帰属審問
王都商務院、第二審問所。
半円形の傍聴席は、開廷前から埋まっていた。当然だ。勇者の遺産を巡る争い、しかも片方は「偽妹」と噂の娘。王都中の野次馬が詰めかけている。
「――これより、故アルヴィス・ブレイナー殿の遺産に係る帰属審問を開廷する」
壇上の老仲裁人が木槌を鳴らした。商務院とギルドの合同仲裁。証拠品として提出された勇者の剣が、壇の脇の台座に据えられている。
商会側の弁士は、よく通る声の男だった。
「皆様。故人の遺言状はここに。公証所の検認を経て、王都最高峰たるモルガン鑑定室のユリウス・モルガン氏が真正と鑑定したものです。対するあちらの娘は――故人との血縁を示す何も、持っておりません」
「兄妹の記録は教区の洗礼台帳に」
「十五年前の大厄災で、当該教区の台帳は焼失している。都合のいいことですなあ」
傍聴席から下卑た笑いが漏れた。フィーネの拳が、膝の上で白くなる。
――攻めどころは、血縁の立証じゃない。そこは向こうの土俵だ。
「相手方鑑定人、発言を」
俺は立ち上がった。傍聴席のざわめき。あれが例のFランク、墓守、勇者の型を使うって噂の――雑音は聞き流す。
「フィーネ・ブレイナーの鑑定人、ロイド・ヴェスタ。……こちらから証明したいのは、一点だけです」
俺は言った。
「その遺言状が、偽物であること」
審問所が、どよめいた。弁士が芝居がかった仕草で肩をすくめ、証言席のユリウスが鼻で笑う。
「異議あり。Fランク鑑定士に遺言状の真贋を云々する資格が――」
「資格の話なら、後でたっぷりやりましょう。まずは事実の話だ」
俺は手帳の束を掲げた。
「故人の遠征手帳、三十一冊。ギルドに公式記録として保管されていたものです。仲裁人、ご確認を。全頁、灰色がかった安価な油煙墨で書かれている。故人は生涯、油煙墨しか使わなかった。これは従軍した複数の隊士の証言も取れています」
「……それが何か? 遺言という特別な文書に、上等な墨を使ったまでのことでしょう」
「かもしれません。では、確かめましょう」
俺は、壇上の仲裁人に向き直った。
「遺言状の原本の検分を求めます。この場で」
弁士の顔から、初めて余裕が消えた。
「い、異議あり! 原本は既に公証所の検認とAランク鑑定を経ている! 場末の鑑定士に触らせる謂れは」
「触りません。この場で、皆の目の前で、開いていただくだけでいい」
俺は傍聴席をぐるりと見渡して、言った。
「それとも――皆の前で開けない理由が、何かおありで?」
ざわめきが、潮のように商会側へ向いた。断れば疚しさの自白。仲裁人は数秒の沈黙ののち、木槌を打った。
「……原本を、これへ」
封蝋が解かれ、遺言状が壇上に広げられる。俺は近づき、触れずに、目だけで検めた。
あった。
艶のある、紫がかった黒。
「仲裁人。この墨は竜血墨――東方渡りの高級墨です。独特の紫艶は他の墨には出せない。ユリウス氏、Aランクの見立てでも相違ありませんね?」
「……だ、だったらどうした。高級品だという話なら今しがた」
「竜血墨が東方航路で初めて王都に入荷したのは、二ヶ月前です」
俺は、一枚の写しを掲げた。
「王都商務院、輸入台帳の抄本。この建物の一階で、誰でも閲覧できる公式記録だ。――さて、遺言状の日付をご覧ください。四ヶ月前。故人が亡くなる、ひと月前の日付です」
審問所が、静まり返った。
「四ヶ月前のこの国に、まだ存在しない墨で書かれた遺言状。……死者は嘘をつかない。だが紙と墨も、嘘をつかないんですよ」
一拍おいて、傍聴席が爆発した。
「死んだ後の墨で書いた遺言だと!?」「偽造じゃねえか!」「じゃあ、あの娘は本物の――」
仲裁人が何度も木槌を鳴らす。弁士は蒼白で書類をめくり、ユリウスは証言席で凍りついている。真贋鑑定書に署名した男。墨も検めずに、格と看板だけで「本物」の判を押した男。
「ユリウス氏。Aランク鑑定士として、いま一度うかがいます。この鑑定書は、あなたの署名で間違いない?」
「……ッ」
あの朝、俺の異議を破り捨てた指が、今は自分の署名を隠すように震えていた。
「じ、事務的な混乱があった可能性が! 日付の誤記という線も」
「なるほど。では誤記でない部分――署名の筆跡を、この手帳三十一冊と照合しましょうか。筆跡係の官吏を呼んで、何日でも」
「もういい!!」
叫んだのは、傍聴席のドレイクだった。総支配人は立ち上がり、顔を歪めて――そして、それが合図だった。
傍聴席の三箇所から、男たちが立った。外套の下から抜き身が閃く。狙いは壇上の遺言状。証拠を、物理的に消すつもりだ。
「原本を守れ!!」
衛士が動くより、賊のほうが速い。先頭の男が壇に飛び乗り、遺言状へ手を伸ばし――
その手首を、俺の掴んだ「それ」の峰が、打ち砕いていた。
台座の上の、勇者の剣。証拠品はいま、俺の手の中にある。
素手の柄から、熱が流れ込む。世界がゆっくりになる。そして満座の衆目の中――俺の背後に、青白い燐光が人の形に立ち上がった。
「……っ、な、なんだ、あれ」
「光って……人が、後ろに……」
二人目の斬撃を、燐光と重なった軌道が受け流す。三人目の膝を峰が薙ぎ、返す柄頭が顎を打ち抜く。教わったことのない足運びが、勇者の剣に振り回されるこの貧弱な身体を、それでも正解の場所へ運び続ける。
最後の一人が崩れ落ちた時、審問所は水を打ったように静かだった。
誰かが、ぽつりと言った。
「――勇者様の、構えだ。俺、凱旋式で見た。あれは勇者様の剣だ……」
俺は剣を納め、荒い息のまま、壇上の仲裁人に向き直った。
「……検分の、続きを」
半刻後。すべては終わっていた。
遺言状は偽造と断定。商会には帳簿の強制精査が命じられ――精査を最も恐れていた理由、すなわち勇者の遺産の横領は、日を置かず白日の下に晒されることになる。賊を差し向けた咎で、ドレイク・モルガンはその場で衛士に引き立てられた。
そしてユリウス・モルガン。虚偽鑑定への関与を問われ、Aランク資格は停止。ギルドは彼の過去の鑑定すべての再調査を宣言した。あの竜牙山の剣のすり替えも、破り捨てられた俺の異議も、全部掘り返されることになる。
「Fランクの、墓守が……!」
連行されながら、ユリウスが俺を睨んだ。俺は、教えてやった。
「墓守はな。墓を暴く奴を、一番許さないんだよ」
傍聴席の歓声の中、フィーネが泣き笑いの顔で、何度も頷いていた。
――その夜。
鑑定所の卓の上で、役目を終えた勇者の剣が。
誰も触れていないのに、微かな燐光を放ち始めた。




