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御用鑑定人

翌朝、俺は冒険者ギルドの遺品管理室にいた。


 「――ほら。落とすなよ」


 ガルドの太い指が、帳場の下からするりと紙束を滑らせてきた。公証所の印が押された、遺言状の謄本だ。


 「室長。これ、どうやって」


 「聞くな。……昨日のあれは、俺も胸糞が悪かったんでな」


 強面の巨漢は、それだけ言って帳簿に目を戻した。昨日のあれ――ユリウスに書類を破かれた一件だ。この人はいつも、謝る代わりに仕事をくれる。


 謄本に目を落とす。


 文面は完璧だった。遺産、遺品、そして「勇者アルヴィス」の名と紋章の使用権のすべてを、勇者商会に託す。署名、アルヴィス・ブレイナー。


 「署名の写しを見る限り、筆跡は本物と区別がつかん。……それとな、坊主。悪い報せだ」


 ガルドが声を落とした。


 「この遺言状にはもう、真贋鑑定書がついてる。発行はモルガン鑑定室。署名は――ユリウス・モルガンだ」


 やはり、か。


 昨夜のゴロツキの言葉が裏付けられた。Aランク鑑定士のお墨付き。制度の上で、あの遺言状はもう「本物」だ。Fランクの俺が違うと喚いたところで、格の差で握り潰される。昨日の朝と、まったく同じ構図。


 「……格じゃ勝てないなら、物で勝つまでですよ」


 遺品鑑定士の戦い方は、いつだってそれしかない。




 その足で、俺とフィーネは兄妹の住んでいた家に向かった。


 王都三番街の小さなタウンハウス。勇者の住まいと聞けば誰もが宮殿を想像するだろうが、実際は花壇の煉瓦が欠けた、ごく普通の家だった。相続が決まるまでの封印付き。ただし妹が生活品を取りに入ることまでは、さすがに禁じられていない。


 「兄さんの書斎は、二階です」


 書斎は、驚くほど質素だった。


 文机がひとつ。そして壁一面の棚に、使い込まれた手帳がずらりと並んでいる。手に取ると、遠征の記録だった。日付、天候、進路、負傷者の名前、支給された糧食の数――几帳面という言葉が服を着たような字が、何十冊分。


 「……全部、同じ墨だな」


 どの頁も、わずかに掠れた灰色がかった黒。安物の油煙墨だ。すり減った墨壺が、文机の上に一つだけ載っている。


 「兄さん、物に頓着しない人でしたから。インクは油煙墨しか使いませんでした。焚き火の煤と膠があれば戦場でも作れるからって……聖剣を持ってても、そこは新兵のままなんです」


 フィーネは手帳の一冊を取り、頁を繰った。几帳面な文字の隙間、余白の走り書きに、彼女の指が止まる。


 ――帰還したら、フィーネに砥石を買う。前のは俺が欠けさせた。謝ること。


 「……ばか。そんなの、覚えてたんだ」


 掠れた灰色の文字を、フィーネは指先でそっとなぞった。魔王を討った英雄の手帳の余白には、妹への謝罪と、土産の算段と、剣の手入れ油の銘柄が書き込まれている。国葬で祭り上げられた「勇者」ではなく、一人の兄が、確かにここで生きていた。


 俺は少しの間、黙って待った。遺品の前で遺族が立ち止まる時間を邪魔しないのは、この仕事の作法だ。


 やがてフィーネが顔を上げ、小さく笑って、それから真顔になった。


 「それが、どうかしたんですか」


 「フィーネさん。商会が遺言状を公表した時、あんたは実物を見たか?」


 「ええ。公証所の閲覧会で、間近に」


 「墨の色は」


 彼女は目を閉じ、記憶を辿った。空色の瞳が、開かれる。


 「――黒じゃ、なかった。艶のある、紫がかった黒。綺麗な墨だと思ったんです。だから余計に、兄さんらしくないって」


 紫がかった艶のある黒。


 俺の頭の中で、鑑定士の商売道具である無数の墨色見本が、音を立てて一枚に絞られた。竜血墨――東方渡りの高級品。あの独特の紫艶は、他のどの墨にも出せない。


 そして俺の記憶が確かなら、あの墨が王都に入り始めたのは、ごく最近のはずだ。


 「フィーネさん。こいつは、思ったより綺麗に尻尾が出るかもしれない」


 確証はまだない。写しじゃ墨色は分からない。原本を、公の場で検めさせる必要がある。


 ――その機会は、向こうから来ることになる。




 午後、報告のために戻ったギルドの帳場で、ちょっとした騒ぎが起きていた。


 「ですから! これは間違いなく魔銀の短剣です。モルガン鑑定室の鑑定書もある!」


 商人風の男が、装飾のついた短剣を振りかざしている。聞けば、さる男爵家への納入品に「偽物ではないか」と疑いがかかり、ギルドに再鑑定の仲裁を求めに来たらしい。


 対応していた職員が、俺に気づいて――気まずそうに目を逸らした。ユリウスの取り巻きの一人だ。


 「再鑑定と言われても、Aランクの鑑定済みですし……」


 「なら俺が見よう」


 気づけば、口を挟んでいた。商人が眉をひそめる。


 「あんたは?」


 「Fランクの遺品鑑定士。……ただし、金属の目利きは死んだ持ち主の数だけやってる」


 短剣を借り、窓の光にかざす。美しい銀白の刃。魔銀特有の、水面のような波紋も浮いている。なるほど、素人なら騙される。Aランク様が書類仕事のついでに眺めたのなら、なおさら。


 「波紋の間隔が、等しすぎる」


 「……は?」


 「魔銀の波紋は結晶の癖だ。天然物は必ず偏る。等間隔の波紋は、鋳型に彫った模様――つまり鋳物の証拠だ。それと」


 俺は帳場の隅の、書類留めの磁石を摘み上げた。


 「魔銀は磁石に付かない。付くとすれば、中身が鉄の張りぼてだからだ」


 磁石を、刃に近づける。


 かちん、と。


 小気味いい音を立てて、天下のAランクが「真正」と鑑定した魔銀の短剣は、安物の磁石に吸い付いた。


 帳場が、静まり返った。


 商人は青ざめ、それから怒りで赤くなり、鑑定書を握り潰して出て行った。行き先はモルガン鑑定室だろう。ご愁傷様、と思う程度には、俺も人が悪い。


 「……おい、墓守。今の、あちこちに言い触らすぞ」


 ガルドがにやりと笑って、俺は肩をすくめた。胸がすく、というのはこういうことか。昨日破られた書類の分くらいは、返してもらった気分だった。


 だが、浮かれていられたのはそこまでだった。


 夕刻、鑑定所に戻った俺たちを待っていたのは、扉に挟まれた一通の通知書だ。


 差出は王都商務院。


 ――勇者アルヴィスの遺産に係る帰属審問を、五日後に開廷する。


 申立人、勇者商会。相手方、フィーネ・ブレイナー。付記された申立理由の欄に、その一文はあった。


 『相手方は故人の親族を僭称する者であり――』


 「……僭称」


 フィーネの声が、震えていた。怒りだ。俺は通知書の末尾、商会側の鑑定人の名を指で叩いた。


 ユリウス・モルガン。


 「望むところだ。……なあ、フィーネさん。五日後、公開の審問所で、原本を検めてやろう」

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