第5話
第5話
翌日、ルカはマリーから手渡された連絡先の住所を訪れた。そこは市街地にあるごく普通の一戸建ての小さな家。表札にM・ハルウィと書かれている。マリーの居宅の住所だったのだ。
ルカは胸が高鳴った。いや、マリーの居宅の住所がわかったから、だからどうなんだという話なのだが。しかしなぜか胸が高鳴った。
人の気配がして思わず物陰に隠れた。家のドアが開き誰かが出てきた。マリーではなかった。30歳くらいの女性と5歳くらいの幼児。
ん、誰なんだろう。マリーとはどういう関係なのか。
マリーの姉とその娘とか?
マリーとはあまり似ていない女性だったけど、姉妹で似ているとは限らないしな。でも、あの女性の服装はちょっと貴族っぽくないというか、一緒にいた子供の方がそれらしい格好をしていたというか・・・
まあ、それは置いておこう。とりあえずどうする?
サロンの紹介状が欲しいという手紙を持ってきた。それをポストに入れて帰れば良いだけだ。家を出てドアの前にいる女性。今ならあの人に声をかけて手紙を渡してもらうという手もある。少し待ってからドアのベルを鳴らしてみても良い。マリーが出てくるかもしれない。「いやー、事務所かなにかの住所だと思い手紙を持ってきたのですが、まさかご自宅の御住所だったとは」と言って会話をしても良いだろう。嘘じゃないし!
そんな事をもんもんと考えているとドアからマリーも出てきた。これから3人で出かけるところだったのか。
サラ
「ママ遅い!」
マリー
「ごめんね。行こう。」
ルカ
「!?」
あの子は確かに今マリーの事をママと呼んだ・・・
つまりあの子はマリーの娘だ。マリーに子供がいたとは・・・
いや、正直言えば子供が出てきた時点で6割がた気づいていた。マリーの娘なんじゃないかなって。結婚していたのだから子供がいても不思議じゃない。でも違うと思いたかった。ちょうど大人の女性が一緒に出てきたものだから、その人の娘ということにしておきたかった。改めて見ればどう見ても従者じゃないか。
いや、そもそもあの娘はどちらの子だ? 前夫との間の子か? それともラスター大公との間の子?
考えていなかった。不覚にも全く考えていなかった。マリーに子供がいる可能性を。
そして、その子供が前夫との子か大公との子なのかでまた状況は大きく異なるじゃないか!
誰もいなくなったマリーの居宅前。ルカはとりあえず持参した手紙をポストに投函して帰宅した。帰ってから一度落ち着いて考えをまとめよう。
・・・・・
ルカは狂っていた。ちょっとマトモな精神状態ではなくなっていたと言って良いだろう。そう、同世代の恋に盲目な思春期男子たちと同じくらいに狂っていた。
ルカは優秀な少年だ。幼年学校での成績は片寄りこそあるがトップクラスだ。理知的でエレガント。美貌でいってもハンサムな部類に入る。身長は同年齢の男子の平均より低いが、まだこれから伸びるかもしれない。
が、恋に狂った。
恋心の危うさをなめてはいけない。女の取り合いで人殺しが起こることなど世間ではザラにあることなのだから。叶わぬ恋に逆恨みして相手を殺す事もあれば自殺する事もある。どれもありふれた事件ばかりだ。
恋に落ちるきっかけなど些細なものだ。
目と目が合っただけで恋に落ちる男女もいる。ルカの場合もそれと大差ない。
綺麗なお姉さんが優しく話をしてくれた。ただそれだけだ。しかし少年が恋に狂うきっかけには十分だった。
幼年学校は男女共学だ。同世代の女性と接する機会はそれなりにあった。そこで恋に落ちて告白をするとか恋人になるとか、そういう子供たちだって周りにいた。しかしルカには縁がなかった。そこまで好きになれるような女子はいなかった。マリーの魅力は同世代の女子など足元にも及ばないのだ。そう、まさに大人と子供だ。しかしそれを言い出すとルカもその子供なのだが。
客観的にみてもマリーは美人だ。年齢21歳。元々美人ではあるのだが最近では妖艶さが加わってきている。結婚歴があって子供がいて現在は貴族の愛人。その人生の苦労がしたたかさとなりマリーの美しさに妖しさを添えているのかもしれない。思春期の男子ならずとも入れ込みたくなる気持ちはわかる。
マリーが欲しい。
マリーと恋人になりたい。
マリーと結婚したい。
少年の恋心は純粋で真面目だった。貴族にとって「恋人になりたい」と「結婚したい」というのはイコールではない。むしろ「愛人になって欲しい」の方が一般的だ。
しかし少年はマリーを正妻にしたいと願った。詳しい事情までは知らないが、夫と死別して子供がいて貴族の愛人をしているのだ。とても苦労の多い人生を送ってきたに違いない。僕はマリーを幸せにしたい。妻として。家族として。
しかし子供がいた。
考えなければならない。
あの子供は前夫との子どもなのか、ラスター大公との子供なのか。
前者であれば、子供ともども愛せると思う。マリーと結婚して子供も自分の子とする。しかし後者であった場合はどうか?
