剣聖
翌朝、闘技場の調査に出る前に、俺とフィーネは丘の上の墓地にいた。
ブレイナー家の墓。飾り気のない灰色の石に、アルヴィスの名が刻まれている。フィーネは月の半ばに必ずここへ来る。今日は俺も、報告したいことがあって同行した。
「……あんたの隣で戦った人が、また一人死んだ。双剣のリタ・アッシュフォード。あんたなら、名前くらいは知ってるだろう」
墓石は答えない。だが胸の奥で、一の型の重みが、微かに震えた気がした。気のせいかもしれない。気のせいじゃないかもしれない。あの夜以来、声は一度も届かないままだ。
フィーネが花を供え、目を閉じて、長く祈った。
その静寂を破ったのは、砂利を踏む重い足音だった。
「――どけ。そこは俺が先に約束していた場所だ」
振り返って、まず目に入ったのは黒だった。
黒い鎧。夜を鋳込んだような黒塗りの胸甲に、無骨な大剣。男の背丈は俺より頭一つ高く、歩いてくるだけで、墓地の空気が張り詰めていく。
隣で、グレンの霊が唸った。
『……坊主、下がってろ。ありゃあ、格が違う』
北門で第三波を正面から受け止めた男が、迷いなくそう言った。それだけで十分だった。
「ヴァン、さん……?」
フィーネの声に、黒鎧の足が止まった。
「……フィーネか。大きくなったな」
「五年、ぶりです」
フィーネの声が、ほんの少しだけ、幼くなった。
剣聖ヴァン・シュトラール。生きた認定英雄の最高峰。そして――アルヴィスの隊で、あの人の隣を歩いた剣士。
ヴァンはフィーネの前まで来ると、無言で花を一輪、墓前に置いた。野の花だった。道すがら、無骨な手で摘んできたらしい。
「……戻ったぞ、アルヴィス。遅くなった」
低い声は、それだけ言って途切れた。それから彼は立ち上がり、初めて俺を見た。
目が合った瞬間、背筋が凍った。
殺気、という言葉では足りない。これは「値踏み」だ。斬るに値するか、放置するに値するか。それだけを測る目。
「貴様が、墓荒らしの鑑定士か」
「……遺品鑑定士の、ロイド・ヴェスタです」
「聞いている。死人の持ち物を漁って名を上げた場末の墓守が――アルヴィスの型を騙っている、とな」
一歩、踏み込まれた。
それだけで、俺の足は勝手に半歩退がった。抜いてもいない。構えてもいない。ただ歩いただけの男に、身体が「死」を予感して勝手に動く。これが、生きた英雄。
「……騙った覚えはありません。預かっている、とは思っていますが」
「預かる? 死人の技をか。言うに事欠いて」
値踏みの目が、すっと細くなった。俺は退がりそうになる足を、意志の力で釘付けにした。
「あなたこそ、俺を斬るためだけに王都へ?」
「自惚れるな。俺が戻ったのは――リタが死んだからだ」
剣聖は、吐き捨てるように言った。
「五年だ。この五年で、俺が名を知る強い連中が、何人も妙な死に方をした。事故、病、あげくに凍死。……胸騒ぎがして、王都へ戻る道の半ばで、リタの訃報に追い抜かれた。あのリタが、心の臓だと? 笑わせる。あいつの心の臓は、俺のより頑丈だった」
「なら、俺たちの調べていることと」
「それとこれとは、別の話だ」
取り付く島もなく、話は元の場所へ戻された。
「ヴァンさん、違います!」
フィーネが、俺とヴァンの間に割って入った。
「ロイドさんは兄さんの汚名を雪いでくれた人です。偽の遺言状を暴いて、剣を取り戻してくれて――」
「それは聞いた。だから今日まで放っておいた」
ヴァンの目は、フィーネ越しに俺を見たままだ。
「だがな、フィーネ。剣士の型ってのは、家の紋章と同じだ。何年隣で見てきたと思ってる。あいつの型は、あいつが万の素振りで刻んだ、あいつだけの銘だ。……それを、剣も握ったことのないような優男が使ってみせたと聞いて、笑って流せるほど、俺は大人じゃない」
「兄さんの型を使えるのには、理由が」
「なら、見せてもらう」
ヴァンは初めて、笑った。獲物を見つけた獣の笑いだった。
「明後日の夜明け、闘技場に来い。興行主には俺から話を通す。……型が本物なら、それでいい。偽物なら」
大剣の柄に、無骨な手が置かれた。
「アルヴィスの銘を騙った罪で、その場で斬る」
「受ける理由はありません。逃げましょう」
帰り道、フィーネは真剣にそう言った。当のフィーネが言うのだから、勝ち目のなさは本物だ。
「ヴァンさんは昔から、剣のことになると人が変わるんです。兄さんとの手合わせだって、いつも本気で……あなたが死んだら、元も子もありません」
「ああ。……ただな、フィーネさん。一つ気になったんだ」
あの時。殺気の合間に、剣聖は確かにこう言った。
「『リタが死んだから戻った』。あの人はそう言った。墓参りより先に、俺を斬りに来たんじゃない。あの人が王都に戻った理由は、リタさんの死そのものだ」
「それって……」
「疑ってるんだ、あの人も。この五年、英雄が死にすぎることを」
剣聖ヴァン・シュトラール。庁でもギルドでもない、生きた英雄その人が、同じ疑いを持って王都に帰ってきた。なら、あれは壁じゃない。
斬られなければ、この上ない味方になり得る。
「それに、気づいてるか。果たし合いは明後日の夜明け、場所は闘技場。……審査会と同じ日の、同じ建物だ」
「あ……」
「剣聖が興行主に話を通してくれるおかげで、俺たちは審査会の朝から、堂々とあの建物に入れる。控室の検分も、聞き込みもし放題だ。……向こうから舞台を用意してくれるのは、これで二度目だな」
フィーネが、じっとりと俺を見た。
「まだ勝ってもいないのに、その言い草……」
「だから、受ける。逃げたら二度と、あの人は口を利いてくれない気がする」
「……はあ。あなたって人は」
フィーネは額を押さえ、それから、覚悟を決めた顔になった。
「分かりました。なら明日は一日、私が稽古をつけます。ヴァンさんの剣は、私が一番よく知っていますから」
隣でグレンが、にやりと笑った。
『いい面構えになってきたじゃねえか、坊主。……ようし、俺も一枚噛むぜ。盾持ちの視点ってのは、剣聖相手にゃ案外効くんだ』
『それとな、一つだけ覚えとけ。ああいう極まった剣ってのは、受けに回られたら百年かかっても崩せねえ。だが、向こうがこっちを「測る」最初の一合……そこにだけは、隙間がある。お前が土俵に乗れるのは、そこだけだ』
こうして俺の予定表には、興行審査会の朝に「剣聖との果たし合い」が書き加えられた。
我ながら、めちゃくちゃな三日間になってきた。




