第12話 フロストヴァルトの黒狼
翌朝、寝不足気味で私が目を覚ますと、レイはすでに着替えを済ませていて、剣の手入れをしていた。彼のほうが先に目を覚ましているのは、ちょっと珍しい。
「おはよう。ごめんね、寝坊しちゃった?」
私が身体を起こすと、レイはこちらを振り向きざまに、カシャンと音を立てて、剣を腰の鞘に収める。
「いや、大丈夫。俺が少し早く起きただけだから」
朝のニガテなレイが、今朝に限って早起きをしていたのには、理由があった。
三時間後、私たちはフロストヴァルトの森の中を歩いていた。私とレイ、そして白銀の少年騎士ソラ・ウェイルス。
なぜ、この三人で領都へ向かうことになったのか、私も今朝、レイから突然聞かされて驚いた。
その理由を「昨晩、居酒屋で再会して、ともに意気投合したから」と、レイは説明していたけれど、そもそも十五歳のソラが居酒屋?って疑問なんだけれど。
何度聞いても、居酒屋で意気投合したとしか言わないから、きっとそうなのだろう。
ソラはレイに懐いているようで、尊敬に似た眼差しで、何やら一生懸命話をしているけれど、私には今朝、再会したときに「よろしく」とテンション低めに挨拶してから、一度も話しかけてこない。
きっと彼にとって、私は世間知らずのお嬢様で、領都へ同行することをよく思っていないのかもしれない。
フロストヴァルトの森は、背の高くまっすぐに伸びた木が生い茂る、寒い地域特有の印象が強い森だった。木々の葉の色は濃い緑色をしていて、日差しを遮り、森の中は薄暗い。鬱蒼とした横の茂みに何かが潜んでいても、私はわからないかもしれない。
王都の近くに広がる“ヒスイの森”とは、雰囲気がまったく違っていた。
その森の中を領都へ向かって、一本の道が続いている。小さい馬車が一台通れるくらいのあまり整備されているとは言えない、土の道を私たちは歩く。
私は黙って、二人のすぐ後ろを遅れないようについていく。
二人のシャンとまっすぐに伸びる背中が、堂々として見える。その後ろを、ちょこちょこと小走りで追いかける私って、やっぱり足手まといだな。今は、背中をスッと伸ばせない。情けないな……
私がそんなことを考えていると、二人がふいに足を止めた。
空気が変わった気がした。
「なぁ、聞こえるか?」
先に口を開いたのは、ソラだった。
「ああ。……そう遠くはない」
答えるレイの声が緊張を伝える。
……聞こえる?何が!?
私も耳をすまして、周囲に集中する。
いつの間にしていたのだろう。
微かにどこかから聞こえてくる、複数の人の叫ぶ声と獣たちの唸り吠える声。そして混ざって聞こえるどちらのものともわからない悲鳴。
ぼんやりとしていたから、すぐに気がつけなかった。
二人とも、瞬時に緊張した空気を纏う。
「誰かが襲われて……、いや、闘っている」
「感じからして、騎士団か兵団か」
ソラが目を見開いた。
「おそらく新たに派遣された騎士団だ!」
レイも眉根を寄せて、険しい表情を見せる。
「まずいな。押されている」
「ああ。俺はすぐに助けに行く。ここも安全とは言えない。あんたたちは、その隙に逃げろ」
ソラはそう言いながら、走り出そうとする。
「待てッ!」
レイが呼び止めた。
「俺も行こう!仮に今ここで逃げたところで、俺たちだけで黒狼に出くわさないとも限らない。だったら、今、力を貸して、共に倒したほうが賢明だ」
「けどさ!」
ソラが鋭い視線でちらりと私を見たけれど、レイは私のことは触れずに言った。
「大丈夫だ。俺は強い、少しは役に立つ」
「確かに、腕っぷしが強いのはわかるけど……」
眉間を寄せて、ソラは迷っている様子だ。
「こうしている間も時間がもったいない。行くぞ!」
レイが強引に話をまとめる。そして、私の方へ振り向くと、早口で言った。
「ミツキ!」
「は、はいっ!」
思わず、勢いよく返事を返す
「少しのあいだ我慢しろっ」
そう言って、彼は私をいきなり抱き上げ、お姫様抱っこをしたのだ。
えええーっ!
