第31話 優しい檻
呼び出しは、静かだった。
正式な召喚状でも、緊急命令でもない。
ただ、「話がある」という一文だけ。
場所は、神殿本部の応接室。
裁定の間でも、会議室でもない。
「……随分、穏やかですね」
椅子に腰掛けながら、そう言うと――
「穏やかでない話ほど、静かな場所でするものです」
セドリックは、いつも通り淡々と答えた。
部屋には、彼と僕だけ。
記録官はいない。
水晶盤も、置かれていない。
それだけで、この話が“評価”ではなく“提案”だと分かる。
「……イリスの件ですが」
切り出したのは、セドリックだった。
「拘束は、あくまで保護です」
「即時処分の予定はありません」
胸の奥が、わずかに緩む。
「ただし」
すぐに、続く。
「このままでは、同様の存在が出る」
「そして、同様の判断が繰り返される」
否定できない。
「だから、提案があります」
彼は、机の上に一枚の紙を置いた。
図式化された、簡素な構想図。
「……これは?」
「**境界対応組織**です」
あまりにも、はっきりした言葉だった。
「境界的存在を、隔離ではなく管理する」
「保護し、訓練し、配置する」
聞き覚えのある言葉が、並ぶ。
「中心には、あなたが立つ」
視線が、こちらに向く。
「判断役」
「調整役」
「最終責任者」
喉が、ひくりと鳴る。
「……檻、ですね」
そう言うと、セドリックは否定しなかった。
「ええ」
「ただし、**優しい檻**です」
言葉を、続ける。
「君を閉じ込めるためではない」
「君が暴れずに済むための檻だ」
理屈としては、完璧だった。
イリスは救える。
次の同類も、守れる。
判断は体系化され、被害は抑えられる。
そして――
世界は、安心する。
「……僕が」
静かに言う。
「全部、引き受けることになる」
「はい」
即答だった。
「君は、選べる」
「そして、選び続けられる」
それは、祝福のようにも聞こえた。
同時に――
「それは」
言葉を探す。
「**誰かが、選ばなくて済む世界**を作ることでもある」
セドリックは、少しだけ目を細めた。
「それが、問題ですか」
「……はい」
はっきり言った。
「選ばなくていい世界は」
「“決めなくていい世界”になります」
それは、イリスが立っていた場所だ。
「……彼女は」
続ける。
「誰も傷つけないために、何も決めなかった」
「その結果、町は壊れた」
沈黙。
「もし、僕がこの役を引き受けたら」
視線を落とす。
「みんな、僕を見る」
「僕が決めるのを、待つ」
それは――
管理と、何が違う?
「……理解しています」
セドリックは、静かに言った。
「だが、それでも」
「今の世界には、必要です」
彼の声に、迷いはなかった。
「境界は、すでに生まれてしまった」
「なら、囲うしかない」
それが、管理者の結論だ。
長い沈黙のあと、息を吐く。
「……即答は、できません」
「ええ」
セドリックは、頷いた。
「だから、これは命令ではありません」
「提案です」
立ち上がる。
「考えてください」
「イリスを救う、最短の道です」
扉が閉まる。
一人、応接室に残される。
紙の上の図式を見る。
整理され、分かりやすい。
人が安心できる、形。
でも――
胸の奥に、重たい違和感が残っていた。
これは、逃げではない。
善意だ。
現実的な解決策だ。
それでも。
**この檻に入った瞬間、
“境界”は死ぬ。**
そう、直感が告げていた。
外に出ると、リアが待っていた。
「……顔、硬いわね」
「うん」
正直に答える。
「檻を、用意された」
彼女は、少しだけ笑った。
「優しい?」
「とても」
だからこそ、危険だ。
「……どうするの」
リアが、真っ直ぐに聞く。
答えは、まだ出ない。
だが、一つだけ確かなことがある。
この提案を受け入れれば――
イリスは、救える。
拒めば――
彼女は、制度の中で消えていく。
選択は、重すぎた。
境界に立つということは、
こういう重さを、何度も引き受けることなのだと――
ようやく、理解し始めていた。
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