第1話 装飾品は役目を終える
「わたくし、飽きましたの」
エリアスの婚約者アルヴァ・ダールベリは、そう言った。
* * *
王都のステルンヴィーク侯爵邸に先触れもなく現れたのは、エリアスの婚約者。
彼女は侯爵家にとって断ることのできない相手だ。
家令は彼女を応接間に通し、執務中のエリアスに報告した。
十五で婚約を結んでから、彼女が侯爵邸を訪れたのはわずか数回。
怪訝に思いつつも、エリアスは執務の手を止め、鏡で自身の姿を確認してから、執務室を出る。
応接間のドアを開けると、アルヴァと彼女の侍女がいた。
侍女はエリアスに静かに頭を下げ、アルヴァは無表情で、ただエリアスが座るのを待っている。
挨拶など不要なのだろう。
向かいのソファに座ると、彼女が口角を上げた。
「こちらをご覧になって」
彼女の背後に立っていた侍女が、すっとローテーブルに書面を置く。
エリアスは、それを目で追いかけた。
「……婚約解消、合意書?」
「ええ」
彼女が静かに頷く。
そして。
「わたくし、飽きましたの」
エリアスはその意味をすぐに悟った。
――貴方はわたくしの装飾品ですわ
十五歳で彼女と婚約した時、エリアスはそう言われた。
「要らなくなった、ということですか?」
エリアスが確認すると、彼女は手に持っていた扇子を広げ、口元を隠す。
「まぁ、わたくしがそれに答えを返さないといけないのかしら?」
「……失礼いたしました」
すっと頭を下げる。
同時にエリアスはこの婚約が解消されることによる損害について考える。
(今まで融資していただいたお金は……どうなるんだ?)
婚約を条件にダールベリ子爵から莫大な融資を受けていた。
それを今すぐ返済しろと言われても、ステルンヴィーク侯爵家に余裕はない。
「心配なさらずとも、融資については今まで通りですわ」
「……しかし」
パチンパチンと応接間に音が響く。
彼女が扇子を閉じたり開いたりしていた。
「貴方はわたくしの装飾品として働いてくださいましたもの。そのお礼ですわ」
にこりと彼女は微笑み、扇子を閉じた。
「今まで、ご苦労様でした」
* * *
「婚約の、解消ですか?」
従者のミケルが書面を見て驚いている。
あの後すぐにエリアスとアルヴァは署名をした。
婚約を結んだのは十五だが、今はふたりとも十八。学園も卒業し成人したのだ。
当人同士の意思で婚約を解消することができる。
……法律上の話ではあるが。
「ダールベリ子爵も納得されているということでしょうか?」
「おそらく。子爵は彼女を溺愛しているからな。彼女のお願いはなんでも叶える」
娘が可愛くて仕方ないらしい。
融資の話で子爵と会うと、いつも睨まれた。
そんなに不満なら婚約を解消すれば良かったものを、彼女が望むからとそのままだった。
「しかし、信じられませんね」
ミケルが婚約解消合意書をエリアスへと返す。
それを受け取り、机の引き出しにしまい、鍵を掛けた。
「信じられない?」
「そうでしょう? あのご令嬢がエリアス様を手放すなんて」
「……飽きたそうだ」
「飽きる? エリアス様ほどの方を?」
ミケルの台詞にエリアスは肩を竦めた。
「なにせ私はご令嬢の装飾品だったからな」
「……それなら、なおさら飽きようがないのでは?」
エリアスの容姿は、数多の令嬢を虜にしていた。
光り輝くような金髪、形の良い鼻筋、琥珀色の瞳。
歩く美術品だとさえ言われている。
だからこそアルヴァは、エリアスを隣に立たせようと婚約を結んだのだ。
「将来を共にするには、つまらない男だと気づいたのだろう?」
自分でも、良いのは顔だけだと思っている。
生真面目で遊びなど知らない。
彼女と二人で出掛けたこともなかった。
向こうも興味がなかったのか、特に不満を言われることもなかった。
ただ、公の場では必ずエスコートするよう要求されただけ。
それが装飾品としてのエリアスの役割だったのだろう。
