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鑑定所の日常

審問から十日。ヴェスタ遺品鑑定所は、開店以来の椿事に見舞われていた。


 客が、来るのだ。


 「――はい、次の方どうぞ」


 帳場の横に椅子を並べたのはフィーネだ。番号札まで作った。番号札だぞ。じいさんの代から数えて、この店の待合が機能した日があっただろうか。


 きっかけは言うまでもない。瓦版が書き立てた「勇者の剣の鑑定士」の一件だ。おかげで持ち込まれるのは真っ当な遺品鑑定が半分、残り半分は「うちの蔵の壺も視てくれ」だの「別れた女房の心が視たい」だのの与太話。壺は視ん。女房は知らん。


 それでも――真っ当な半分は、確かに増えた。


 午後、店に入ってきたのは、小柄な老婦人だった。


 「戦死した主人の、指輪なんです」


 布包みから出てきたのは、飾りのない銅の指輪だった。十五年前、大厄災の初年に徴募された夫は、北の戦線で亡くなった。遺骨と一緒に返ってきた指輪を、老婦人はずっと仕舞い込んだままだったという。


 「今更なんですが……主人が最期にどんなだったか、ずっと、考えてしまって。苦しんだんじゃないか、怖かったんじゃないかって。噂で、あなたは遺品の声が聞こえると」


 「……声が聞こえる、は瓦版の書きすぎです。ただ」


 俺は指輪を受け取った。使い込まれ、内側が擦り減って鈍く光る、まぎれもない愛用品。


 「遺品が語ることは、あります。少し、預からせてください」


 片眼鏡の位置を直し、素手で、指輪を握り込む。


 燐光。浮遊感。流れ込んでくる、誰かの最期の時間――


 ――焚き火の匂い。


 戦場ではなかった。野営の天幕だ。毛布にくるまって、視界はもう、ほとんど利かない。熱に浮かされた身体。それでも怖さはなかった。指先で、指輪をゆっくり回している。


 浮かんでいるのは、若い女の顔だった。


 笑っている。怒っている。竈の前で、井戸の前で、祭りの雑踏で。何十年も前の、若い若い女房の顔ばかりが、いくつもいくつも――


 視界が戻ると、フィーネが差し出した手拭いが目の前にあった。鼻血だ。慣れたもので、彼女はもう驚きもしない。


 「……奥さん」


 俺は指輪を布の上に置き、老婦人に向き直った。さて、どう言えばいい。視えたままを言えば与太話だ。だから、鑑定士の言葉に直す。


 「戦傷で亡くなった方の遺品には、最期の恐怖や苦痛が、その、独特の傷み方として残るものです。この指輪には、それが一切ない。旦那さんは戦場ではなく野営で、毛布の中で、静かに逝かれたはずです。なんでしたら、ギルドの戦没記録を取り寄せて、所属隊の戦闘日と突き合わせましょう。裏の取れる話です。……苦しんだ最期じゃ、ありません」


 「……そう、ですか」


 「それと、これは鑑定士の勘ですが」


 俺は、少しだけ迷って、付け加えた。


 「最期に考えていたのは、たぶん、あなたのことだと思いますよ。ずいぶん若い頃の、あなたの」


 老婦人は指輪を両手で包んで、長いこと、声を殺して泣いた。


 依頼料は銅貨十枚。フィーネは帳簿をつけながら、「この店が儲からない理由、分かった気がします」と呟いた。悪かったな。




 厄介な客は、夕方に来た。


 「王都瓦版のピナ・クォートですっ! 審問所の『光る人影』について取材を――」


 「帰った帰った」


 「まだ何も聞いてませんよ!?」


 インクで汚れた指なし手袋に、ずり落ちる丸眼鏡。速記帳を構えた小柄な記者は、これで三度目の来訪だった。審問所であの燐光を見た目撃者は百人からいる。火のないところに煙は立たず、煙のあるところに瓦版は湧く。


 「あの光、勇者様の亡霊だって言う人もいるんです。ヴェスタさん、あなた一体何をしたんですか?」


 「火事場の馬鹿力に、みんなの見間違いが乗っただけだ」


 「百人が同じ見間違いを?」


 「集団心理ってやつは怖いな」


 「……ふうん? いいでしょう、今日のところは」


 ピナは速記帳をぱたんと閉じ、眼鏡の奥で、記者の目をした。


 「でも私、諦めが悪いので。あなたの記事、絶対いつか一面にしますから」


 嵐のように帰っていった。フィーネが半眼で俺を見る。


 「……力のこと、いつまで隠し通せますかね」


 「隠せる限りは隠す。あんな力、公になったら碌なことにならん」


 言いながら、俺は胸元の片眼鏡に触れた。


 ――じいさん、あんたはどこまで知ってたんだ?


 遺品には素手で触れるな。あの躾は、偶然じゃない。じいさんは俺の中の何かを知っていて、封をした。形見のこの片眼鏡は、力の栓なのか、それとも鍵なのか。継いだ「一の型」は今も身体にあるのに、あの夜以来、アルヴィスの声は一度も聞こえない。


 分からないことが、多すぎる。




 夜。店じまいの間際に、ガルドが顔を出した。


 「坊主。正式な依頼だ。ギルドの遺品管理室から……と言いたいところだが、半分は俺の個人的な頼みでな」


 差し出された依頼書に、俺は目を走らせた。


 故人の名、グレン・ドゥーガル。享年四十五。半年前、北区の路地で凍死。遺品は大盾一枚。相続人は娘が一人。


 「……ドゥーガル? 待ってください。それって」


 「ああ。〝北門の臆病者〟だ」


 ガルドの声は、苦かった。


 五年前、大厄災の最終防衛戦。北門の守備隊は殿を務めて壊滅し、ただ一人生き残った盾の英雄グレン・ドゥーガルには「持ち場を捨てて逃げた」という汚名が付いた。英雄紋を持ちながら仲間を見殺しにした男。酒に溺れ、路地で野垂れ死んだ、王都で一番軽蔑されている英雄だ。


 「遺品整理を、どの鑑定士も嫌がる。臆病者の盾なんぞ触りたくもないとよ。だがな、坊主。娘はまだ十歳だ。父親の遺品がどこの倉庫で腐るのか、それさえ知らされてない」


 「……受けます」


 即答していた。隣でフィーネも頷く。


 誰も触りたがらない遺品ほど、うちに来ればいい。それが場末の墓守の商売だ。


 「ただし室長、一つ確認を。――グレン・ドゥーガルの検死記録、閲覧できますか」


 「凍死だぞ? 何を疑う」


 「英雄の『不審じゃない死』を、俺は疑うことにしたんです」


 半年前に凍死した、紋持ちの英雄。


 その盾は今、何を覚えているのか。


 (幕間 了/第二章「盾の英雄」に続く)

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