第9話 測れない依頼
観測番号A――その言葉が頭から離れないまま、数日が過ぎた。
大きな依頼は避け、僕はリアの後ろについて小規模な調査や鑑定補助をこなしていた。
荷物運び、記録整理、現地での簡易測定。
かつての雑用と、やっていることは大きく変わらない。
ただ一つ違うのは――
リアが、常に僕の“位置”を気にしていることだった。
「そこ、一歩下がって」
「今、動かないで」
「……いい、今は何もしない」
それは命令というより、注意喚起に近い。
彼女自身も、探り探りなのだろう。
「慣れない?」
昼下がり、ギルドの資料室で、リアがふと聞いてきた。
「何がですか」
「何もしないこと」
少し考えてから、答えた。
「……慣れてます」
昔から、そうだった。
前に出ない。目立たない。空気みたいにいる。
でも、今は。
“何もしない”ことが、逆に難しい。
「アレン」
リアは、手元の書類から目を上げないまま言った。
「次の依頼、少し厄介よ」
差し出された依頼書を受け取る。
内容を見て、眉をひそめた。
【依頼内容:鑑定不能現象の調査】
【対象:地下水路】
【備考:魔力反応なし/被害報告あり】
「鑑定不能……」
「ええ。魔法の痕跡も、呪いも、スキル反応もない」
リアは、珍しく困った顔をしていた。
「なのに、被害だけが出てる」
被害。
その言葉に、胸がざわつく。
「場所は?」
「旧市街の地下水路。閉鎖区画」
嫌な予感しかしない。
地下水路は、湿った空気と黴の匂いが充満していた。
松明の光が、濁った水面に揺れる。
「足元、気をつけて」
「はい」
リアが水晶盤を操作するが、盤面は静まり返ったままだ。
「……やっぱり、何も出ない」
「魔物じゃ、ない?」
「少なくとも、条件に引っかかる存在じゃない」
その言い方が、妙に引っかかった。
通路を進むと、壁に奇妙な跡が見えてきた。
引き裂かれたような、削り取られたような痕。
「……これ」
リアがしゃがみ込む。
「物理的損壊。でも、力の流れがない」
僕は、その痕に近づいた瞬間――
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
――まただ。
制限区域で感じたのと、同じ。
世界の“空白”に触れた感覚。
「……リア」
声が、少し掠れた。
「ここ」
「え?」
「ここ、なんか……」
言葉にできない。
でも、確かに“ある”。
リアが、僕の示した場所に水晶盤を向けた。
その瞬間。
盤面が、微かにノイズを走らせた。
「……反応?」
「違う」
リアは、息を呑む。
「**誤作動**よ」
水晶盤が、測定値を出そうとして――出せずに止まっている。
「こんなの、初めて……」
次の瞬間、水路の奥で水音が弾けた。
ざぶり、と。
何かが、水面を叩く。
「来る!」
リアが叫ぶ。
闇の中から、影が滑るように現れた。
形が、定まらない。
魔物でも、人でもない。
「……何、あれ」
リアの声が震える。
水晶盤は、沈黙したままだ。
影が、こちらに近づく。
触れた壁が、音もなく削れる。
条件が、反応していない。
だから、鑑定できない。
僕は、一歩前に出そうになって――止まった。
使えば、ズレる。
観測される。
でも。
影が、リアの方へ向きを変えた。
「……っ」
考える前に、身体が動いていた。
喉の奥が、ほどける。
「……ノク」
小さな音。
ほとんど、息に紛れる程度。
影の動きが、止まった。
完全に、止まったわけじゃない。
ただ、“進めなくなった”。
「今!」
リアが叫ぶ。
彼女は、松明を投げつけた。
炎が、影を照らす。
次の瞬間――
影は、水に溶けるように消えた。
静寂。
僕は、息を整えながら、壁にもたれかかった。
「……今の」
リアが、こちらを見る。
「やった?」
「……最低限、です」
嘘じゃない。
本当に、止めただけだ。
リアは、水晶盤を見つめ、ゆっくりと顔を上げた。
「……ねえ、アレン」
「はい」
「これ、魔物じゃない」
その言葉に、背筋が冷えた。
「**条件から零れ落ちた現象**よ」
零れ落ちた。
世界の外。
「あなたと、同じ側」
胸が、強く脈打った。
僕は、初めて気づいた。
仕様外は、僕だけじゃない。
ただ――
「……僕は」
呟く。
「止められる、側なんですね」
リアは、しばらく黙ってから、静かに言った。
「ええ」
「だからこそ――」
言葉を、続ける。
「あなたは、放っておけない」
地下水路の奥で、水が静かに流れている。
何事もなかったかのように。
でも、確かに。
世界の“ほころび”は、そこにあった。
そして。
それに触れられるのは――
今のところ、僕だけだった。
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