第32話 拒否
再び呼び出された応接室は、前と同じ静けさだった。
違うのは、机の上に置かれた紙がそのままだということ。
境界対応組織の構想図。
整然としていて、無駄がない。
「……答えは」
セドリックが、穏やかに促す。
迷いは、まだ残っている。
だが、結論は出ていた。
「断ります」
静かに、はっきりと。
セドリックは目を閉じ、小さく息を吐いた。
「理由を、聞いても?」
「僕が中心に立てば」
紙を見下ろす。
「みんな、僕を見るようになる」
「決断を、僕に預ける」
「それは、安定です」
「ええ」
頷く。
「でも」
一拍。
「それは、“決めない側”を量産します」
セドリックは、否定しなかった。
「君は、世界に判断を分散させたい」
「はい」
「だが、それは遅い」
「不完全だ」
「犠牲も出る」
「出ます」
即答した。
その潔さに、セドリックの視線がわずかに揺れる。
「それでも?」
「それでも」
言葉を続ける。
「誰か一人に、全部を背負わせる構造は」
「イリスを、また生みます」
部屋が、静まり返る。
イリスの名は、ここでは重い。
「……君は」
セドリックが、ゆっくりと言う。
「彼女を救う機会を、手放すのか」
その問いは、核心だった。
胸が、痛む。
イリスをこの組織に組み込めば、
訓練を受け、役割を与えられ、
少なくとも“危険な個人”ではなくなる。
救える。
だが。
「救えません」
絞り出すように言う。
「僕が檻に入ることで救えるなら」
「それは、救いじゃない」
視線を上げる。
「彼女は、自分で選んだ」
「僕が選び続ける構造に入れたら」
「また、彼女の選択を奪う」
セドリックは、しばらく黙っていた。
「……非効率だ」
「はい」
「危険だ」
「はい」
「世界は、安定しない」
「はい」
全て、受け止める。
「それでも?」
「それでも」
声が、揺れない。
「僕は、境界でいたい」
セドリックは、初めて小さく笑った。
「制度にならない、と」
「なりません」
「なれない、ではなく?」
「なりません」
断言。
長い沈黙の後、セドリックは紙を手に取り、ゆっくりと折った。
「……提案は、撤回します」
淡々とした言葉。
怒りも、失望もない。
「だが、イリスは制度の中に残る」
覚悟していた言葉だ。
「分かっています」
「面会は許可しよう」
少し間を置いて。
「彼女が、自分の立場を理解するために」
それは、譲歩だった。
「ありがとう、ございます」
立ち上がる。
扉に手をかけたところで、セドリックが言った。
「君は、何者にもならないな」
振り返る。
「勇者にも」
「神殿にも」
「制度にも」
その通りだ。
「……はい」
「それで世界は救えるか?」
問いは、冷静だった。
答えは、一つ。
「救えません」
正直に言う。
「でも」
一歩、外へ出る。
「誰か一人に、救わせる世界にはしません」
扉が閉まる。
廊下の窓から、外の光が差し込んでいた。
安定は、選ばなかった。
効率も、捨てた。
代わりに選んだのは、
遅くて、不完全で、面倒な道。
それでも。
境界は、檻にならない。
その拒否が、
この物語の、最初の終わりだった。
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