「確かにエリアス様は面白味がありませんが」
「そこはできれば反論してほしいところだが?」
「申し訳ございません。エリアス様はお顔も良く、領地への情熱も高く、大変素晴らしいお方です」
「……もういい」
エリアスはミケルに手を振り、退出を促した。
ミケルは一礼するとエリアスの部屋から出て行った。
部屋に静寂が訪れる。
(飽きた……か)
* * *
アルヴァとの婚約は三年前。
必要に迫られて結んだ契約だった。
エリアスは、それまでステルンヴィーク侯爵家の嫡男として何不自由ない生活をしていた。
侯爵領はヴィンテルガルド王国の北部に位置し、林業と牧羊が主な産業。
その収益はそれほど高くはないが、領地を運営することはできていた。
……エリアスの父である先代侯爵が亡くなるまでは。
亡くなる前、父は銀鉱山の開発に多大な資金を投じていたのだが、その鉱山で崩落事故が起き、事業は頓挫。
その事故に巻き込まれ、父は亡くなった。
――エリアス、お前に婚約の申し込みが来ている
当主代理の叔父から渡されたのは、ダールベリ子爵家からの婚約申入書。
そこには、この婚約を受け入れれば、鉱山での事故処理の費用、さらには採掘再開に必要な費用まで融資すると書かれていた。
返済期限も定められておらず、しかも無利子。
金銭面だけで言えば、向こうにはなんの利益もない。
――ダールベリ子爵は新興貴族、成り上がりだ。おそらく由緒あるステルンヴィーク侯爵家との繋がりを求めているのだろう
断る理由など、どこにもなかった。
この話に乗らなければ、侯爵家も領地も領民も、救う手立てがなくなる。
エリアスはその日のうちに、婚約を受け入れる旨の返書をダールベリ子爵家へ送った。
顔合わせは、王都のダールベリ子爵邸で行われた。
子爵は商人らしくとても柔和な雰囲気で、アルヴァ・ダールベリは少しきつめの顔立ちの少女だった。
彼女に緊張している様子はなく、終始冷めた表情でエリアスを見ていた。
そうして、応接間に二人で残された時、彼女は言ったのだ。
――貴方はわたくしの装飾品ですわ
驚き、何も言い返せずにいると、彼女はさらに言葉を続けた。
――装飾品は装飾品らしく、静かにしていればいいのです。持ち主のわたくしの要求だけを叶えてください
あの時も彼女は扇子を広げていた。
口元を隠し、静かに告げるだけだった。
エリアスはその身勝手な言葉に苛立ちを感じたが、反論は一切しなかった。
彼女の意思に背けば、侯爵領を立て直せなくなる。
エリアスは引きつりそうになる口角を上げて、彼女へ微笑み返した。
そうして一か月後、エリアスとアルヴァの婚約は正式に結ばれた。
――私は領地に帰りたいのだが?
――婚約者を放置して? 学園にわたくし一人で通えと言いますの?
とにかく領地のことが気掛かりで、エリアスは王都の学園を退学したかったのだが、彼女がそれを許さなかった。装飾品なのだから傍にいるべきだと。
――しかし、領地のことがある
――領地にも優秀な臣下はおりますでしょう? どうしてもと仰るなら、一か月に一度の視察ぐらいは認めますわ。もちろん往復の費用は子爵家もちですので、気になさらず
王都から侯爵領までは距離がある。
毎月となると費用の負担も大きい。彼女はそれを全て子爵家で肩代わりすると言うのだ。
――子爵家にそこまで甘えられない
――あら? 大したお金ではありませんのよ? どちらにしても、貴方は王都に残って学園に通う。これが婚約の最低条件になりますわ
契約書には書いていないと言えば、今から書き加えると反論される。
結局のところエリアスは、彼女に従うしかなかった。
エリアスはなるべく子爵家に頼らず、月一回領地に戻りながら、王都の学園に通い、卒業を迎えた。
その三年間で鉱山の復旧は進んだ。
新たな銀鉱脈も発見され、侯爵家の再建の目途がたつ。
あとは、エリアスが正式に侯爵家当主となり、彼女と結婚するだけ、のはずだったのだ。




