第89話:黄金の衣を纏う一閃。特大アジフライと、封印された『遺言』への階梯
第89話:黄金の衣を纏う一閃。特大アジフライと、封印された『遺言』への階梯
二〇二六年八月二六日、正午。
山本警部が残していった、あの煤けた封筒。エルナの指先が捉えた「極小の点字」の謎を解き明かすべく、二人は再び新橋の街へと繰り出した。だが、現場(警察署の地下金庫)へ向かう前に、エルナは吸い込まれるように路地裏の定食屋『銀鱗亭』の暖簾を潜った。
「……ハンス。聴こえるか。厨房から響く、高温の油が水分を弾き飛ばす、あの『昇華』の音を」
「……ええ。……今日のアジは、かなり身が厚いようですね。……エルナ様、気合が入っているのは分かりますが、ほどほどに……」
「いや、足りん。……これから暴くのは、アステリアとこの新橋を繋ぐ、最も深い闇だ。……この体力を、新橋の海が育てた『青い弾力』で満たさねばならん」
運ばれてきたのは、皿からはみ出さんばかりの**『特大アジフライ定食』だった。
二尾の巨大なアジが、荒目のパン粉を纏い、屹立している。エルナは『彗星銀』**の箸を迷いなく一対に割り、その分厚い衣へと突き立てた。
——ザクゥゥッ!!
エルナの絶対聴覚に、心地よい衝撃波が走る。
それは単なる咀嚼音ではない。パン粉の一粒一粒が砕け、中のふっくらとした身から溢れ出した脂が、舌の上で「旨味の和音」を奏でる音だ。
「……素晴らしい。……この『ザクッ』という音には、一切の迷いがない。……ハンス、見ていろ。……このアジフライが放つ黄金の周波数が、私の神経を今、最高速度へと加速させている」
ソースをたっぷりとかけ、和辛子を添える。
エルナは、特大のアジフライを二尾、文字通り瞬く間に平らげた。
胃袋に落ちた重量感。それこそが、パノプティコンの電子的な浮遊感に対抗するための、最強の「現実という名の重石」になる。
「……ごちそうさま。……ハンス、行くぞ。……アジフライの脂が、私の耳の奥に残っていたノイズを完璧に洗い流してくれた。……今なら、あの封筒に刻まれた『沈黙の声』がはっきりと聴こえる」
店を出た二人の前には、昼下がりの新橋の喧騒が広がっていた。
だが、エルナの瞳には、日常の向こう側に潜む「見えない楽譜」が見えていた。
警察署の地下金庫。そこに眠る、アステリアの『遺言』。
新橋の海を喰らった騎士は、黄金色の余韻を背負い、真実の深淵へと足を踏み入れた。




