第16話 条件の薄い土地
国境沿いの土地は、思っていた以上に“静か”だった。
人の気配が薄い、という意味ではない。
市場もあるし、畑もある。旅人も行き交う。
それなのに――どこか、世界の輪郭が曖昧だ。
「……ここ、妙ね」
街道を進みながら、リアが呟いた。
「魔法の流れが弱い。条件式が、浅いというか……」
「浅い?」
「管理が行き届いていない、と言った方が近いわ」
神殿の影響が薄い。
鑑定所も、正式な神官もいない。
だからこそ、問題も表に出にくい。
だからこそ、僕たちはここに来た。
最初に立ち寄った町は、小さな関所を兼ねた集落だった。
石壁は古く、補修も雑だが、人々の表情は穏やかだ。
「冒険者かい?」
門番が、気さくに声をかけてくる。
「護衛の依頼でも?」
「いえ、しばらく滞在を」
リアが答える。
「鑑定士です。簡単な調査を」
「へえ。珍しいな」
それ以上、詮索はされなかった。
それが、この土地の気楽さだった。
宿に荷を置き、町を歩く。
違和感は、薄いが――確かにある。
水車の回りが、微妙にきしむ。
井戸の水が、日により濁る。
誰も深刻に受け取っていないが、放っておけば崩れる兆し。
「……ここは」
胸の奥が、微かにざわつく。
「あなた、感じてるわね」
リアが、こちらを見る。
「ええ。大きな異常じゃない。でも――」
「**積み重なった小さなズレ**」
その言葉に、頷いた。
管理が薄い分、世界は自由だ。
でも同時に、歪みも溜まりやすい。
「ここなら……」
言いかけて、口を閉じる。
「ううん。言って」
「……止めても、あまり目立たない」
リアは、少しだけ笑った。
「そうね。ここは“境界の向こう側”に近い」
その日の夕方。
町外れの畑で、小さな騒ぎが起きた。
「動かなくなったんだ!」
農夫が、壊れた水路を指差して叫んでいる。
水が、途中で途切れ、畑が干上がり始めていた。
「鑑定では?」
リアが尋ねる。
「異常なしって言われた!」
条件は、正常。
でも、結果は出ていない。
僕は、水路に近づいた。
胸の奥が、軽く熱を持つ。
いつもの、ほどける前兆。
――使うか?
一瞬、迷いはあった。
だが、ここでは。
誰も、見ていない。
記録も、残らない。
「……ト」
ほとんど、息だった。
水路の底が、わずかに沈む。
詰まっていた石が、自然に外れる。
水が、流れ出した。
「おお……!」
農夫が、目を見開く。
「直った……?」
「たまたまです」
そう言うと、彼は笑った。
「たまたまでも、ありがたい!」
拍手が起きる。
誰も、魔法だとは思っていない。
胸の奥が、静かだった。
歪みは、広がらない。
観測も、されない。
リアが、小さく息を吐く。
「……ここなら」
「うん」
僕は、頷いた。
「ここなら、“境界”の役割を果たせる」
世界を壊さず、
人を見捨てず、
ただ、少しだけ整える。
勇者でもない。
管理者でもない。
名もなき、調整役。
夜、宿の窓から外を眺める。
星は、いつもより多く見えた。
条件が薄い分、光が強い。
遠くで、風が鳴る。
強くも、弱くもない。
境界をなぞるような風。
ここでなら、まだ――
選び続けられる気がしていた。
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