双剣の弟子
双剣のリタの訃報が瓦版に載った、その翌朝だった。
開店前の鑑定所の扉が、叩き割られそうな勢いで鳴った。
「頼もう! ここ、勇者の剣の鑑定士の店で合ってるよな!?」
飛び込んできたのは、稽古着姿の少女だった。歳の頃は十六、七。無造作に切り詰めた短い髪に、手の甲まで豆だらけの、剣を握る人間の手。
『おいおい。朝っぱらから、威勢のいい嬢ちゃんだな。……この店ぁ、ああいうのが飛び込んでくる巡り合わせでも付いてんのか?』
帳場の奥で大盾に寄りかかっていたグレンが、のっそりと顔を上げた。もちろん、少女には聞こえていない。
「勇者の剣の鑑定士は、瓦版が勝手につけた名前だ。うちはただの遺品鑑定所で――」
「なら合ってる! あんたに鑑定してほしい遺品がある」
少女は帳場に両手をついて、まっすぐ俺を見た。目の縁が赤い。一晩中泣いて、それから泣くのをやめてきた目だった。
「双剣のリタ・アッシュフォード。あたしの師匠の、剣だ」
少女の名はカヤ。身寄りはなく、十一の歳から闘技場の下働きで、十二でリタに拾われて住み込みの弟子になった。丸四年、あの緋色の髪の背中だけを見て育ったという。
ミレイユが黙って麦湯を出した。自分がこの店に来た日のことを、思い出しているのかもしれない。カヤは一息に飲み干して、話し始めた。
「三日前の夜が、姐さんの引退試合だった。相手は現役最強の挑戦者で、満場の札止め。……姐さんは勝ったんだ。生涯で一番きれいな剣だった。なのに」
試合のあと、控室で。
歓声がまだ廊下に残ってるうちに、リタ・アッシュフォードは死んだ。外傷ひとつなく、毒の痕もなく、検死は「急性心不全」。享年二十六。剣士として、体のどこにも悪いところなんてなかったのに。
「訃報が瓦版に載るまで、二日もかかった。興行主が伏せてたんだ。そのくせ、葬式も終わってないうちに、あいつはこれを寄越した」
叩きつけられた書状を、俺は片眼鏡越しに検めた。
王都闘技場興行主、ザイロス・グーデ。曰く、リタ・アッシュフォードの双剣および戦績記録の管理権は興行契約に基づき闘技場に帰属する。曰く、次回の興行審査会にて処遇を決定する。異存ある者は――
「審査会は三日後だ。双剣は今、闘技場の保管庫にある。審査会が終わったら、あいつ、売る気だよ。姐さんの剣は名工の打った業物だから、貴族の壁飾りにすれば大金になる」
「……あんたは、リタさんの唯一の弟子だ。遺品の相続を主張できる立場だと思うが」
「したさ! そしたら『契約書を読め、小娘』って門前払いだ。だから、来た。瓦版で読んだんだ。北門の英雄の汚名を雪いだ鑑定士がいる。死んだ人の持ち物から、本当のことを見つける人がいるって」
カヤは懐から小さな革袋を出し、逆さにした。帳場の上に、銅貨が三枚、転がった。
「あたしの全財産。足りない分は、体で払う。掃除でも荷運びでも何でもやる。だから――」
少女は、頭を下げた。剣士の礼だった。
「姐さんの剣を、あいつから取り戻してくれ。それと……教えてほしいんだ。姐さんが、どうして死んだのか。本当のことを」
「姐さんはさ」
依頼書を書きながら、カヤはぽつりぽつりと話した。
「口が悪くて、酒癖も悪くて、金遣いはもっと悪くてさ。でも、剣のことだけは誰より綺麗だった。八百長の話が来るたびに、蹴っ飛ばして帰ってきた。それで興行主とは、ずっと揉めてた」
「引退の理由は?」
「あたし」
カヤは、自分の掌の豆を見た。
「『あんたが独り立ちするまでの繋ぎだよ』って言ってた。引退したら道場をやるんだって。それでさ、姐さん、口癖があったんだ。……『あたしの剣は汚れてない。いつかあんたに、胸を張って継がせる』って。何百回も聞かされた」
あたしの剣は汚れてない。カヤに、胸を張って継がせたい。
それが果たされないまま、剣は今、壁飾りにされかけている。
「――依頼を受ける。料金は銅貨三枚。うちの正規の相場だ」
「え、でも」
「それと、本当のことを知りたいという依頼はな、うちでは一番上等な依頼だ。……値切るなよ」
カヤの目に、また水の膜が張った。今度は拭わなかった。
隣でグレンが、太い腕を組んで唸る。
『双剣の嬢ちゃんか。闘技場で二、三度、観た。あの歳であの剣は本物だぜ、坊主。……薬だの心の臓だの、寝言も大概にしろって話だ』
「私も、観たことがあります」
フィーネが静かに言った。
「二年前の御前興行を、兄と一緒に。……あの人の双剣は、舞のようでした。あんな剣を遣う人が、薬に頼るなんて、剣士として考えられません」
俺は頷く代わりに、依頼書に署名した。引退試合を勝ちきった二十六歳の剣士が、控室で、外傷も毒もなく急死する。
その死に方に、俺は心当たりがありすぎる。体の芯から、熱だけを抜き取られるような最期に。
夕刻。閉店間際の扉を、今度はピナが蹴り開けた。
「ロイドさん、これ! 夕刊の三流紙!」
突き出された紙面の見出しに、店の空気が凍った。
『双剣のリタ、薬物中毒死か――闘技場関係者が証言』
曰く、華々しい強さの裏で禁制の強壮薬に溺れていた。曰く、急死はその中毒死。曰く、事実が公になれば戦績は無効、興行規約により賭けも全て不成立となる見込み――
「嘘だっ!!」
カヤの拳が帳場を叩いた。当然だ。だが問題は、記事の出来のほうだった。素人の飛ばし記事じゃない。検死の用語も、興行規約の引用も、玄人の手際で組んである。
「この売り込み、昨日うちの社にも来たんです。うちはガセ元不明で蹴りましたけど……文の癖に、覚えがあるんですよね。理屈で殴る、嫌味な書き回し。どこかの没落した元Aランク様の匂いが、ぷんぷんします」
ユリウス・モルガン。またお前か。
「ロイドさん、これって」
「ああ。死んだ英雄を、もう一度殺す気だ」
名誉ごと剣を汚してしまえば、誰も遺品の行方なんて気にしなくなる。よくできた筋書きだ。胸糞が悪いくらいに。
俺は帳場の銅貨三枚を、金庫ではなく、守り袋にしまった。
「カヤ。期限は三日だ。三日で、あんたの姐さんの剣が汚れてないことを証明する」
審査会まで、あと三日。
『坊主』と、グレンが低く言った。『今度の相手は、死人の名誉ごと剣を売り飛ばす算段だ。……北門より、性質が悪いぜ』
「ええ。だから今回も、やることは同じです。――物証で殴る」
夜の窓の外で、闘技場の方角の空が、嫌に赤く見えた。




