剣は誰に遺されたか
審問の翌日、正式な裁定書が届いた。
遺産と遺品の一切は、唯一の血族フィーネ・ブレイナーへ。偽妹の中傷を刷り続けた瓦版は、手のひらを返したように「場末の鑑定士、勇者の剣で悪徳商会を斬る」と書き立てている。現金なものだ。
そして今、夕暮れの鑑定所で。
俺は布の上に置いた勇者の剣を、フィーネの前へ滑らせた。
「正当な持ち主に、返却する。……遺品鑑定士の、一番好きな仕事だ」
「…………はい」
フィーネは剣を胸に抱いた。彼女の兄が最期の夜まで手入れを欠かさなかった、飾り気のない鋼を。
その時だった。
剣が、光った。
昨夜からの微かな燐光が、堰を切ったように溢れ出す。青白い光の粒が、川の流れのように宙を渡り――俺の胸へ、流れ込んできた。
「なっ……ロイドさん!?」
熱くはなかった。ただ、温かい。誰かの手が、胸の真ん中にそっと置かれたような。
光が収まった時、俺は自分の身体の変化に気づいていた。
試しに、その辺の火掻き棒を握ってみる。……来る。沈む腰、掴む足裏、深くなる呼吸。剣を、勇者の剣を握っていないのに、「一の型」がそこにあった。借り物だった正解が、俺の身体に書き込まれている。
「型が……剣なしで」
呆然と呟いた、その耳の奥で。
『――ありがとう』
声が、した。
低く、まっすぐで、少しだけ疲れたような、若い男の声。振り返っても、誰もいない。フィーネは剣を抱いたまま、きょとんと俺を見ている。彼女には、聞こえていない。
『妹の潔白を、証明してくれた。剣を、あの子の手に返してくれた。……礼を言う、鑑定士どの』
「……アルヴィス、さん、か?」
声に出して問うと、フィーネがびくりと肩を揺らした。答えの代わりに、耳の奥の声は、微かに笑った気配がした。
『すまない。今はまだ、これだけしか届かない。……だが、覚えていてくれ。俺の剣は、お前に預けた』
それきり、声は途絶えた。
何度呼んでも、返らない。夢か? いや、違う。手の中の火掻き棒が、まだ「正解」を覚えている。これは夢の産物じゃない。
そして、気づいた。
胸の奥に、重みがひとつ、増えている。
嫌な重さじゃない。旅人が背負い直した荷のような、確かで、温かい重み。ああ――これが「継ぐ」ということか。技だけじゃない。この人が最期まで手放さなかったものを、丸ごと預かったのだ。
――遺品は、死者が最後に遺した言葉だ。
じいさん。言葉どころじゃなかったよ。死者は、剣も、型も、声も遺す。それを受け取っちまった鑑定士は、いったいどこまで運べばいい。
「ロイドさん。今……兄さんが、いたんですか」
フィーネの声は、震えていた。俺は迷った。なんと言えばいい。声が聞こえた? 姿もなく、証拠もなく?
……いや。この娘にだけは、誤魔化しは無しだ。
「聞こえた。礼を言われた。『妹の潔白を証明してくれて、ありがとう』と。……それと、剣は俺に預けた、と」
フィーネは長いこと黙っていた。泣くかと思った。だが顔を上げた彼女は、泣いていなかった。
「――やっぱり、兄さんは殺されたんですね」
「……ああ。そうなるな」
遺言偽造は暴いた。商会は潰れ、中傷は晴れた。だが、あの雨の夜の真相には、指一本触れていない。
病死と発表された勇者。綺麗すぎた遺体。検死書に署名を強いた役人。その後ろに立っていた、白い法衣。そして記憶の中、雨の向こうの――純白の袖。
ドレイクは屑だが、殺害犯じゃない。あの男に、勇者を殺せる道理がない。
「フィーネさん。ここから先は、遺言状とは桁の違う話になる。相手は商会みたいな分かりやすい悪党じゃない。もっと大きくて、もっと静かな何かだ。……あんたはもう、堂々と勇者の妹に戻った。ここで降りても、誰も」
「お断りします」
即答だった。
フィーネは抱いていた剣を、卓の上に――俺の前に、置き直した。
「兄さんは言ったんでしょう。剣はあなたに預けた、と。なら私は、兄さんの剣の面倒を見る係です。あなた、剣の手入れの仕方も知らないでしょう」
「……そりゃ、まあ」
「それに、あなたは弱すぎます。型だけ一人前で、身体はもやしで、すぐ無茶をする。誰かが隣で見ていないと、次の裏路地で死にます」
彼女はそこで初めて、少しだけ笑った。
「正式に、雇ってください。護衛兼、助手兼――相棒として。報酬は、兄さんの真相。それでどうですか」
俺は差し出された手を見た。
じいさん。あんたの言う通り、死人は嘘をつかない。そして、どうやら死人は――遺していくんだ。剣を、型を、声を。それから、こういう出会いを。
「……よろしく頼む、相棒」
握った手は、驚くほど強かった。
数日後。ギルドの酒場の隅で、ガルドがジョッキ越しに声を潜めた。
「坊主。例の件、妙な話を拾った。……ここだけの話だぞ」
「勇者の死因ですか」
「検死記録は箝口令付きだ。だがな、記録係だった男が、酔った席で一度だけ漏らしたらしい。――勇者様のご遺体にはな」
ガルドは周囲を見回し、指で自分の胸の真ん中を、とん、と叩いた。
「あるはずの英雄紋が、影も形も、なかったんだとよ」
英雄紋が、ない。
聖印庁が授け、英雄の証として死ぬまで消えないはずの、あの紋章が。
――器から、中身だけを抜き取ったような。
老医師の言葉が、耳の奥で反響した。俺の隣で、フィーネがゆっくりと顔を上げる。
勇者の死の真相への扉は、まだ最初の一枚が開いたばかりだった。
酒場からの帰り道。夜風の中で、フィーネが言った。
「ロイドさん。私たち、何から始めますか」
「……戦後の五年間で、死んだ認定英雄が何人いるか知ってるか」
彼女が首を振る。俺は指を折ってみせた。事故死、病死、討伐中の殉職。新聞の隅に載っては消えていった、英雄たちの訃報。あの雨の夜を視るまでは、俺もただの不運の連続だと思っていた。
「紋の消えた遺体が、あんたの兄さんだけなのかどうか。まずは、そこからだ」
「――はい。相棒」
路地の奥で、夜風が古びた看板を揺らしていた。
『ヴェスタ遺品鑑定所』。
場末の墓守の店は、明日から少しばかり、忙しくなる。
(第一章 了)
ここまでお読みいただきありがとうございます。第一章「勇者の剣」完結です。
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