25 ロマンスグレーの力
「知ってるか?女マフィアみてぇな社長が、警備員事業をやってるんだと」
「はぁ、女が警備……」
戦後、敗戦したことで補償が遅れ、泥水を啜って生きてきた元軍人たちの集まる居酒屋があった。
そこで最近よく話題に上がる企業があった。
「ああ、元貴族だかなんだかってお嬢さんの道楽だろう?」
薄汚れたシャツに襟が垢でテカテカしている男が、カウンターで広げる雑誌には美しい女性が紺色のパンツスーツで写っている。
その写真を見ようと、髭面の男が後ろの席からふらっと立ち上がって寄ってきた。
「お嬢さんって言うにはトウが立ってるな。……何だ、25か、行き遅れじゃねえか」
「行き遅れじゃないよ、一度結婚して離婚裁判中だって」
「へぇ!勝気な女は捨てられるんだよな」
「違う違う、ほらあのバカゾク、最近あちこちで笑われていたベルナールの坊ちゃんと結婚してたんだよ」
「ああ!この女が馬鹿亭主を捨てたのか!」
「おっかねえ女だねぇ」
男たちは初対面にも関わらず知己のように言葉を交わし、曇ったグラスで度数だけが高い濁った酒を飲んだ。
「だがよう、この女器はデカいらしいぞ。馬鹿亭主の愛人と子供も引き取ってるんだと」
「そいつぁ凄ぇや!」
「何でぇベルナールの坊ちゃんは愛人にまで捨てられたのか」
「あそこの家はもうお仕舞いだな」
「愛人と子供だけじゃなく、馬鹿亭主が嫁と愛人と子供ほっぽって新しく作った恋人にーー」
「馬鹿亭主は猿なのか!?」
「猿が金持つと要らんことしかしないな」
「金あるんだからプロの店に行けよ……」
口々に喚く酔っぱらいに、雑誌を広げた男はまあ待てと手をヒラヒラさせた。
「その金を持った猿がな、新しく作った恋人ってのが、バカすぎて家に居場所がなかった坊ちゃんを憐れんで家に置いてやっていた姐ちゃんらしいんだが、あろうことか家に居候させてもらっておいて暴力を振るっていたらしく」
「馬鹿に付ける薬はねえな……」
「さすがに俺たちでも軽蔑するわ」
「俺たちは戦争で必死に戦って帰ってきて、心身ボロボロの上に家も金も食事もなくて……、仕事に困ってそういう仕事をしてるってのに……。
金が唸るほどある家に生まれて、何が不満でそんなことするんだ」
男たちがシーンと静まり返った。
若い頃を全て戦争に捧げた。
青春など程遠かった。やりたいことは何も出来なかった。
生きて帰るだけで必死で、何度も死ぬような、死んだ方がマシな目に遭って、それらをようやく乗り越えて帰ってきても、誰も自分たちを救ってくれなかった。
こうする以外に、腕っぷしや軍隊時代の知識を活かして犯罪組織に属する以外に、生きていけなかった。
失ったものを取り返しているだけだと自身を納得させた。
本来、誰でも等しく持っているはずだった、当たり前の幸福を、最低限の生活を、金を、食事を取り戻しているだけだった。
それでも一度犯罪に手を染めて仕舞えば、なかなか表に戻ることは難しかった。
職歴の空白は急速に成長した社会の中で弾かれてしまった。
彼らが闇の中で、限られた情報手段しかない中で、生きるために犯罪の日々の中で過ごしている間に、若く有能な人間が次々と現れた。
戦争に行かなかった世代で、五体満足に美しい身体で、生まれ持って金持ちで、知識を蓄える機会があって、それらを活かして大金を稼ぐ高慢ちきで、彼らをドブネズミのように見据える若者たちが。
「このお嬢さんは戦争上がりの雇用を進めているんだってよ」
バッと居酒屋中の男たちが顔を上げた。
「はっ!?は!?」
「ハグレモンの俺らをか!?」
「ああ、国のために戦った軍人の方々の知恵や技術を知りたいってよ、型通りじゃ実戦練習にならねえって」
「お国と連携して、戦後の混乱で苦しい生活を強いられた世代の人々に新たな道を拓くためのぷろじぇくと?を進める?」
「本当なのか!?」
「『私たちが健康で安心して過ごせるのは、皆様のおかげです。恩返しをさせてください』
おお……、本当に、抜け出せるのか?こんな底辺から」
「分からねえけど、俺はこれに応募してみる」
「俺も!」
◇◇◇
「口コミって素晴らしいわね」
「ええ、仲間からの情報ほど信頼を得やすいものはない」
元執事はうんうんと頷いた。
警備事業用の事務所では、毎夜のように会議が行われていた。
小汚い戦争上がりに擬態していた警備員かつ、先んじて雇用した実際に元軍人だった男性は、混ぜ物入りの質の悪い酒を催吐剤で慣れたように吐いて、身綺麗に整えて、部屋に戻ってきた。
「いやぁ、まさかおじいちゃんになってから、マトモに働ける日が来るとは思いませんでしたよ」
笑う顔に刻まれた皺は深くおおく、肌は陽に焼けて、随分苦労したように見えた。
「長いこと、私が生まれる前から、ずっと……、私たちの安全な暮らしのために、有難うございます」
耐えてこられて、頑張ってこられて、報われず過ごして、どういった表現も、目の前の男性が過ごしてきた日々を表現するには陳腐な気がして、ジャッドは言葉を濁しながら、椅子から立ち上がって深く頭を下げた。
「いえいえ、まだ子供たちを」守る仕事が残ってますからね、お礼はまだ取っておいてください」
背筋がピシリと定規のように伸びたその老人は、老人とは思えない鋭い眼光を放ちながら言った。
「子供と母親を攻撃して喜んでいる、軍人の風上にも置けねえ馬鹿の始末が終わってから、美味い酒でも飲みましょう」




