第2話 装飾品ではなくなる
アルヴァとの婚約が解消されてから、二年。
エリアスは結婚した。
相手は、アストリッド・アフ・リンドシェルド。
リンドシェルド侯爵家の令嬢だ。
アストリッドとの出会いは、王都の夜会だった。
彼女は慈善活動に精力的で、領地の孤児院の運営に悩んでいたエリアスに、色々と助言をしてくれたのだ。
ただ彼女は王都にいて、エリアスは領地。
二人で会う時間は多くはなかった。
それでも手紙を交わし、王都で顔を合わせるうちに、エリアスは聡明で優しい彼女に惹かれ、婚約を申し込んだ。
彼女は少し悩んでいたようだが、最後には頷いてくれ、結婚に漕ぎつけることができた。
アルヴァとは違い、エリアスを愛し、将来を共に歩いてくれる女性。
エリアスはそう信じていた。
* * *
「……奥様は、いつ王都からこちらに来てくださるんですか?」
結婚式を挙げて半年。
ミケルがアストリッドからの手紙をエリアスに渡しながら訊いてくる。
「しばらくは無理そうだな。母君の体調がすぐれないらしい」
「あまり言いたくはないのですが」
「なら、言うな」
「いくら母君の体調が悪くても、一度くらいはこちらに顔を出すことができるのでは?」
じっとりとした視線を向けてくるミケル。
その視線を無視し、エリアスはアストリッドからの手紙を丁寧に折りたたみ、封筒に仕舞う。
返事を書くために、引き出しから便箋を取り出した。
「彼女は優しい。体調を崩して気落ちしている母君を置いてなど来れないのだろう?」
「その優しさの半分でも、エリアス様に向けられるべきでは?」
「……私が彼女と結婚したいと言ったんだ」
いつもの言葉を告げると、ミケルは大きくため息を吐いた。
最近ずっとこんなやりとりをしている気がする。
(こんなつもりではなかったのだが……)
いつまでも姿を見せないアストリッドに使用人たちも落胆している。
アルヴァとの婚約解消を喜んだ分、その反動も大きいようだ。
「あと、半年のうちに奥様を迎えたいものですね」
ミケルのさらりとした嫌味が、エリアスの胸を突いた。
* * *
ミケルに嫌味を言われた一週間後。
「旦那様、奥様の支出を止めていただきたいのですが?」
家令から思わぬことを言われた。
「支出?」
「はい。奥様は慈善活動の一環として貴族の方々と交流をされていますが、そのためのドレス、宝飾品を買われ、その請求が侯爵家に来ています」
家令の手には請求書の束らしきものがあった。
「しかし、必要経費であれば仕方がないだろう?」
「奥様個人の慈善活動に、侯爵家のお金を相談もなく勝手に使われては困ります」
「そうはいっても……」
慈善活動だ。それを今さら止めるというのも躊躇われる。
「必要経費であるかも疑わしいです」
家令の言葉に、先に動いたのはエリアスの背後に控えていたミケルだった。
ミケルは家令から請求書の束を奪い、ひとつひとつ確認していく。
彼の眉間の皺が深くなっていくのを、エリアスは重い気持ちで見守った。
「エリアス様。奥様を今すぐ問いただすべきかと」
渡された請求書の束を、エリアスは見たくなかった。
* * *
エリアスはミケルを伴い、翌日には領地を出立し、王都へと向かった。
ミケルと家令、さらには侍女長からも先触れを出すなと言われた。
そんな失礼なことはできないと反論したのだが、相手の本性を知るためには必要なことだと押し切られた。
(……本性など)
アストリッドの笑顔を思い浮かべる。
柔らかに目元を細め、エリアスを見つめてくる青い瞳。
慈善活動の展望を語る彼女の真剣な眼差し。
エリアスはその全てが好きだった。
「こちらでお待ち頂けますか?」
リンドシェルド侯爵邸を訪れると、執事がエリアスを応接間へと通した。
アストリッドは慈善活動のためのお茶会に出ていて、一時間程度で戻ると言われた。
その言葉にほっとしたのも束の間、母君が応接間に顔を出した。
病でベッドからも起き上がれないと聞いていたのに、現れた母君は血色も良く、足取りもしっかりしていた。
「娘の代わりにわたくしがお相手させていただきますわ」
朗らかに話す様子に、エリアスの背中には冷や汗が流れていた。
一時間ほどして、アストリッドが顔を出した。
母君はすぐに退席して、応接間にはエリアスとアストリッドの二人になる。
向かいに座る彼女は豪華なドレスを着て、胸元には大粒のエメラルドが輝いていた。
請求書の数字がエリアスを追い詰めた。
「エリアス様、ようこそお越しくださいました」
優雅さは変わらない。笑顔の美しさも変わらない。
だが、エリアスにはもう響かない。
「……ああ。君にも会いたかったし、体の弱い母君にも会いたかった」
「……お母さまはだいぶ元気になりましたの。もうしばらくしたら」
「領地に来る気があったと?」
「……ええ」
彼女の笑みがほんの少し歪んだのを、エリアスは見逃さなかった。
「さて、今日は話があってきたのだが」
「わたくしにお会いになりたかったのではなくて?」
エリアスは彼女の返しに、微笑んだ。
「最初はそのつもりだったが、そうもいかなくなった」
自分の心が急速に冷えていくのを感じる。
彼女の何を見たのか。見えていたものは幻だった。
愚かさが痛い。
「この請求書の件だが」
エリアスは請求書の束を、テーブルの上に広げた。
「……慈善活動に必要ですの」
「我が侯爵家に、ここまでの余裕はない」
「……」
「そこで」
目の前のアストリッドをまっすぐに見据えた。
