第15話 キスの余韻とあたたかいミルク
待って……。
そう呼び止めそうになったけれど、言葉が喉につかえて、声を掛けることができなかった。
私は呼び止めて、いったい何を言うつもりなんだろう……呼び止めたところで、なんて言えばいいのかわからない……。
慌ててベッドの上に身体を起こしたものの、何も言えないまま、レイの背中が扉の向こうに消えるのをただ見送ってしまった。
彼が部屋を出ていった後、部屋の中は静けさに包まれた。階下からは、楽しそうに談笑する客達の声が、かすかに聞こえてくる。
ひやりとした空気が、火照った身体を冷ましてくれる。でも、身体の中はどうしようもなく熱かった。
自分の唇にそっと触れる。
まだ、さっきのキスの感触がはっきりと残っている。
夢じゃ、ないよね……。
私の知っているレイとは違う、男の顔をしていた。
奪われるようなキス……それなのに、イヤじゃなかった。
レイ……。外は寒いのに、ちゃんと帰ってくるよね……。
しばらくベッドの中で悶々としていたけれど、やがて昼間の黒狼との闘いや、昨晩はレイが帰ってきた後の花の香りについて考えてしまって眠れなかったのもあって、疲れと寝不足が重なり、いつのまにか眠ってしまっていた。
朝方、ふと目を覚ますと、あたりはまだ薄暗かった。冬の朝は、景色までもがしっとりと沈んだ色をしている。
すぐ隣に手を伸ばすと、布団は冷たかった。
部屋の中も冷え込んでいて、布団から出るのもためらわれる。
隣には、レイの姿はなかった。
帰って来なかったのかな……
不安がよぎる。
身体を起こすと、窓際に置かれた椅子にレイがいた。
椅子の上に片膝を立てて、剣を抱え込むようにして眠っている。
帰ってきてくれたんだ……。
私は、ほっと胸を撫で下ろした。
薄暗がりの中、彼の白い陶器のような肌も銀の髪も色を失くして、とても儚げに見えた。まるで、このまま消えてしまいそうだ。
外套に包まっている。
絶対に、寒いよね……
こうして見ると、眠っている彼も普通の十九歳の男の子と変わらない。
私たちの世界だったら、大学に通って、バイトをしたり、カラオケに行ったり、ゲームを楽しんだりしてる年齢だ。
近衛騎士団長で、大貴族の当主といっても、私の一歳年下。
彼がまるでスパダリみたいだからって、私、甘えすぎてた。
昨日、あんなキスをされて、そのまま外へ出て行っちゃうし。
今は、こんな寒い場所で寝ちゃって……
「……もう」
愛しい……
そんなふうに思ってしまった。
私は、自分が使っていた毛布を手に取ると、かすかに寝息を立てている彼のそばへ歩み寄った。
睫毛、長いな……
彼の寝顔は、いつもよりずっと年下の男の子に見えた。
彼を起こさないように、そっと毛布をかける。
すると、剣を握っていた指がぴくりと動いた。次の瞬間、彼はカッと目を見開き、剣の柄を握り直した。
私も驚いて、手を止める。
視線を彷徨わせたレイは、やがて私の姿に気づいた。
「なんだ、ミツキか……」
そう安心したように呟くと、またぼんやりと微睡みの中へ戻っていく。
眠っているときも、彼は騎士なんだね。彼の心が、休まるときはあるのだろうか。
いつの日か、ゆっくり寝かせてあげたい……
「ここじゃ、寒いでしょ?……ベッドで寝ていいよ」
「…………もう、あさ?」
「ううん。まだ少し早いから大丈夫だよ」
「……んーー…………おきる」
そう言いながらも、彼は膝に頭を預けたまま目を閉じている。
レイは、朝が苦手だ。
「まだ外は暗いよ」
「あさは……あったかいミルクがいいな」
スー……。
ふたたび寝息を立てて、眠りの中へ彼は旅立ってしまった。
ダメだ……。寝ぼけてる。
しばらくすると、レイは慌てた様子で、がばっと身体を起こした。
恥ずかしそうに髪の毛を手で直しながら
「なんか、俺、寝ぼけてたかなっ」
て、言うから、私はにっこり笑って、ちょっとお姉さんぶってみた。
「大丈夫だよ。さ、あったかいミルク飲みに行こうか」
それを聞いたレイは、片眉を上げたまま固まっていた。
すっ視線を逸らすと、指先を口元に当てる。
「しっかり聞かれてるし……」
「ん?なに?」
「なんでもない」
そう言ったレイの頬は、ほんのりと紅くなっていた。




