第14話 揺れる夜
その後、私達二人はほとんど言葉を交わすことなく、宿屋までの道のりを戻っていた。
私の中で、先程、眼の前で起こった衝撃と、ソラの言葉をまだ受け入れられていなかった。
それ以上にレイも、私のことを気遣いながらも、落ち込んでいるようだった。
気まずい……
「レイ……、昨夜は魔獣の討伐に行ったの?」
気まずさを消そうと、重たい口を開く。
「……ああ。ニブルヘイム辺境伯領に入ってから、瘴気を感じていたし、情報収集の目的もあったけど、討伐していた」
「そうなんだ」
「そこでソラと会った。ともに討伐して、フロストヴァルトの森に同行することになったんだ」
「知らなかった。ごめんね」
「べつに。ミツキには話していなかったから」
話して欲しかった……
そう思ったけれど、私が知ったところで、何もできない。
ふと、疑問が湧く。
「じゃあ、どうして、いい匂いがしてたの?お花の匂いがしてた」
「ああ。……血の匂いをさせて、戻りたくなかった」
「え?」
私は思わず足を止めて、レイを見る。
「ちょっとした魔法だよ」
彼は少し、はにかんで笑う。
「マリィが教えてくれたんだ。俺が子どもの頃、母親がいないせいでバカにされることがあったんだけど、ある日、母親のことを侮辱されてさ。取っ組み合いの喧嘩をして、泥だらけになって帰ってきたんだ。それでも悔しくてさ。そしたら彼女がこの魔法を教えてくれて、笑って抱きしめてくれたんだ。“お花のいい匂いがする魔法”ってね」
そう言って、夕日を背に、はにかんで笑った彼の笑みが切なくて、泣きそうになった。
レイって……。
私のことを思って、血の匂いを消してくれてたんだ。
私の心が傷つかないように。
部屋に結界魔法をかけて、起こさないようにそっと部屋に戻ってきて、疲れて眠りについて、翌朝は何でもなかったように振る舞ってた。
彼の優しさに私は守られていたんだ。私が思っていた以上に。
ほんと、優しすぎるよ……
そして、そんな彼を優しく包むことが出来るマリアンヌには、かなわない……
その日の夕食は宿屋に近い酒場で、パンとスープを食べたけれど、味はよく分からなかった。
そして、私たちは部屋に戻り、ひとつしか無いベッドを挟んで、対峙していた。
「ダメだよ。レイが床で寝るなら私が寝る。だって、レイは黒狼と闘って、いっぱい疲れてるでしょ?」
「いや、これくらいはどうってことない」
「昨夜だって、討伐しててロクに寝てないし。知ってるよ、夜遅く帰って来たでしょ」
「ぐ……」
レイはそれ以上、何も言い返せなかった。
私はさっさと覚悟を決めて、布団に入り、毛布をめくって隣をトントンとする。
「ほら!さっさと入らないと、私が床に寝転ぶよ!?」
彼は口をへの字にして、突っ立っていたけれど、ため息をついた。
「……わかったよ」
彼は渋々といった感じで、私の隣に入ってきた。そして、ゴロンと向こうを向く。
部屋には魔法で灯された、小さな明かりひとつだけになる。
……………………眠れない。
「ねえ、レイ……起きてる?」
「………………」
「寝ちゃった?……ごめんね」
「……起きてるよ」
「そっか……ねえ、少し話してもいい?」
「なに?」
向こうを向いたままの彼の方を向いて、その背に話しかける。
「今日は、いろんなことがあった。私が、今まで知らなかったこと。想像もしたことのなかったこと」
「………………」
「ソラに言われて、わかったの。私は逃げてたんだって。弱かったって。現実と向き合うってことが、どういうことか解ってなかった。情けないね」
「……あんたは、異世界から来たんだ。育ってきた環境も違う、知らなくて当然だ。無理に俺達の現実に傷つかなくていい。自分を攻めることじゃない」
「……違うよ、レイ」
私は、彼の背中に額をコツンとつけた。彼の背が僅かにびくりと跳ねた。
「私は、ちゃんと生きたい。自分の足で立てるように。この世界では私は異世界からきた人間だけど、でも、もうみんな好きなの、大切な人たちがいる世界なの。アレク様やルーセルの力になりたいって思う。マリアンヌやランドルフ家のみんな好き。レイもだよ、好き」
「……ミツキ?」
レイが静かにこちらへ身体を向けると、私達は見つめ合う形になった。すぐそばに、彼の蒼い瞳がある。
「ソラに言われて傷ついた。でも、言ってくれてよかった。でないと、私は知らないままだったかも知れない。彼に会えてよかったと思う。とても大切なこと教えてくれたから。言い方はひどかったと思うけど」
私はクスッと笑った。
彼の瞳は潤んだように揺らめきながら、苦しそうに眉根を寄せている。
「俺は……間違っていたのかな?あんたを守っているつもりだったのは、違った?」
「そんなことないよ。私はずっとレイの優しさに守られてたんだね。今までありがとう」
そう言って私が微笑んだ次の瞬間、彼の瞳に、今までとは違う強い光が走った。
気づけば、私はレイに押し倒されていた。
「いい加減気づけよ!俺も男だって」
彼に両手首を掴まれ、頭上で布団に縫い付けられる。
そのまま私の手を一纏めにすると、もう片方の手で私は顎をつかまれて、かつてない至近距離で彼の綺麗な顔を見る形となった。
唇に触れるか触れないかの距離。低く、掠れた声に甘い吐息が混じる。
「他の男の話なんて聞きたくない……、俺のことも見てよ」
いつも冷静な蒼い瞳に熱が灯っている。揺れて煌めく青。強い光に射抜かれるようだ。
初めて見る、知らない男の顔。
両手と顎をつかまれて、私の身体は彼の身体でベッドに押さえつけられている。
逃げられない……。
身体が熱い。今さらだけど、レイも男だと意識する。
波に飲み込まれそうで怖い……
彼の唇が、私の唇に触れた。
……私、キスしてる!?
触れるくらいのキスは、すぐに喰むような口づけに変わっていく。口の中に受け入れてと言わんばかり。
長い指が顎から耳裏、首筋、肩と撫でていく。
あ……、ダメ……
肩から薄い布をずり下ろされた。
「ん……」
息ができない。苦しくなって、吐息とともに口を開く。
「待っ……」
私の懇願は、彼の唇に飲み込まれる。口の中へと彼の舌が割って入ると、私の舌を絡め取った。
「あ……」
吐息とキスの音が混ざる。
激しくぶつけられる熱に流されていく。
身体の中が熱い。私の熱?それとも彼の熱のせい?
ダメ……キスだけなのに、頭がぼうっとする。
彼の重みか吐息のせいなのか、身体の中が疼く。
もう、このまま彼と溶け合ってもいい……。
彼の掌が肩から胸元へ下りていく。
ハァ……
熱いキスの雨が止み、二人の視線が絡み合う。
ガラスのような綺麗な青の瞳の中に、顔を上気させた女の蕩けた顔が映っている。
彼も、私の瞳の中にいる自分を見たのかも知れない。
レイはハッとするように目を開くと、何か逡巡するように私の顔を見つめる。
少しして何かを吐き出すように息を吐くと、綺麗な顔を歪めて、そのまま私の肩に顔を埋めた。
そして、苦しそうに震える声で言った。
「ごめん……俺、どうかしてる」
まるで、泣いてるよう……
「ごめん……」
もう一度、短く言うと、彼は私を見ないでそのままベッドを出ると、外套を掴み「頭冷やしてくる」と部屋の外へと出て行ってしまった。




