第7話 同じ場所、違う結果
制限区域に近づくにつれて、空気が重くなっていくのが分かった。
風が吹いているはずなのに、どこか淀んでいる。草木の色もくすみ、地面には踏み荒らされた痕が無数に残っていた。
――戦闘跡だ。
しかも、慌ただしく、無理を重ねた痕跡。
「……酷いわね」
リアが低く呟く。
僕も、黙って頷いた。
倒木。砕けた岩。焼け焦げた地面。
魔法の痕跡はあるが、どれも中途半端だ。力を抑えられ、条件に縛られ、無理やり放たれた痕。
「正面突破を試みたわね」
「勇者なら……そうしますよね」
正面から、堂々と。
それが、レオンのやり方だ。
制限区域の中央に近づくと、人の気配が見えてきた。
簡易陣地。負傷者を寝かせるための布。神殿騎士の白い外套。
そして――
「……レオン」
思わず、名前を口にしていた。
勇者レオン・アルバートは、地図を広げた机の前に立っていた。
以前と変わらない、真っ直ぐな背中。
けれど、肩は少し落ち、目の下には疲労の影が濃く刻まれている。
「魔物は、ここから湧いた」
彼の声は、低く、硬かった。
「条件制限の影響で、殲滅が追いつかない。……俺の判断ミスだ」
周囲の神殿騎士たちは、何も言わない。
責めない。だが、肯定もしない。
その空気が、痛いほど分かった。
正しいことをしたはずなのに、結果が出なかった時の沈黙だ。
「応援が来たと聞きましたが」
レオンが顔を上げる。
そして――僕と目が合った。
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
彼の表情が、凍りついた。
「……アレン?」
声が、掠れていた。
僕は、反射的に一歩下がりそうになるのを堪えた。
代わりに、リアが一歩前に出る。
「ギルド鑑定士のリアです。こちらは、私の補助」
補助。
その言葉に、レオンの視線が揺れる。
「……そう、か」
彼は、小さく息を吐いた。
「来てくれて、ありがとう」
謝罪も、言い訳もなかった。
ただ、事実を受け止めようとする声。
それが、余計に胸に刺さる。
「状況を教えてください」
リアが切り出す。
「魔物は?」
「地中から湧くタイプだ。ロックウルフの変異種。数が減らない」
レオンは、地図の一点を指した。
「ここだ。制限区域の中心。だが、制限のせいで高位魔法が使えない」
僕は、その地点を見つめた。
胸の奥が、微かにざわつく。
――また、だ。
あの時と同じ感覚。
世界の“書き損じ”みたいな、違和感。
「……近づいて、調べてもいいですか」
気づけば、そう言っていた。
レオンが、驚いたようにこちらを見る。
「君が?」
「はい。鑑定補助として」
嘘ではない。
でも、全部でもない。
「危険だ」
「分かっています」
それでも、目を逸らさなかった。
しばらくの沈黙の後、レオンは頷いた。
「……俺も行く」
「え?」
「責任者だ。目を離すわけにはいかない」
リアが、僕を見た。
一瞬だけ、確認するような視線。
僕は、小さく頷いた。
制限区域の中心部は、ひどく静かだった。
音が吸われているみたいに、足音すら曖昧になる。
「……来る」
誰かが叫ぶ前に、地面が割れた。
岩の破片を弾き飛ばし、巨大な影が躍り出る。
ロックウルフ――いや、もっと大きい。魔力で歪んだ、異常個体。
「散開!」
レオンの号令。
神殿騎士たちが動く。
条件どおりの、防御魔法。制限内の攻撃。
だが――
効かない。
魔物は吠え、地面を揺らし、陣形を崩していく。
「くそ……!」
レオンが剣を構える。
勇者の剣技は、確かに凄かった。正確で、無駄がない。
それでも――
届かない。
僕の視界に、負傷した騎士が映る。
倒れたまま、動けない。
胸の奥が、強く脈打った。
――選ばされる。
リアの言葉が、脳裏をよぎる。
「……アレン!」
リアの声。
「最低限でいい!」
最低限。
目立たず。
静かに。
僕は、深く息を吸った。
喉の奥が、ほどける。
「……ト」
小さな音。
ほとんど、囁きだった。
それだけで――
地面が、魔物の足元だけ沈んだ。
罠でもない。
攻撃でもない。
ただ、“立てなくなった”。
「な――」
魔物が、体勢を崩す。
その瞬間。
「今だ!」
レオンの剣が、一直線に閃いた。
渾身の一撃。
勇者の力。
正しく、条件どおりの結果。
魔物が、倒れる。
土煙が晴れたあと、残っていたのは、沈黙だけだった。
「……終わった?」
誰かが呟く。
僕は、膝に手をついて息を整えた。
胸が苦しい。怖い。でも――
壊れていない。
世界は、まだ。
「……アレン」
レオンが、こちらを見ていた。
その目には、はっきりとしたものが宿っている。
疑いでも、見下しでもない。
理解だ。
「さっきの……」
「気のせいです」
僕は、すぐに言った。
「足場が崩れただけ」
嘘だと、分かっているはずだ。
でも、レオンはそれ以上追及しなかった。
彼は、ゆっくりと剣を下ろす。
「……そうか」
短く、それだけ言った。
その沈黙が、何より重かった。
制限区域は、静かに解放された。
被害は最小限。
神殿騎士たちは、胸を撫で下ろしている。
リアが、僕の隣に来た。
「……やりすぎてない」
小さな声。
「うん」
心臓の音が、まだ速い。
レオンが、僕の前に立った。
「アレン」
真っ直ぐな声だった。
「俺は……間違っていたかもしれない」
その言葉に、胸が締め付けられる。
「でも、今はそれを、口にする資格がない」
彼は、深く頭を下げた。
「ありがとう。助けられた」
その瞬間。
胸の奥で、何かがほどけた。
復讐じゃない。
勝利でもない。
ただ――
同じ場所に立って、違う結果を出した。
それだけで、十分だった。
けれど。
遠く、制限区域の外で。
誰かが、こちらを“見ていた”気がした。
理由の分からない、視線。
世界が、また一つ。
僕を、記録した音がした。




