臆病者の遺品
ギルドの遺品倉庫は、地下にある。
死んだ冒険者の持ち物が、相続人の現れるのを待つ場所だ。棚には番号札のついた箱や得物がずらりと並び、管理室の人間が定期的に埃を払う。……はずなのだが。
「こっちだ。奥の、一番端」
ガルドの案内で辿り着いたその区画だけは、床にうっすらと埃が積もっていた。この半年、誰一人近寄らなかった証拠だ。
そこに、盾があった。
大盾、という言葉すら小さく感じる代物だった。高さは俺の背丈ほど。厚い鋼の表面は塗装が剥げ、無数の傷と凹みに覆われている。壁に立てかけられたそれは、埃をかぶってなお、塔のように静かだった。
「グレン・ドゥーガルの……」
「ああ。〝北門の臆病者〟の盾だ」
俺は白手袋を嵌め、鑑定に入った。素手で触れるのは、まだだ。遺読は一つの遺品に一度きり。何をどう視るかは、外側を調べ尽くしてからと決めている。
まず把手。革は握り込まれて黒ずみ、内側の鋼には汗の錆が薄く浮いている。何千時間、何万時間の使用痕。間違いなく、本人が生涯使い込んだ愛用品だ。
次に、傷。
……妙だな。
「フィーネさん。ちょっといいか。あんた、剣士の目でこの盾の傷を見て、何か気づくことは」
フィーネは腕を組んで盾を眺め、それから眉を寄せた。
「――全部、正面ですね」
「だよな」
深い凹み、爪の痕、灼けた痕。あらゆる種類の傷が、盾の正面にだけ集中している。縁を回り込んで裏へ抜けた傷は一本もない。裏面は、把手の摩耗以外ほぼ無傷だ。
「逃げた男の盾ってのはな、フィーネさん。背中や横っ腹に傷がつくんだ。追われながら背負うからな。あるいは、身軽になるために捨てられて、無傷のまま戦場に残る」
「正面にだけ傷のある盾は……」
「最後まで、敵に正対してた盾だ」
それも、一歩も引かずに、だ。傷の深さが物語っている。躱しも流しもせず、足場ごと踏ん張って受け止めた傷ばかりだ。
俺たちはしばらく、黙って盾を見上げた。
五年前の北門。本隊を逃がす殿に立った十数人は壊滅し、その殿から盾持ちの英雄だけが生きて帰った。持ち場を捨てて逃げた臆病者――王都の誰もがそう言う。酒場の笑い話で、瓦版の悪役で、子供の悪口の定番だ。
だがこの盾は、まるで違う話をしている。
「……坊主。俺はな、あの人と何度か仕事をしたことがある」
ガルドが、ぽつりと言った。
「無口で、酒好きで、若い連中の飯代をいつも黙って払ってるような人だった。あの人が逃げたって聞いた時、俺は信じなかった。……信じなかったが、庇いもしなかった。それが、ずっと喉に刺さってる」
ガルドは大盾の縁の埃を、太い指でひと撫でした。半年分の埃は、王都がこの人に着せた無関心の、そのままの厚みだった。
だから半分は個人的な頼みだ、と言ったのか。
「室長。この盾、正式に鑑定します。それと――相続人の娘さんに、会わせてください」
ミレイユ・ドゥーガルは、北区の親戚の家にいた。
正確には、親戚の家の「納屋の隣の物置部屋」に、だ。通された俺たちの前で、叔母だという女は早口にまくし立てた。曰く、好意で預かってやっている。曰く、あの子の父親のせいでこっちは近所に顔向けできない。曰く、遺品? 盾? 売れるものなら売って、養育費の足しにしてもらいたいものだ――
「ミレイユには、俺から話します。二人で」
物置部屋の隅で、その子は膝を抱えて座っていた。
十歳。そばかすの浮いた頬に、大きすぎる古い前掛け。棚の上には、彼女の持ち物らしいものが少しだけ――畳んだ服と、欠けた櫛と、木彫りの熊が一つ。
「……お父さんの、盾の話?」
俺が名乗ると、ミレイユは先回りして言った。大人の用件を先回りする癖のついた子供の、乾いた声だった。
「いらない。見たくもない」
「そうか。理由を聞いても?」
「だって、臆病者の盾でしょ」
みんな言うもん、と彼女は続けた。学校の子も、先生も、叔母さんも。お父さんは仲間を見捨てて逃げた。英雄のくせに。だからあんな死に方をした。あたしは臆病者の娘。みんな、言うもん。
抑揚のない、暗誦のような言葉だった。五年間、浴び続けた言葉を、そのまま貼り付けただけの。
俺は、その場にしゃがんで目線を合わせた。
「ミレイユ。俺は遺品鑑定士だ。死んだ人の持ち物を調べて、本当のことを見つけるのが仕事だ。……で、今日はその仕事の途中経過を報告に来た」
「ほうこく?」
「あんたの父さんの盾には、傷が全部で三百七十一ある。全部、正面だ。背中側には一つもない」
ミレイユの目が、初めて俺を見た。
「それが何を意味するかの結論は、まだ言わない。調べ終わってないからな。ただ、覚えておいてくれ。人の口は嘘をつくが――遺品は、死んだ人が最後に遺した言葉だ。俺はそっちを信じる」
「…………」
「盾は、俺が預かってる。捨てるか受け取るかは、俺の仕事が終わってから決めてくれ。それでいいか?」
長い沈黙のあと、ミレイユはほんの少しだけ、頷いた。
帰り際、フィーネが物置部屋を振り返って、低い声で言った。
「ロイドさん。あの家から、あの子を早く出しましょう」
「ああ。……その為にも、まず汚名からだ」
ところが翌日、最初の壁が立ちはだかった。
「検死記録の閲覧申請――却下、だそうだ」
ギルドの帳場で、ガルドが渋い顔で書類を突き返してきた。凍死した英雄の検死記録。死因を疑う以上、真っ先に検めるべき文書だ。
「却下? 遺品の帰属鑑定は正式な依頼ですよ。関連記録の閲覧は正当な――」
「俺に言うな。上の判断だ」
書類の隅に、却下の印と署名があった。
バルガス・クレイン。ギルド、ヴェルガ支部長代理。
「……室長。このバルガスって人は」
「支部の実務の元締めだ。お前の営業許可も、ランクの査定も、最終的にはあの人の机を通る」
ガルドはそこで声を落とし、周囲を確かめてから続けた。
「それとな、坊主。これは覚えとけ。バルガス様は五年前まで軍にいた。最後の配属は――北門守備隊。隊長として、な」
北門の、生き残りがもう一人。
しかも今、死んだ部下の検死記録に、蓋をする側の席に座っている。
「……なるほど。臆病者の話ってのは、思ったより上等な仕立てらしい」
それも五年物の、ほつれ一つ見せなかった仕立てだ。
盾の傷は、嘘をつかない。なら嘘をついたのは、誰だ。