「今後もこの活動費が必要であれば、君の私費から支払ってくれ」
「……」
「それが無理なら、離縁するしかない」
向かいから、ふぅとため息が聞こえた。
「銀の鉱脈が見つかったのですよね?」
「ああ」
「それなら」
「見つかっただけでは金にはならない。多額の資金を投資し、採掘し、ようやく形になる。今すぐ、の話ではない」
「銀行から融資を受けられるのでは?」
青い瞳が細められた。
もう美しくもなんともない。
「受けられたとして、そもそもは領地のための金だ」
「わたくしは慈善活動として……」
「君の慈善活動よりも、領地と領民が優先だ」
彼女は何も言わなかった。
「離縁の申し立てをする」
「……外聞が悪いですわ」
「そうだな。貴族には相手にされなくなるだろうが、領地を真に回すのに必要なのは貴族ではない」
「面白いことを仰いますのね?」
「……君は、本当に慈善活動をしていたのか?」
エリアスはようやく、そこに思い至る。
「どういう意味ですの?」
「いや、いい」
今さらだった。
離縁する彼女の話を聞く必要など、もうどこにも無かった。
* * *
それから半年で離縁は成立した。
だが、無傷という訳にはいかなかった。
「あの女、最後まで最悪だ」
ミケルがイライラとしている。
当然と言えば当然だ。
アストリッドは離縁が成立する前に、侯爵夫人として侯爵家名義で銀行から多額の融資を受けていた。つまり、借金を増やしてくれたのだ。
それも慈善事業の契約や多額の寄付の約束に必要な融資として、社交界では美談に仕立て上げている。
正直、真っ向から反論することもできたが、エリアスは疲れきっていた。
「俺は女運が悪いのか?」
「良いのは顔だけになってしまいますね。あと素が出てますよ」
「……疲れた。もうイヤだ」
侯爵領や領民を放置しようとは思わないが、それでもここまで運が悪いと嫌になる。
(違うか……俺が見抜けないだけか)
真実を見抜けず、きちんとアストリッドと向き合わなかったからだ。
今更気づいても遅い。
「でも、銀行側が返済を待ってくれるだけでも、ありがたいですよね?」
「そうだが……新たな融資を断られたのは痛いな」
大きくため息を吐いたその時。
「アルヴァ・ダールベリ様が、いらしています」
エリアスは自分の耳を疑った。
「……誰だって?」
「アルヴァ・ダールベリ様です」
ミケルとふたり目を見合わせてしまった。
* * *
「お久しぶりですわね」
応接間には、優雅に扇子を広げてヒラヒラさせているアルヴァがいた。
子爵家のご令嬢でしかないはずの彼女は、相変わらずだった。
強気で、エリアスに主導権を与えようとしない。
「本日はどのような用件で?」
「お困りのようですので、伺いましたのよ?」
すっと、アルヴァは扇子で口元を隠した。
「……融資をして下さるのですか?」
「あら? 相当お困りですのね。その通りですわ」
エリアスは冗談のつもりで口にしたのだが、まさか肯定されるとは思わなかった。
「ふふ。驚いてらっしゃる」
とても楽しそうに彼女は笑った。
「あれから三年も経ちましたもの。貴方という装飾品が……こ、恋しくなりましたの」
彼女にしては珍しく言いよどんだ。
扇子の奥で喉の調子を整えているのか、んんと小さな咳ばらいが聞こえた。
「恋しくですか……」
「……どうです?」
「どうですとは?」
エリアスは今度こそ見極めようと思った。
自分は女運が悪いのだ。今持ち込まれている『運』がどんなものなのかを。
「ですから、わたくしの装飾品にもう一度なりません?」
「……条件は融資、ということですか?」
「ええ。そうですわ」
「装飾品とは? 愛人になれと?」
「はあ!?」
今まで聞いたこともない声だった。
彼女の手から扇子が滑り落ち、目と口が真ん丸になっている。
後ろに控えていた侍女が扇子を拾い、彼女の膝の上に静かに乗せた。
「ダールベリ子爵令嬢?」
エリアスが声を掛けると、固まっていた彼女がハッとしたように我に返り、再び扇子を広げた。
「あ……愛人など」
「……」
「わたくしは、装飾品になれと言っただけで」
「愛人の意味かと」
「そ……そんなつもりはありませんわ」
今更ながら、彼女はどんなつもりで自分を装飾品だと言ったのだろうか。
自身を飾るという意味で置くのなら、愛人でもおかしくはないと思うのだが。
「では、再び婚約者ということですか? それとも結婚でもしますか?」
「ええ……そうですわね。……え?」
さきほどから彼女の言動が少しおかしい。
おそらくいつも静かに従っていたエリアスが嫌味と冗談を交えて話すせいで、彼女の思惑から外れてしまっているのだろう。
(……意外と面白い)
エリアスは、目を瞬かせている彼女を見て、ふとそんなことを思ってしまう。
「では、結婚ということで」
「は、はい!?」
肯定ではなさそうな「はい」の言葉を聞いて、エリアスはミケルを呼ぶ。
「……本気ですか?」
ミケルがエリアスの耳元で小さく確認をしてきた。
「侯爵家の金に手を出さないことだけは間違いない」
アルヴァと婚約をしていた期間、彼女から金銭どころか、贈り物の要求をされたことはなかった。……アストリッドはそれとなく、色々強請ってきたが。
しかも、アルヴァは侯爵家を支援するとまで言っているのだ。
契約書を整えれば、彼らは決して裏切ることはない。
ダールベリ子爵家は商人の一家で、信用を何よりも大事とする。
「侯爵家のためには、一番良い選択だ」
エリアスに躊躇いはなかった。




