第96話:空中要塞崩壊。高度500メートルからの脱出と、ハンスの黄金の出汁の雨
第96話:空中要塞崩壊。高度500メートルからの脱出と、ハンスの黄金の出汁の雨
二〇二六年八月二六日、午後五時四五分。
メインコアが砕け、ヴィクターの断末魔が要塞中に響き渡った瞬間、重力制御を失った『電子の繭』は、巨大な硝子の破片となって新橋の空に散った。
爆風に煽られ、高度500メートルの虚空へと放り出されたエルナ。
「……ッ、これまでか。……絶対聴覚を持ってしても、重力の『轟音』だけは調律できぬか」
吹き荒れる気流が、エルナの耳を、皮膚を、激しく叩きつける。
視界の端には、夕闇に染まる新橋の街。だが、その距離は絶望的に遠い。
「……エルナ様ぁぁぁーーっ!!」
地上、SL広場。ハンスが叫び、地下の排気ファンへ向けて、最後のスイッチを叩き込んだ。
それは、第83話で登場した「出汁の心臓」の残留液と、ハンスが独自に調合した高粘度の「冷却用昆布出汁」を混合した、超巨大な霧状のクッション。
——シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
新橋の地下から、黄金色の蒸気が、噴水のように夜空へ向かって噴き上がった。
その蒸気は、上空の冷気に触れて急速に凝縮し、新橋の街一帯に、奇跡のような**『黄金の出汁の雨』**を降らせた。
「……これは……!? ……聴こえる。……雨粒の一つ一つが、私の落下速度を殺す、優しい『粘性の和音』を奏でている!」
エルナは、空中で**『彗星銀』**を扇のように旋回させた。
降り注ぐ濃厚な出汁の雨が、エルナの周囲で気化し、空気の密度を劇的に高める。
それは、ハンスが命懸けで作り上げた「音響的な緩衝材」。
エルナは、その「旨味の雨」に身を委ね、螺旋を描きながら、ゆっくりと……しかし力強く、新橋駅の屋根へと滑り込んでいった。
ガシャンッ、と。
新橋駅のホームの屋根に着地したエルナ。
全身を黄金色の出汁で濡らし、銀の箸を握りしめた彼女の耳には、駅のアナウンスが流れていた。
『……お待たせいたしました。山手線、外回り、到着いたします……』
「……ふん。……間に合ったようだな、ハンス。……新橋の朝食に」
空中要塞は、東京湾の彼方へと消え去り、新橋の空には、出汁の香りを孕んだ虹が、夜の帳の前に、一瞬だけ輝いた。




