第26話 逃げた先にあるもの
次の案件は、地図の端に小さく記されていた。
【管理優先区域/立ち入り注意】
文字通り、管理側が即応する前提の場所だ。
「……今回は」
ミナが、馬車の中で言う。
「あなたの出番は、ありません」
言い切りだった。
「正統解で処理します」
「境界介入は、不要」
その判断に、誰も異を唱えなかった。
昨日の件が、あまりにも“危うく成立した”からだ。
――分かっている。
これは、正しい。
そして、安全だ。
「……分かりました」
そう答えた自分の声が、思ったより軽かった。
現地に着くと、管理官たちは迅速に動いた。
結界展開。住民退避。条件固定。
手際は、完璧だ。
僕は、一歩引いた場所で立ち尽くす。
境界に立つ必要は、ない。
……立たなくて、いい。
リアが、横に来る。
「楽?」
問いは、短かった。
「……少し」
正直に答える。
失敗しない。
責められない。
判断を、背負わなくていい。
歪みは、封じられた。
予定通り、問題なく。
拍子抜けするほど、静かに。
「……終わった」
誰かが言った。
住民は、戻ってくる。
何が起きたか、詳しくは知らされない。
でも、被害はない。
それで、いいはずだ。
――はずだった。
少し遅れて、悲鳴が上がった。
「……あ?」
結界の外。
管理区域の境目。
そこに、小さな家が一軒あった。
退避指示が、届かなかった場所。
歪みは封じた。
だが――
**歪みが消えた“反動”が、外へ逃げた。**
家屋が、音を立てて崩れる。
「……っ!」
駆け出しかけて、足が止まる。
これは、管理の案件だ。
僕の役割じゃない。
そう、決めた。
瓦礫の中から、泣き声が聞こえる。
「助けて……!」
子どもの声。
ミナが、歯を食いしばる。
「……想定外だ」
管理官たちが、慌てて動く。
だが、準備が遅れる。
数秒。
たった、それだけ。
胸の奥が、強く鳴る。
――行けば、介入だ。
――行かなければ、被害が出る。
でも、今日は。
今日は、選んだ。
**行かない**。
管理官が、瓦礫をどかす。
遅れて、子どもが引き出される。
血が、流れていた。
命は助かった。
それでも――
誰かが、傷ついた。
現場が落ち着いたあと、誰も僕を見なかった。
責めも、感謝もない。
記録には、こう残る。
【管理処理中の副次事故】
【介入者なし】
正しい。
完全に、正しい。
宿に戻った夜、言葉が出なかった。
「……ねえ」
リアが、静かに言う。
「今日、あなたは間違えてない」
「うん」
「でも」
一拍。
「逃げた」
否定できなかった。
境界に立たなかった。
責任を、引き受けなかった。
その結果が、これだ。
「……楽だった」
喉が、ひりつく。
「何もしないのは」
リアは、怒らなかった。
ただ、悲しそうだった。
「それが、一番怖いのよ」
その言葉が、胸に刺さる。
翌朝、セドリックから短い報告が届いた。
【評価:安定】
【備考:介入なし】
紙を、静かに畳む。
安定。
正しい。
安全。
でも。
瓦礫の下で聞いた声が、耳から離れなかった。
境界に立つことは、危険だ。
間違える。
責められる。
それでも――
立たなければ、救えないものがある。
窓の外を見る。
管理区域の空は、今日も澄んでいる。
その下で、静かに歪みは溜まっていく。
逃げた先にあったのは、安定じゃなかった。
**後悔だった。**
それを抱えたまま、次の選択が来る。
もう、分かっている。
次は――
逃げられない。
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