まずラスター大公がマリーを手放さないだろう。マリーはラスター大公の複数いる愛人の一人にすぎない。マリーが離れると言えば止められないし止めもしないだろう。しかし子供がいるとなれば話はかわる。
ラスター大公に子供がいるという話は聞かない。しかし、もしマリーの娘がラスター大公の隠し子なのであれば婿養子をとって跡を継がせるという可能性がある。少なくとも手駒として手放すはずがない。大公が子供を手放さないとなれば母親のマリーもラスター大公の元を離れることはないだろう。母として当然だ。しかしそれでも、もしマリーがその子を連れて僕の元にきた場合、僕はその子を愛せるのだろうか。父親であるラスター大公を知っている身として。
ルカ・クロラントは狂っている。14歳の少年が子持ちの女性と結婚して子供を引き取ることについて真剣に考え悩んでいる。一度会話をした事があるだけの女性。しかも相手は大貴族の愛人だ。
ルカ・クロラントは冷静で理知的な少年だ。物事を成すには「準備が8割」だと信じている。何事も準備・下ごしらえが大切だとこの若さで心得ている。マリーを得るにはどうするべきかを冷静に考える。
現段階での結論にいたる。
情報がたりない。
情報が足りない。まずは情報収集だ。貴族のパーティにはよく呼ばれるのだからまずそこで他の貴族たちから情報を得よう。あと情報屋に金を払って集める。必要であれば自分でマリーを尾行して情報を掴もう。自宅がわかったのだから。そして、ラスター大公のサロンに通いマリーと親交を深める。
今後の方針は決まった。決まれば行動あるのみだ。
ルカ・クロラントは狂っている。
一歩間違えれば犯罪。一歩間違えれば人生を台無しにするような事をこれから行動に移そうとしている。恋は盲目だ。
・・・・・
(ルカの視点から)
はじめてマリーと出会った日から数か月。
必要な情報は揃ったと思う。
まず驚いたのが、マリーの父サザール侯が反逆罪で処刑されたという話。そしてそれがルカの祖父クロフォード公爵の策謀の結果であるという事。
マリーは21歳でルカより7歳年上。マリーの娘の名前はサラ。現在5歳。来年秋から幼年学校に入学。来年夏に卒業する僕とちょうど入れ替わりになる。
マリーの娘サラは前夫カール・ハルウィとの子供。父カールはサザール侯が処刑された煽りを受けて伯爵位を廃された後に暗殺されたらしいとのこと。
領地を追われたマリーは父サザール侯と親しかったラスター大公を頼って身を寄せ現在に至っているという事。
これらの情報を知った時には愕然とした。マリーはきっと不幸な身の上なのだろうとは思っていた。そこまでは予想していたのだが、その不幸は概ねルカの祖父クロフォード公爵のせいだったのだ。もちろんクロフォード公爵がそれを意図して行った事ではない。しかし、結果はそうなった。マリーが恨んでいてもおかしくない。というか恨む方が自然だ。そのクロフォード公爵の孫である自分。これはかなり分が悪い。
しかし、マリーは相変わらずルカに優しい。少なくとも会話をする限りにおいてルカにはそう感じられた。
ルカはこの数か月で何度もラスター大公のサロンを訪れた。はじめは他の参加者から奇異の目で見られたような気もする。祖父の政敵のサロンだ。当然といえば当然だ。しかしそれもはじめだけ。親族間での寝返りや裏工作に情報集めなど、貴族間ではさして珍しくもないことだ。いかなる場にも顔を出すというのは貴族としての基本的な処世術でもある。
サロンを訪れる理由はもちろんマリーと親しくなるためだ。不自然にならない程度にマリーとの会話を楽しむ。余裕ぶって軽く話してはいるが内心は緊張で倒れそうなくらいだ。
会話の中で僕がどういう人物なのかを紹介する。血縁的なこと、幼年学校卒業後のこと、将来のことなど。会話の中で自然とマリーは娘サラのことを話してくれた。当人にとっては隠すようなことではないという事だ。
自分が軽く身の上を話すとマリーも同様にそうしてくれた。主に過去の話、幼年学校の頃の話など。どれも雑談だ。しかし貴重な情報だ。僕はそれらを記憶しマリー情報として知識を整理していった。
サロンでマリーと話す時間はとても有意義だった。しかし、このままでは埒があかない。このまま無為に時間を過ごせばどうなるか。
娘サラは大公との子ではなくて安心したが、時間が経てばどうなるかわからない。子を身ごもるかもしれない。それに他の男に奪われる可能性もある。
僕はもうじき15歳になり幼年学校を卒業する。爵位も収入も得る。求婚はそのタイミングしかないだろう。
しかし、思えばマリーと会って話したのはパーティやサロンだけだ。求婚の前に一度くらいはプライベートで二人だけで会って話をしてみたい。なんとかならないものだろうか。
・・・・・
※この王国の慣習について
領主家の男子は幼年学校を卒業すると爵位を得る。基本的に子爵か男爵。例えば石高1万石の伯爵家であれば子供は全員知行500石の男爵に叙されるのが一般的。正妻の子も愛人の子も兄弟で差はつけられないが、家督の相続では正妻の子が優先される。嫡男が家督を継ぐと他の兄弟はそのまま家臣となる。
あくまでも慣習であって法ではないため、家督争いなどが起こりやすい。
王国法により領主死亡時に男子がいない場合はお家断絶・所領没収となる。そのため領主階級の貴族は複数の愛人を持ち子を作ろうとする。ただし養子への家督相続も認められている。




