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勇者商会

審問まで、あと四日。


 その男は、昼下がりの鑑定所に予告なく現れた。


 「これはこれは。噂の鑑定士どのの店は、ずいぶんと……趣がある」


 仕立ての良すぎる外套に、油で撫でつけた髪。勇者商会総支配人、ドレイク・モルガン。ユリウスの叔父にして、王都で五本の指に入る商人だ。供も連れず、一人で。


 「営業時間外だ」


 「手短に済ませよう。ヴェスタくん、と言ったかな。君、うちで働かないか」


 男は返事を待たず、卓の上に革袋を置いた。中身を確かめるまでもない。硬貨の重い音がした。


 「モルガン鑑定室の専属顧問。年俸は今の……そうだな、二十年分ほど出そう。もちろん、支度金は別だ」


 「条件は?」


 「なに、簡単なことだ。五日後の審問を、欠席したまえ」


 俺は革袋を見た。二十年分。この店の雨漏りが直って、じいさんの墓に大理石の墓標が立って、それでもまだ余る。


 「……一つ、聞いていいか」


 「なんなりと」


 「あんた、なんでそんなに焦ってる?」


 ドレイクの笑顔が、一瞬だけ強張った。


 「たかがFランクの鑑定士一人に、総支配人が直々に、供も連れずに来た。袋の紐も確かめずに置いた。……売れない商品を投げ売りする時の顔だ、それは。あんたの帳簿のどこかで、何かが燃えてるんじゃないのか」


 沈黙が落ちた。


 やがてドレイクは革袋を取り上げ、外套の内に仕舞った。商人の笑顔は、もうそこになかった。


 「――若いの。墓守が墓の外に出ると、碌なことにならんぞ」


 「奇遇だな。死人の口を塞ぐ奴も、碌な死に方をしない」


 扉が、乱暴に閉められた。




 「買収、ですか」


 夕方、事の次第を聞いたフィーネは、露骨に眉を寄せた。


 「二十年分……それ、断って大丈夫だったんですか。その、うちの依頼料、銅貨ですけど」


 「遺品鑑定士の相場だ。慣れてる」


 それより、と俺は話を進めた。収穫はあったのだ。ドレイクは焦っている。それも、審問の勝ち負けじゃない何かに。


 「今日はもう一つ、会ってほしい人がいる。……あんたの兄さんの遺体を検めた医者だ」


 ガルドの伝手で探し当てた。国葬の前、検死書に署名をした下町の老医師。何度も断られ、ようやく「日暮れに、裏口から」という条件で会えることになった。


 老医師の診療所は、薬草と黴の匂いがした。


 「……あの夜のことは、話すなと言われている」


 老人は、俺たちを診察室に入れると、まず窓の鎧戸を閉めた。それから長いこと黙り、フィーネの顔を見て――勇者と同じ空色の瞳を見て、観念したように肩を落とした。


 「妹さんか。……そうか。あんたには、知る権利があるかもしれん」


 「先生。兄は、病死だったんですか」


 「わしが診た限り」


 老医師は、一語ずつ絞り出した。


 「あれは、病人の身体ではなかった。病で死ぬ人間はな、嬢ちゃん。何ヶ月もかけて、蝋燭が燃え尽きるように痩せていくもんだ。だが勇者様の御身体は……頑健そのものだった。傷ひとつなく、綺麗なもんだった。綺麗すぎた」


 「死因に、心当たりは」


 「分からん。外傷なし、毒の痕跡なし、病変なし。まるで――」


 老人はそこで言葉を探し、両手で何かを掬うような仕草をした。


 「まるで、器から中身だけを抜き取ったような。……五十年医者をやって、あんな亡骸は初めて見た」


 器から、中身だけを。


 背筋を、冷たいものが這った。雨の記憶の中で感じた、あの感覚。体の芯で燃えていた熱が、栓を抜かれたように抜け落ちていく――


 「検死書には『病死』と書いた。書かされた、と言うべきかな。役人が持ってきた書面に、署名だけを求められた。断れる空気ではなかったよ。何しろその役人の後ろに」


 老医師の声が、ささやきに変わる。


 「白い法衣のお人が、立っておられたのでな」


 フィーネが、息を呑んだ。


 白い法衣。教会の――それも、ただの司祭ではあるまい。役人を黙って従わせる白い法衣なんて、この国には一種類しかない。


 聖印庁。


 「先生。この話、審問で証言していただくことは」


 「できん。……すまんな。わしにも家族がいる」


 それきり老人は口を閉ざし、俺たちは礼を言って診療所を出た。夜道を歩きながら、フィーネがぽつりと言った。


 「……教会が、兄さんの死を隠してる。そういうこと、ですか」


 「まだ分からん。だが少なくとも、商会の遺言偽造とは別の何かが、あの夜にはある」


 偽造の尻尾は掴みかけている。だがその先に、もっと大きな何かの影がある。一歩ずつだ。まずは五日後、目の前の敵から。




 その晩、俺は店の帳場で審問の資料を組み立てていた。フィーネは奥の客間だ。宿より安全だという判断で、しばらく泊まり込んでもらっている。


 物音は、裏口からした。


 蝶番の軋みより静かな、金具の外れる音。素人じゃない。


 俺は卓上の燭台を吹き消し、布に包んだ勇者の剣を引き寄せた。暗闇で、息を殺す。一人――いや、二人。足音を消して、店の中へ。狙いは帳場の金庫か、それとも。


 「――遺品に触るな」


 柄を素手で握ると同時に、世界が「正解」を思い出した。


 燐光が背に立つ。踏み込みの一歩が石畳を噛み、暗闇の中、最初の男の得物を峰が跳ね上げる。金属音。舌打ち。二人目の影が窓を蹴破って逃げ、一人目も身を翻す――逃がすか、と追った俺の肩を、闇の中から伸びた三本目の腕が掴んだ。


 しまった。三人目。


 突き飛ばされ、剣が手から離れる。途端に身体から「正解」が抜け落ちた。型が、消える。床に転がった俺の眼前に、短刀の光。


 振り下ろされる寸前、闖入者の手首を、白い刃が搦め取った。


 「――うちの鑑定士に、何か?」


 寝間着の上に外套を引っ掛けたフィーネが、闇の中で剣を構えていた。中段。腰が据わって、微動もしない。三人目はじりりと下がり、仲間の後を追って夜へ消えた。


 「……助かった。あんた、本当に強いな」


 「あなたが弱すぎるんです! 剣を手放したら、ただの人でしょう!」


 「返す言葉もない」


 俺は苦笑いして、床の剣を拾った。手の中に、また「正解」が戻ってくる。――なるほど、これがこの力の値段か。握っている間だけの、借り物の型。


 賊の落とした短刀には、何の刻印もなかった。だが誰の差し金かなど、考えるまでもない。原本を検められる前に、証拠ごと消したいわけだ。


 「フィーネさん。連中、審問を相当嫌がってるぞ」


 「つまり?」


 「勝ち筋がある、ってことだ」


 四日後。舞台は、王都商務院の審問所へ。

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