第10話 装飾品は所有者の真意が分からない
アルヴァと視察をしてから一か月。
彼女が買ったブルーベリージャムは、侯爵家の朝食には欠かせないものになった。
――これはわたくしが買った物ですの。侯爵家用ではありませんわ
視察の帰りの馬車の中でツンと告げられたのだが、エリアスが『美味しかった』と言うと。
――二個買いましたから、宜しければ一個は差し上げますわ
すぐに掌を返してきた。
いつものきつめの顔立ちではなかったので、どれほどツンとされても、小リスが威嚇しているようにしか見えない。
思わず『可愛らしい』と呟いてしまったが、本人に届いている様子はなく、エリアスとしては安堵した。
侯爵邸に戻るとすぐに、彼女は顔を作り直した。
いつもの彼女に戻る。
目尻は上がり、口紅の色も赤みが強くなる。
ただ、一度覆された印象は元には戻らない。
あの肉食動物のような鋭さの奥に、小リスがいると思うと、全てが可愛らしく見える。
そもそも、行動は全て小リスというか、単なる人の好い女性だ。
「エリアス様、こちらでいかがです?」
向かいのソファに座るアルヴァは、モーネ・オ・ステルン商会の商会長として、エリアスと話している。
場所はエリアスの執務室。
エリアスの手元には、新鉱脈の設備投資の資料。
アルヴァの商会は、銀を安定的に手に入れる先として、ステルンヴィーク領の新鉱脈に目を付けているという。
だが、設備の投資には当然ながら、お金が必要だ。
「……これだけの費用が払えるのか?」
確かに彼女の商会は利益を出している。
だが、費用はかなり掛かる。
「もちろん、銀行に融資をお願いしていますわ」
「大丈夫なのか?」
「ええ。商会はわたくしの大事なものです」
すっと目が細められた。
いつもの喧嘩を売るようなそれとは違う。
真剣なのだと伝わってくる。
「商会を潰すようなことはしませんわ」
「確認だが、これは商会が銀行から融資を受けるのか?」
すすっとアルヴァの視線が泳いだ。
答えたくない、ということだ。
エリアスは、ついため息を吐いた。
アルヴァの肩が小さく揺れた。
あれからエリアスだって調べたのだ。
知らずに、目を向けてこなかったものを見るために。
アルヴァは今回の結婚にあたって侯爵家に融資すると言った。
だが、その融資はダールベリ子爵の名義からではなかった。
アルヴァ個人の名義だった。
それについて、エリアスはすぐに本人に確認した。
――あら、わたくしのお小遣いはお父様から頂いたものですもの。一緒でしょう?
アルヴァは扇子で口元を覆っていた。
それは、虚勢を張る時や、真意を知られたくない時の癖。
以前なら騙されていたが、もう騙されたりはしない。
エリアスは、じっとアルヴァを見据えた。
彼女の一挙手一投足を見逃さないように。
「君が、侯爵家のためにしてくれることはありがたいとは思っているが」
「あら? 侯爵家のためではありませんわ。わたくしの商会のためです」
「本当に?」
「ええ」
そう言いながらも、彼女の手が膝の上の扇子へと伸びた。
だが、ピクリと止まる。
以前に、エリアスが『嘘をつくときの癖だ』と彼女に言ってしまったので、気をつけているらしい。
(……いじらしい)
今は真剣な話をしているのに、ついついそんなことを思ってしまう。
エリアスはコホンと咳払いをした。
「無理はしていないか?」
「……破綻するような計画はしませんわ」
「……本当だな?」
「ええ」
その言葉にエリアスは悩む。
正直、新鉱脈をなんとか動かしたいのだ。
本当に問題がなければ、設備投資の話に飛びつきたいぐらいだった。
「とりあえず、これはもう少し考えさせてくれ」
「……とてもいい条件だと思いますのに?」
「君を犠牲にしたいわけではない」
「犠牲ではありませんわ!」
ぐっとアルヴァがソファから乗り出してきた。
真剣に訴える栗色の瞳。
「ああ、分かっている」
彼女は本気でそう思っているのだ。
だからこそ、エリアスがきちんと精査をしなくてはいけない。
エリアスは彼女の背後に控えるカリンへと視線を向けた。
意図を読み誤ることのないカリンは、アルヴァに言う。
「お嬢さま、そろそろ」
「え?」
「戻りましょう」
「……分かったわ」
侍女の言葉に彼女は頷き、ソファからスッと立ち上がる。
そして、いつもの鋭い視線をエリアスに向けた。
「わたくしは負ける賭けなどしませんわ。よくよく考えてくださいませ」
アルヴァはそれだけ言うと、部屋を出て行った。
* * *
彼女の背中を見送り、エリアスは大きくため息を吐いた。
「お疲れ様です」
ミケルから声がかかる。
彼は紅茶を淹れ直していた。
「疲れる」
「……エリアス様のお好きなブルーベリージャムですよ」
紅茶と一緒にジャムが置かれた。
ジャムを紅茶へとひとさじ流し込み、スプーンでかき混ぜた。
ブルーベリーと紅茶の薫りが鼻孔をくすぐる。
自然と肩の力が抜けた。
「なんだってあんなに」
そこでエリアスは言葉を止めた。
(……可愛いのか)
真剣で。一生懸命で。
その全てがエリアスに向けられている。
それはもう、疑いようがない。
だが、それが何故なのかエリアスには分からない。
どうして、あんなに嘘をつき、隠し、それでいてエリアスのために全身全霊突き進もうとするのか。
(分からない……)
どんなに考えても、納得のいく答えは見つからなかった。




