第15話 装飾品が分からない
エリアス様がおかしい。
背後からアルヴァをぎゅっと抱きしめただけでなく、『妻』と呼び、アストリッドと対立した。
エリアス様の全身からは、迸るほどの怒りを感じた。
(……今でも、あの方を愛されているのかと思ったのですけど)
アルヴァと婚約していた時のエリアス様は、領地一辺倒。
注がれる秋波に気づくこともなく、女性に興味なんてない様子だった。
そんな彼が、アルヴァとの婚約を解消して二年で結婚したのだ。
結婚の準備のことも考えれば、かなり早い段階で結婚の話が出たはずだ。
つまり、ものすごく好きで愛していて……
そう思っていた。
それなのに、アストリッドの引き留めにも応じず、アルヴァのしょうもない好物を口にした。
(……っていうか、もっと他にも好きなものありますから!!)
まるで食べ物にしか興味がないみたいではないか。
令嬢らしい好みのひとつやふたつ……ある。たぶん。
アルヴァの脳内は混乱したままだった。
エリアス様に手を取られてホールを突き進む。
誰もが道を空ける。
(こんなに注目を浴びてしまって良かったのかしら……)
エリアス様の評判を上げるために参加したはずなのに、これはどう評価されてしまうのか。
エリアス様が守ったのは生粋の貴族令嬢ではなく、成り上がり令嬢の方だ。
(ど……どうしましょう!!)
アルヴァは顔から血の気が引いていく。
と、同時に肌寒さを感じた。
いつの間にかバルコニーに出ていた。
辺りに人の姿は見当たらない。
寒さに体が震えてしまう。
それに気づいたエリアス様が、テールコートを脱いだ。
(……い、色気が)
薄暗い中、わずかな照明がエリアス様を照らし出す。
白いシャツとアイボリーのベストになっただけなのに、一枚ないだけで妙に色っぽい。
アルヴァの心臓はバクバクと音を立てる。
(い、息ができませんわ……)
あの頃よりずっと、エリアス様は大人になられた。
直視できない。
そっと視線を逸らしたアルヴァをエリアス様のテールコートが包む。
「エリアス様……」
「すまない。夜会など来るべきではなかった」
エリアス様の苦しそうな声。
彼は自身の評判など気にしていない。
アルヴァが傷つけられたと、心を痛めているのだ。
(優しすぎますわ……)
『嫌な女』としての演技を思い出し、口を開きかけたのだが、エリアス様の方が早かった。
腕が伸び、テールコート越しに抱き締められた。
「……あの!?」
どういうことなのか問い詰めたい。
だが口が渇いて、それ以上何も言えない。
酸素が足りない気がする。
必死にコートの中で口をパクパクさせていたのだが、エリアス様の腕の力が強まり、いろんな意味で苦しさが増す。
もうこれ以上は死ぬ。
アルヴァはエリアス様から脱出するために動いた。
手を挙げて、その胸を叩く。
(う……ううう。エリアス様の胸が硬い)
拳に感じる熱と硬さに泣きたくなった。
* * *
腕を解いてくださったエリアス様に『扇子を返して欲しい』とお願いすると、何故か彼は天を仰いだ。
(……アストリッド様にお会いして、混乱されているのかしら?)
アルヴァはどうしたらいいのか分からない。
じっと待つしかない。
見つめていると、はぁとため息が降りてきた。
「可愛すぎる」
落ちてきた言葉が理解できない。
(可愛すぎる……ってどういうこと? わたくしはエリアス様にとって『嫌な女』のはずですわ。……今頃、アストリッド様に対する思いを反芻されていらっしゃるのかしら?)
ツキンツキンと胸が痛む。
あんなに嫌な女なのに、エリアス様には今もまだ、大事な方ということなのか。
(でも……とても怒っていたような?)
エリアス様の気持ちが分からない。
「……そろそろ帰ろうか」
「え?」
社交としてはまだ半分ぐらいしか、こなしていない気がする。
もうちょっと残るべきだ。
「わたくしのことならお気になさらず。夜はまだまだですわ」
「……ちょっと、今の台詞の方向性を正したい」
「エリアス様?」
「いや、こちらの話だ」
こほんと咳払いをしたエリアス様の手が、アルヴァの頬に触れた。
(……え? なんなんですの?)
熱が上がる。
エリアス様の手が冷たい。
でも、徐々にアルヴァの頬と同じ温かさを持ち始める。
「今回は顔出しだけだ。特に話したい方もいらっしゃらなかった」
「本当ですの?」
じっと琥珀色の瞳を見つめる。
(だめよ。呑まれてはダメ。綺麗だけど、そうじゃなくて……)
どうしてもエリアス様を見ていると、感情が動いてしまう。
「……本当だ」
それなら、なぜ今もため息を吐いたのか。
そして、頬に添えられた手は離れないのか。
やっぱり今宵のエリアス様は様子がおかしい。
「これ以上、君を見せたくない」
「……」
強い否定の言葉に、アルヴァは何も言えなくなる。
「冗談じゃない。男どもの視線ときたら……」
なにやら呟いている声が聞こえるが、小さいうえに低くてよく聞き取れない。
「とにかく、帰ろう」
「そう、ですわね」
「ああ」
「ダンスも必要ありませんし」
エリアス様の動きが止まった。
「ダンス?」
「ええ」
今、気づいたかのようだ。
エリアス様の中では、夜会=ダンスではないのだろうか?
普通は夜会と言えばダンスだと思うのだが。
(……あ)
冷たい風が頬に当たる。
エリアス様の手が離れたからだ。
その手がすっと下へと動き、アルヴァに差し出された。
「では、踊ろう」
それは、初めてのことだった。
婚約していた時。
アルヴァはエリアス様にダンスを要求しなかった。
とにかく隣に立ち、エスコートだけすればいいと言った。
わざと、他の人とダンスも踊った。
本当に踊りたいのはエリアス様だけだったけど。
「……」
「踊ってくれないのか?」
どうして、エリアス様はそんな縋るような目をするのか?
この手は、あの方に向けたかったのではないのか?
アルヴァは固まったまま動けない。
「私と踊るのは嫌か?」
ぶんぶんと首を横に振った。
そんなこと思われたくない。
後から思えば、『嫌な女』として断るべきだったのだが。
アルヴァは手を伸ばした。
触れた手と手。
大きな手に包み込まれて、くるりと回される。
軽やかなステップ。背中へと添えられた手。
体が近づき、視線が絡みそうになる。
自分の気持ちを見透かされそうで、下を向いた。
本来であれば、見上げて視線を交わして、微笑み合うべきなのに。
そんなことできるわけがない。
(……知られるわけには、いかないの)
嬉しいはずなのに、涙が零れそうになって。
アルヴァはただ、足元だけを見つめていた。