目を丸くしたまま、口をパクパクする借りてきた猫状態の私を、彼は至近距離で見下ろして言う。
「何も言うな。舌を噛むぞ!」
そう言って、レイとソラは荒れた土の道を、飛ぶように走り出したのだ。
黒狼=ノルドヴァルグの群れと騎士の小隊が衝突した場所には、すぐに到着した。
ソラは剣を抜きざま、人と黒狼が入り乱れているところへ突っ込んでいく。
「ソラ・ウェイルス!」
応戦していた騎士たちの中から、安堵に近い声が次々に上がる。
「悪い!遅くなった!」
騎士たちはあちこち怪我をしているものの、幸いまだ地面に倒れているものはいない。
……よかった、間に合った。
黒狼たちは新たな敵の登場に、さらに唸り声を上げた。
これが、黒狼!?
私たちの世界のライオンやトラより、一回り以上大きい。
真っ黒の毛色に、目は鋭い金色。大きく開けた真っ赤な口から、鋭い牙を剥き出す。
レイは私を地面に下ろすと、大きな木を背に立つ。
「ミツキ、俺から離れるな」
そして、右手で剣を鞘から抜くと、左手で私の肩を抱き寄せる。私は嫌でもレイの胸に強く抱き寄せられて、レイの胸しか見えなくなる。視線を遮られた。
「目を閉じて、耳を塞いでいろ」
「!?」
言われたことが、瞬時に理解できなくて、彼の顔を見上げた。
深く蒼い瞳の中に、力強い光が浮かんでいる。
「大丈夫だ。俺に任せて」
「わかった」
私は頷き、言われたように慌てて目をきつく瞑る。そして両方の手で両耳を塞いだ。
「あんたのことは、俺が守るよ」
ミツキの頭の上で、レイが呟く。そして、静かに剣を身体の前に構えた。
「よし、すぐに終わらせてやる!」
その掛け声を合図に、距離を取っていた黒狼が一気にレイへと飛びかかった。
両の耳を塞いで、目を瞑っていても、彼の息遣い、伝わる激しい振動から、今私が守られている外で、激しく剣が振るわれていることがわかる。
耳を塞いでいても届いてくる肉を引き裂く音、獣の断末魔の叫び、そばに感じる獣の荒い息遣い。
獣の口から吐き出される生臭い息と、鉄錆のような血の匂い。
怖くて、叫んでしまいそう。
彼の指が食い込むほどに、強く抱かれた肩が痛い。それが夢ではなくて、現実なんだと教える。
北の大魔法使いやドラゴンと対峙したときとは違う。集団で囲まれて、複数の敵を一度に相手にするのは違う恐怖があった。
きつく目を瞑って、ただレイを信じる。
どのくらいそうしていただろう。きっと時間的には、そんなに長くはなかったのだと思う。でも、私には永遠にも感じられた。
気がついたら、戦闘が止み、獣の声は聞こえなくなっていた。
「……ミツキ、もう目を開けていいよ」
レイが私をそっと胸から離してくれる。おそるおそる周囲を見渡す。
あたりに倒れていると思った黒狼の姿がない。死んで浄化された魔獣は、塵となり風化するように、空気中に消えていくんだと、あとで彼が教えてくれた。
恐怖のあまり身体に強く力が入って固まっていたのか、彼の胸にしがみついていたのかも知れない。自分の首筋や額は、汗ばんでいた。今は森の空気の冷たさが、ひやりと肌を冷ましてくれる。
あちらこちらで、怪我をしたり疲弊した騎士たちが、座り込んでいる。けれど、命を落としたもの、ひどい怪我をしたものは見られなかった。
レイも珍しく息があがっている。剣を振るって血を払うと、カシャンと音を響かせ鞘に納める。
魔獣に囲まれるって、こんなにも怖いとは想像ができなかった。
私は声すら出せず、ただ安堵のあまり、ふたたびレイの胸にしがみついてしまった。今になって全身が震える。
誰かの温もりを感じて、安心したかった。
胸で震える私を、彼は幼子をあやすように、やさしくトントンと背中をたたいて、私が落ち着くまで抱きしめてくれていた。
そんな二人の姿を、ソラは離れたところから、眉間に皺を寄せて見ていた。
何か言いたそうな、不満げな顔で……。




