの話を思い出す。
「このまま進めば、明日は“フロストヴァルトの森”に入る。昼間の白銀の騎士がノルドヴァルグの群れが出たと言っていただろ」
「うん、確か、黒狼って……」
「ああ。黒狼は、あいつらは力も強いが、頭もいい。一匹でも厄介なんだが、群れとなると一層たちが悪い。集団で連携して、狙った獲物を囲み襲ってくる。しかも、いま森にいる黒狼の群れは、小隊の一つを全滅させている」
レイの静かで深い蒼の瞳が、冷ややかに光る。説明してくれた彼は、騎士の表情をしていた。
「せっかくここまで来たんだ。なるべく派手に魔法は使いたくない。となれば、さすがに俺でも、一人でノルドヴァルグの群れを相手に、森を突破するのは難しい」
「森を通らない、別のルートはないの?」
「ないな。仮にあったとしても、かなりの迂回になる。フロストヴァルトの森は横に広いんだ。そこを回り込んで行くには、広い平原の道なき道を行くことになると思う。おそらく数日、到着が遅れるだろう。それに……」
レイは言葉をきり、口を噤んだ。
「それに?」
「……どんな魔獣が出るか、わからない」
魔獣が出るかどうか、ではないんだ。
どんな魔獣って……もう出るのは確定って、ことなんだよね?
安全な王都とは違う、それが辺境伯領って言われる所以。
「じゃあ、どうすれば」
疑問が、自然と口から溢れる。
「ああ……」
レイも思案しているようだった。
フロストヴァルトの森……。
レイは近衛騎士団長として、いろいろな地で魔獣の討伐を行っている。前回、この世界へ来た時も、討伐に向かった部隊の危機に救援に向かっていた。剣の腕も王都で一番という。そんな彼一人なら、きっと剣の力だけでも、力づくで突破できると思う。でも、私を守りながら、黒狼の群れが出る森を突破することが難しいのかもしれない。……たぶん、私が、足手まといなのだろう。
「ニブルヘイム辺境伯も何か手は打つはずだ。このままにしないだろう。けれど、それもいつになるかわからないし、のんびりとは待っていられない」
レイは目を伏せて、小さく吐息を吐いた。
「白銀の騎士のソラが、この街にいたのも、その件と何か関係があるのかな」
「俺もそう考えていた。もし、そうだとしたら、何か協力しあえるかも知れない」
少し行き止まりになりかけた道が、僅かに拓いた気がする。レイの目にも、辿り着いた微かな希望が、光となって浮かんで見えた。
「まだ、白銀の騎士がこの街にいるかも知れない。ちょっと情報収集がてら彼を探してくる。黒狼の群れさえいなくなれば、あんたも安心して行けるからな」
彼は笑みを見せてそう言うと、立ち上がろうとした。
黒狼さえいなくなれば……?
「待って!」
レイの言葉が引っ掛かった私は、思わず彼の手を掴み、引き留める。
「……ミツキ?」
「私も、行く。私もフロストヴァルトの森、レイと一緒に行くから!」
彼が息をのんだ。
「いや、危険だから。ミツキはここで」
彼は慌ててそう言うと、ベッドに座りなおす。私のこと、紺青色の目が、心配だって言ってる。
……やっぱり、そうなんだ。私は確証した。
レイは先に森に入って黒狼の群れを討伐してから、もう一度私をここへ迎えに来て、それから領都へ向かうつもりだったんだ。きっと、彼ならそうする。もしかすると、白銀の騎士がいなくても、私に言わずにこのまま自分ひとりで、森へ向かうつもりでいたのかも知れない。
私とここまで一緒に山も越えて旅してきた。夜もレイは外に出掛けていて、私よりもベッドに入るのも遅いし、あまり眠れていないはず。彼だって、きっと疲れてる。
いつも彼ばかり危険でしんどい思いをして、なのに、私だけ安全なところに守られて、ぬくぬくとのんびり待っているのは嫌だ。
それに……。
私は、お姫様でも、聖女様でも、ない。守られる立場じゃ、ない……。
レイだって、国のことを思えば、一日でも早く領都へ行って、白銀の姫に謁見したいはず。
こんなところで、彼の足出まといにはなりたくない。
私は、ふっと右手首が目に入った。
そうよ。私にはこれがある!
私は、ふと右手首を撫でる。今は何も見えないけれど、私には白銀の姫が授けてくれたブレスレットがある。
「一緒に戦うのは無理かも知れない。でも、自分の身くらいは、自分で守るよ」
このブレスレットは、願えば出現する。そして、私を守る弓となり、盾となる。
前にもドラゴンや魔女のミレイユからも守ってきた。北の大魔法使いとも対峙した。ずいぶんアレク様にも助けられて、だったけど。
「ダメかな……」
断られるのが怖くて、俯いた私は小さな声になった。
少しして、はあ……とやさしいため息が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、やさしい眼差しで、レイが口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
「ミツキなら、そう言うよな」
「じゃあ!」
「……わかったよ。一緒に行けるよう考えよう」
ストン、と胸にあった重たいものが落ちていった。
「ありがとう、レイ!」
ホッとして、笑顔になる。
「ただし約束だ。絶対に、無理はしすぎないこと」
そう言って、私の目を覗き込むと、レイは自分の長い指で、スッと私の右手首に触れる。
え!?
思わず、ぴくっと肩が跳ねた。一気に私の体温と心拍数が上がっていく。
触れた指が、そのまま撫でるように手首を掴む。
「ひとつだけ、言わせて欲しい。俺は騎士だ。守るのが仕事だ」
私はただぼんやりと、彼の目を見つめるしかできない。
「近衛騎士団の騎士だが、いまはあんたの騎士だ。俺は、ミツキを守るためにここにいる」
私は、何も言えないまま、呆然と彼の顔を見ていた。レイは「情報収集へ行ってくる」と部屋を出て行った。




