翠の燐光
審問から二日後の朝、ピナが瓦版の束を抱えて鑑定所に飛び込んできた。
「刷り上がりましたよ! ほら、一面!」
『双剣のリタ、汚名雪がる――偽造証文の興行主を拘束』
商務院の公示も出た。戦績は全面回復。薬物の風説は公式に否定。瓦版の署名は、ピナ・クォート。彼女の記事が一面を張るのは、これが初めてだという。
「祝いはあとだ。……今日は、返すものがある」
帳場の上には、白布を掛けた二振りの剣。ギルドの返還状には、昨日ガルドさんの署名が入った。
昼過ぎ、稽古着のカヤが来た。入ってくるなり布の膨らみに目を留めて、それきり動かなくなった。
「帰属審問の裁定に基づき、双剣ならびに戦績記録一式を、正当な相続人に引き渡す。……受け取ってくれ」
白布を外す。左右で長さの違う、使い込まれた双剣。カヤは何度も手を拭いてから、両手を伸ばした。
そして、受け取る寸前で止めて、剣に向かって頭を下げた。剣士の礼だった。
「姐さん」
声は、震えていなかった。
「あたし、強くなる。この剣に恥じないように稽古して、いつか姐さんみたいな剣士になる。……だから」
少女は顔を上げ、笑った。泣き笑いだった。
「胸張って、継ぐから」
カヤの手が、二本の柄を握った。
その瞬間――剣が、翠に燃えた。
燐光が炎のように立ちのぼり、けれど熱もなく、剣からほどけて宙に散る。えっ、とカヤが目を見開く。光の粒は渦を巻き、吸い寄せられるように――俺の胸へ、流れ込んできた。
春の野原みたいな色の光が、骨の奥まで染みてくる。誰かの足運びが、誰かの呼吸が、誰かの剣の速さが、俺の芯に刻まれていく。
「……ロイドさん!?」
「大丈夫、だ。……ああ、これで三人目だから、さすがに分かる」
膝をつきかけたのを堪えて、俺は自分の掌を見た。
俺の力は、二段構えだ。遺品を握っている間だけ、死者の技を借りられる。これを俺は仮承と呼んでいる。借り物だから、同時に扱えるのは一人分だけ。
だが、遺品に残った未練が本当に解かれた時――力は借り物じゃなくなる。魂に定着して、遺品を手放しても消えず、いくつでも併せて使える。継承だ。アルヴィスさんの剣、グレンさんの盾。
そして今、双剣の型が、三つ目としてここに刻まれた。
三つ目だ。……俺は、いくつまで背負える?
ふと湧いたその問いは、答えのないまま、胸の底に沈んだ。
『――は?』
頭上から、声が降ってきた。
翠の光の名残の中に、緋色の短い髪の女が、腕組みして浮かんでいた。革装に、腰の左右に双剣。呆れ顔で自分の手を透かし見て、それから俺を睨む。
『なにあんた、あたしの技、勝手に使えんの? ずっる』
「……初対面の第一声がそれですか、リタさん」
『げっ、視えてんの!? 聞こえてんの!? ……ああもう、なにこれ、どうなってんのよ』
『よお、双剣の』
大盾の隣から、琥珀色の巨漢がのっそり現れた。リタの霊が、露骨に顔をしかめる。
『げ。北門のおっさん。……あんたも死んでたんだ。ていうか、あんたもいるの? この店』
『おう。飯は出ねえが、居心地は悪くねえぜ』
「あの、ロイドさん。さっきから、どなたと」
フィーネが困惑している。カヤも双剣を抱えたまま、俺と宙を交互に見ている。二人には、翠の光が散ったところまでしか視えていない。
「……リタさんだ。今、この店にいる。あんたのすぐ前に」
「!」
カヤが息を呑んで、俺の視線の先を見た。もちろん、少女の目には何も映らない。
ただ、リタの霊は――さっきまでの仏頂面を消して、姿勢を正した。腰の剣の位置を直し、背筋を伸ばして、弟子の前に立った。視えないと分かっていて、そうした。
『……なによ、あんた。ちょっと見ない間に、いい顔するようになったじゃない』
伸ばした指先は、カヤの頬に触れる寸前で、空を切った。
『稽古、続けなさいよ。あんたの剣、あたしが継がせた剣なんだから』
「リタさんは、なんて?」
「……『稽古を続けろ』と。『あんたの剣は、あたしが胸を張って継がせた剣だ』と」
カヤは双剣を抱きしめて、深く、長く、頷いた。それから顔を上げ、掠れた声で訊いた。
「なあ。あんたの目に映ってる姐さんは……どんな顔、してる?」
「胸を張ってる。……いい師匠の顔だ」
少女は袖で目元を拭って、笑った。宙に浮いた緋色の霊が、ふん、と鼻を鳴らして横を向く。その耳が、ほんのり赤かった。
夕方には、鑑定所はいつもの騒がしさに戻っていた。
ミレイユが麦湯を配って回り、ピナが一面記事の自慢を三回繰り返し、カヤは「明日から稽古の帰りに寄る」と宣言して闘技場に戻っていった。リタの霊は店の中をひとしきり検分して、『辛気くさい店』と毒づきながら、まんざらでもなさそうに帳場の上に陣取った。
『しかし坊主、あんた妙な商売してんね。死人拾って歩いてんの?』
「人聞きの悪い。……こっちが拾われてる日もありますよ」
リタは帳場の上から店を見回し、麦湯を運ぶミレイユのところで目を止めた。
『……ちょっと待って。あのチビ、まさか』
『おう。俺の娘だ』
『は? 嘘でしょ、あんたに似ても似つかない。可愛いじゃないの』
それから翠の目は、稽古着の埃を払うフィーネへ移った。
『そっちの金髪の子、歩き方に剣が入ってるわね。誰かにみっちり仕込まれた足だ。……いいわ、この店。退屈はしなさそう』
グレンが笑い、フィーネが首を傾げ、俺は茶を淹れ直した。場末の鑑定所が、また少し、賑やかになった。
夜。店じまいの灯を落とした帳場で、リタがふいに真顔になった。
『……ねえ、坊主。ひとつ訊いていい?』
「なんです」
『あたしって――なんで死んだの?』
帳場の空気が、止まった。
『引退試合に勝ったとこまでは覚えてんのよ。生涯最高の出来だった。で、気がついたらこれ。……そのあいだを思い出そうとすると、そこだけ、霞んでやがる』
翠の燐光が、所在なげに揺れる。
俺はグレンと目を見交わした。琥珀の霊が、静かに首を横に振る。――こいつの頭からも、抜け落ちてる。俺たちと同じだ、とその目が言っていた。
「……明日、全部話します。あんたが視ていない、あんたの最期の話だ」
長い話になる。そして話し終えたとき、この気の強い双剣の英雄が何を思うのか、俺にはまだ、想像がつかなかった。




