第10話 同類
地下水路から戻った後、リアはほとんど口を開かなかった。
ギルドへの報告は簡潔だった。「原因不明の現象を確認、鎮静化」。それ以上の説明は求められず、むしろ深掘りされないこと自体が不気味だった。
報告書は、どこかで“止められた”のだろう。
「……今日は、もう休みましょう」
それだけ言って、リアは資料室に籠もった。
扉の向こうから、紙を捲る音と、水晶盤が微かに鳴る音が断続的に聞こえてくる。
僕は一人、ギルドの裏庭に出た。
夜風が、ひんやりと頬を撫でる。
地下水路の湿った空気とは違う、乾いた現実の感触。
頭の中で、リアの言葉が何度も反芻される。
――条件から零れ落ちた現象。
――あなたと、同じ側。
「……同類、か」
呟いた瞬間、胸の奥がわずかに軋んだ。
僕は、特別だと思いたくなかった。
怖い存在だとも、思いたくなかった。
ただ、生きていただけなのに。
でも。
もし、あの影が“同じ側”だとしたら。
僕は、何を選ぶ存在なんだろう。
「考えすぎだな」
自分に言い聞かせるように、息を吐く。
その時だった。
背後で、空気がわずかに歪んだ。
風でも、気配でもない。
もっと曖昧で、掴みどころのない“違和感”。
僕は、ゆっくりと振り返った。
そこに――
誰も、いなかった。
けれど。
確かに、何かが“いた”。
「……出てきてください」
声は、思ったより落ち着いていた。
「敵なら、もう遅い。そうじゃないなら……」
言葉を探す。
「話がしたい」
沈黙。
数拍遅れて、空間が、ふっと滲んだ。
人影が、輪郭だけを持って現れる。
男か女かも分からない。年齢も、種族も、定まらない。
ただ、“人の形を真似ている何か”。
「……あなたも、気づくのね」
声は、直接頭の中に響いた。
「私が、見えている」
背筋が、冷たくなる。
「あなたは……」
「名前は、ない」
影は、首を傾げるような仕草をした。
「私は、かつて条件だったもの」
「そして今は、条件になれなかったもの」
意味は、半分も理解できない。
それでも、言葉の重さだけは伝わってくる。
「地下水路の……?」
「似ているが、違う」
影は、否定する。
「彼らは“漏れ”。私は“残骸”」
残骸。
使い終わった、役割のあと。
「あなたは、止めた」
影の輪郭が、わずかに揺れた。
「私たちを、壊さずに」
「……止めただけです」
「それが、できるのは」
影は、静かに告げた。
「あなたが、同じ側だからだ」
胸の奥が、強く鳴った。
「……じゃあ、あなたは」
「観測されていた」
影の声に、感情はない。
「番号は、いくつもあった。だが、消えた」
「記録され、定義され、役割を与えられ……壊れた」
神殿。
管理。
観測番号。
点が、線で繋がっていく。
「……あなたは」
言葉が、喉に詰まる。
「排除、されたんですか」
影は、しばらく黙っていた。
「排除というより、**上書き**だ」
淡々とした答え。
「世界は、余白を嫌う」
「だが、完全には消せない」
「だから、私たちは残る」
背中に、冷たい汗が伝う。
「……僕は」
声が、震えた。
「僕も、そうなる?」
影は、初めて“こちらを見る”仕草をした。
「分からない」
正直な言葉。
「だが、一つ言える」
空気が、ぴんと張り詰める。
「あなたは、まだ選べる」
「何を……?」
「**立場**だ」
影は、静かに言った。
「管理される存在になるか」
「それとも、零れ落ちたものの“境界”になるか」
境界。
繋ぐもの。
隔てるもの。
「……僕は」
答えは、すぐには出なかった。
影は、それ以上何も言わなかった。
輪郭が、夜気に溶けるように薄れていく。
「待って!」
思わず、声を上げる。
「あなたは……どうしたいんですか」
完全に消える直前。
影は、ほんの一瞬だけ、立ち止まった。
「……私か?」
その声には、微かに、何かが混じっていた。
「私は、ただ――」
言葉が、夜に溶ける。
「忘れられたく、なかった」
次の瞬間、そこには何もなかった。
風が、木々を揺らす音だけが残る。
僕は、その場に立ち尽くしていた。
同類。
残骸。
境界。
重たい言葉が、胸の中に沈殿していく。
遠くで、鐘が鳴った。
時を告げる、いつもの音。
世界は、何事もなかったように回っている。
でも。
僕は、はっきりと理解していた。
これはもう、偶然でも事故でもない。
僕の存在は――
**選択を迫られる段階**に、来ている。
そしてきっと。
その選択は、誰かを救い、誰かを切り捨てる。
夜空を見上げる。
星は、静かに瞬いている。
測れない存在が、ここにいることなど、知らないまま。
それでも。
僕は、目を逸らさなかった。




