第11話 花の香り
一人になった部屋で、私はしばらく動けずにいた。
え……っと、今のは、なに?
彼に触れられた右手首に、残る彼の手の熱と感覚。
ずいぶん経って、ようやくのろのろと動き出す。
我に返って自分のベッドに倒れ込み、悶えてしまった。
「な、何だったのぉ~~~!!!」
今、ようやく呼吸を思い出したように、口から大きく深呼吸をする。
左手で、自分の右の手首にそっと触れてみる。
胸のドキドキがおさまらない。
と、とりあえずっ、恥ずかしいから彼が帰ってくるまでに、布団の中に潜っちゃおう。
私は、ガバっと頭から布団を被った。
夜、彼が外出している間、部屋に他人が訪ねて来たり、私に危険なことが及ばないように、いつも彼が部屋に結界を張っていてくれる。
今夜も部屋の外から、しっかり結界の魔法をかけてくれていた。
出会った頃は、顔面偏差値高スペックなのに、無表情で無愛想な残念イケメン男子かと思ったけど、じつは誠実でとても優しい人。前回の異世界では、聖女の代わりにこの世界へ来てしまった私にも、優しく気遣ってくれて、守ってくれた。今も、こうして守ってくれていることに、胸がキュンとする。
彼って、もしも恋人になったりしたら、じつはかなり甘やかしの大型犬、なのかもしれないなぁ……。
そんなことを考えながら、胸がドキドキして眠れない!
……と、思っていたけど、旅の疲れか、いつの間にか、すっかり眠ってしまっていた。
しばらくして、どのくらい眠っていたのだろう。
ふと、部屋の扉が軋みながら開く音で目が覚めた。
部屋の入口の方へ背を向けて眠る私の後ろで、音を立てないように、気を使って静かに扉が閉められる。
「ミツキ?」
私が眠っているのか確認するような、レイのやさしく問いかける声。
なんとなく私はタイミングを逃してしまって、そのまま眠っているふりをした。
レイは私が眠っていると思ったようで、そのあと何も言わず隣のベッドまで来ると、はぁ~と小さな吐息とともに、ベッドに腰掛けた。
……疲れてる?
そう思ったとき、私のすぐそばで彼が動く気配がして、私の額にかかった髪を、そっと指先ですくい上げた。
その瞬間。
ふわっと、花のようないい匂いが鼻を掠めた。
石鹸のような、やさしい香り。
……どうして?
普段の彼は、香水とかつけないのに。
じゃあ、この香りは、いったい……。誰の?
私は目を閉じたまま、思い出しかけた記憶を辿る。
以前にも、一度だけ、こんな夜があった。
あれは、旅を始めて数日過ぎた頃。そんなに田舎町ではなかったけれど、少し行けば森や川など自然に囲まれた町だった。たまたま部屋が空いてなくて、その日も彼と同室に泊まったときだ。
今夜のように彼が情報収集へ行ってくると出掛けて、同じように夜遅く帰ってきた。
私の髪にやさしく触れる彼の指。
長くてすらりとした指は、剣を振るう指とは思えぬほど滑らかで、骨張った印象はない。けれど、やっぱり額に触れる指先は、女性とは違う少し皮膚の硬い男性の指先。
意識すればするほど、花の匂いに似たそれは、甘く濃く香る
でも、この匂い。……どこかで。
何か似ている、花のような、石鹸のような、ほのかに香る――
これは……。
そうだ。
ランドルフの屋敷に漂う香りに似ている。
マリアンヌさんを思い出す。レイの義理のお母様で、お姉さんで、レイの初恋の女性。
やさしくて可愛らしい、笑顔がとてもあたたかい。
そうだ……この香りは彼女に似ている。
今夜はどうして?
いつも昼間は、こんな香り感じないのに。
彼は夜、外に出掛けて、いったい何をしているのだろう……。
ねえ、本当に情報収集だけ?
ふと、そんな考えが浮かんだ。
考えてみたら、彼だって十九歳の若い男性だもんね。
そういうこと、求めていてもおかしくはないよね?
……ううん、レイはそんなこと、ないはず。
もしかして、私と、昼も夜もずーっと一緒だから、ストレス溜まっちゃってる!?
色々と、ものすごく我慢しているのかも。
ストレス発散に、どこかそういうお店とか、行ってるのかな。
えっ!?嘘……。
レイがほかの女性と……?
そんなの嫌!
そう思う反面、私が「行かないで」なんて、彼女でもなんでもないのだから、そんなこと言える立場でもない。
やさしく触れていた指先が離れていく。
じゃあ、どうして、彼は私にこんなふうに触れるの?
とてもやさしくて、切なげに、まるで愛おしいとでも言うように。
私の知らないレイだ。
私から離れた彼が、パサリと上着を脱ぎ捨てる音がして、疲れたようなため息をつくと、ベッドに潜り込んだようだった。そして、そのうち気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
私はそのあとも、毎夜繰り返される彼の外出と、花の香りの秘密が気になって、なかなか眠りにつくことができなかった。




