表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
11/21

五年前の北門

「証人捜し、ですか? でも五年間、北門の生き残りで口を開いた人なんて、一人もいませんよ」


 ピナが資料室の紙面をめくりながら首を傾げた。俺は首を振った。


 「本隊の連中は当てにしてない。五年黙り通した人間は、これからも黙る。理由はまだ分からんが、揃いも揃って沈黙してるってこと自体が、何かある証拠だ。……だから狙いを変える」


 「変えるって、どこに」


 「あの夜、殿が壊滅するより前に、負傷して門の内へ後送された兵だ。担架で運ばれた人間なら、退がったことに一点の後ろ暗さもない。しかも負傷者は名簿に残る。ガルドさんの徴用名簿と、瓦版の負傷者名簿を突き合わせれば――」


 「……いた」


 フィーネが、名簿の一点を指で押さえた。


 ドナン・ロッツ。当時三十八歳、槍兵。北門の戦いで左脚を失い、除隊。現住所、北区七番通り。


 職業、靴屋。




 北区七番通りの靴屋は、革と蝋の匂いがした。


 「――帰んな」


 義足の男は、俺たちが名乗り終える前に、そう言った。作業台から顔も上げない。節くれだった手が、黙々と靴底を縫っていく。


 「北門の話は、しねえ。誰にもだ」


 「ドナンさん。俺はグレン・ドゥーガルの遺品の鑑定を」


 「隊長殿の犬か? なら余計に話はねえ」


 隊長殿、ときた。バルガスの息がここにも届いているらしい。俺はフィーネと目を見交わし、それから懐の包みを、作業台の上にそっと置いた。


 開いた布の中身は、盾の拓本だった。三百七十一の傷を、一枚ずつ写し取ったもの。


 「……なんだ、こりゃ」


 「グレンさんの大盾の傷です。全部で三百七十一。一つ残らず、正面に受けた傷だ」


 ドナンの手が、止まった。


 「背面は無傷でした。あんたは槍兵だ。五年、あの人の隣で戦った。この傷の意味が分からないとは言わせない」


 長い、長い沈黙があった。


 やがてドナンは針を置き、義足を引きずって店の扉を閉め、閂を掛けた。戻ってきた男の顔は、五年分老け込んで見えた。


 「……あの夜、俺は第二波で脚をやられた。担架で門の内に運ばれたのが、戌の刻だ。忘れもしねえ。門の詰め所の鐘が、ちょうど鳴ってた」


 「戌の刻」


 報告書の撤退命令は、亥の二刻。一刻以上も後だ。


 「担架の上から、見たんだよ。伝令が走ってきて、叫んでた。『撤退命令! 全隊、門内へ後退!』ってな。戌の刻にはもう、命令は出てたんだ」


 「……報告書には、亥の二刻と」


 「嘘だ」


 ドナンは吐き捨てた。


 「命令が出て、真っ先に門をくぐったのが誰だったか、教えてやろうか。担架の俺とすれ違いに、馬で駆け込んできやがった。隊旗も置き去りでな。――バルガス・クレイン隊長殿、その人だよ」


 店の中が、しんとした。


 「指揮官が消えて、撤退は潰走になりかけた。門は狭え。全員が我先に殺到すりゃ、魔物の第三波に背中から食い破られて全滅だ。……そこで、あの人が残った」


 「グレンさんが」


 「『俺が塞ぐ。順に退がれ』ってな。命令でも何でもねえ。あの人は自分で殿に立って、志願した十数人と一緒に、隊の連中が退がりきるまで門の外を塞ぎ続けた。……俺が最後に見たあの人は、盾一枚で第三波の正面に立ってたよ」


 それが、三百七十一の傷の正体か。


 フィーネが、震える声で訊いた。


 「なら、どうして……どうして誰も、本当のことを言わなかったんですか。あなたも、他の後送された人たちも、見ていたのに」


 「――恩給だよ、嬢ちゃん」


 ドナンは、自分の義足を拳で叩いた。


 「戦死者の遺族恩給。負傷兵の傷病恩給。徴用の身でも、あの戦は軍籍扱いだからな。裁定するのは軍で、書類を握ってるのは生き残った指揮官サマだ。噂が流れたのさ。『妙なことを言い立てる奴が出れば、北門の件は指揮系統の崩壊、つまり規律違反による壊滅として再裁定される』とな。そうなりゃ、死んだ連中の遺族の恩給は消える。俺のこの脚の分もだ」


 「そんな。人質じゃないですか」


 「そうだよ。俺たち全員、死んだ仲間の女房子供を人質に取られたんだ。……で、一番重てえ荷物を背負ったのが、あの人だった」


 ドナンの声が、初めて湿った。


 「一度だけ、酒場で会った。あんた一言言えば汚名なんぞ晴れるだろうって、俺は言ったんだ。そしたらあの人、笑ってよ。『俺一人が臆病者なら、死んだ連中は英雄のままだ。悪くねえ取引だろ』……ってな」


 ――すまん。すまんなあ。


 凍える路地の、あの声が耳の奥で蘇った。


 あれは逃げた懺悔なんかじゃない。守り切れなかった十数人への、恩給の枷で口を封じられた五年間への、そして父親を臆病者の娘にしてしまった、ミレイユへの――


 あの人は死ぬまで、盾だったのだ。


 「……ドナンさん。その話、公の場で証言してもらえますか」


 「恩給の話を聞いてなかったのか?」


 「枷ごと、外します。物証を揃えて、恩給に指一本触れさせない形で。それが揃うまで、あんたの名前は出さない」


 ドナンは長いこと俺を睨み、それから、ふっと息を吐いた。


 「……勇者の剣の鑑定士、だったな。瓦版で読んだぜ。商会相手に一歩も引かなかったって」


 「今回の相手は、もう少し面倒ですが」


 「はっ。上等だ」




 店を出たのは、日暮れ時だった。


 七番通りの角を曲がったところで、前に三人、後ろに二人。見覚えのある種類の連中が、道を塞いだ。


 「墓守の先生よお。北区は物騒だ。妙な年寄りの家を嗅ぎ回ってると――」


 「悪いが」


 俺は、フィーネより先に一歩出た。


 剣は持っていない。だが、もう要らない。胸の奥のあの重みに、俺は静かに触れた。


 ――借りるぞ、相棒。


 青白い燐光が、素手の俺の背後に立ち上がる。足裏が石畳を掴み、世界がゆっくりになる。


 「妙な年寄りじゃない。英雄の戦友だ。……覚えて帰れ」


 背後で鋼の音が二度、澄んで鳴った。フィーネが後ろの二人を、抜き打ちの峰で沈めた音だ。なら、前の三人は俺の分。


 三十秒後、路地に伸びた五人を跨いで、俺たちは帰路についた。仕込みが早い。ドナンの店を張っていたのだ。つまり連中の雇い主は、こっちの動きを正確に読んでいる。


 「ロイドさん。ドナンさん、一人にして大丈夫でしょうか」


 「明日の朝一番で、ガルドさんに保護を頼む。今夜だけは……」


 その「今夜」が、甘かった。


 深夜。鑑定所の扉を、拳が乱打した。駆け込んできたのは七番通りの夜番で、その男は肩で息をしながら叫んだ。


 「靴屋が――ドナンの店が、燃えてる!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