第97話:執念の残響。瓦礫の中の『偽りの福音』と、山本警部の銃声
第97話:執念の残響。瓦礫の中の『偽りの福音』と、山本警部の銃声
二〇二六年八月二六日、午後六時一五分。
黄金色の出汁が霧雨となって降り注ぐ新橋駅前広場。SLの煤と、パノプティコンの電子回路の焦げた臭いが混じり合う中、人々はようやく顔を上げ始めた。
駅の屋根から滑り降りたエルナと、駆け寄るハンス。だが、二人の絶対聴覚が、瓦礫の山から発せられる「極小の、不吉なパルス音」を同時に捉えた。
「……ッ、ハンス! まだ終わっていない! ……地下へ続く通気口の影だ!」
そこには、要塞の墜落時に切り離された自律型暗殺ユニット『偽りの福音』が、最後のエネルギータンクを激しく明滅させて潜んでいた。
その標的は、最前線で地上の市民を誘導し続けていた山本警部。
「……警部! 伏せろ!!」
エルナの声が響くのと、ユニットが超指向性の収束音波を放とうとするのは同時だった。
——ピィィィィィィィィンッ!
空気が熱を持ち、一筋の死の線が山本に向かって伸びる。
だが、山本警部は動かなかった。彼は逃げる代わりに、腰のホルスターから使い古された「ニューナンブ」を抜き放ち、迷いのない手つきで銃身を固定した。
「……ふん。……新橋の街を散々汚しておいて、タダで帰れると思うなよ、電子回路のバケモノが」
山本の瞳には、ハイテク兵器への恐怖など微塵もなかった。
あるのは、この街で何十年も泥臭い事件を追い続けてきた、老刑事の「執念」だけだ。
——ダンッ!!
乾いた一発の銃声が、出汁の雨を切り裂いた。
山本の放った38口径の弾丸は、音波ユニットのレンズ部へと正確に吸い込まれた。
パノプティコンが計算した「確率」や「周波数」の予測を、人間の放つ「原始的な鉛の塊」が真っ向から打ち砕いた瞬間だった。
「……なっ……!? 弾丸の風切り音が、奴の演算を上回ったというのか……」
ユニットは激しい火花を散らし、断末魔のノイズを上げて沈黙した。
「……警部。……見事な『一音』でした。……一切の迷いがない、この街を守るための、真っ直ぐな響きでしたよ」
エルナは、**『彗星銀』**の箸を静かに鞘へと収めた。
山本は煙の上がる銃口を軽く吹き、再びぶっきらぼうな表情に戻って、懐から警察手帳を取り出した。
「……勝手に撃ったのは、始末書もんだがな。……さあ、撤収だ。……これ以上、新橋を騒がせるのは、俺の耳が受け付けねえ」
夕闇が降りてくる新橋。
そこには、ようやく訪れた「真の静寂」と、それを守り抜いた三人の、確かな足音が響いていた。




