第12話 数字の向こう側
監査が始まってから、ギルドの空気は目に見えて変わった。
依頼は減り、張り出される紙の色も地味になる。冒険者たちの声は小さくなり、視線は僕を避けるように滑っていった。
腫れ物に触る、という言葉がぴったりだった。
「……まるで、病人扱いね」
資料室で、リアがぼそりと呟く。
彼女の前には、積み上げられた報告書。
全部、僕が関わった案件だ。
「これ、見て」
一枚、紙を引き抜いて差し出される。
内容は簡潔だった。
街道、地下水路、制限区域――それぞれの地点で起きた“異常値”。
「発生確率、通常の三倍」
「鑑定誤差、許容範囲外」
「条件遅延、短時間だが確認」
全部、事実だ。
「……僕がいたから」
呟くと、リアは首を振った。
「“あなたがいた時”に起きただけ」
「因果関係は、まだ確定してない」
でも、ミナはこう言った。
――偶然は一度まで。
「ミナの言い分も、分かる」
リアは、正直に言った。
「世界は安定していた方がいい。管理できるなら、尚更」
「不確定要素は、少ない方がいい」
彼女は、紙束を軽く叩く。
「あなたは、その逆」
胸が、重くなる。
「……僕は」
言葉を探す。
「いない方が、いいのかな」
資料室が、静まり返った。
リアは、ゆっくりとこちらを見る。
怒ってはいない。悲しんでもいない。
「それを、あなたが決めるの?」
鋭い問いだった。
「世界が、そう言ってるから?」
返す言葉が、なかった。
その時、扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、ミナだった。
監査官としての装いは変わらないが、今日は護衛を連れていない。
「少し、時間をもらえますか」
リアが、警戒しながら頷く。
「……どうぞ」
ミナは、僕の正面に立った。
「単刀直入に言います」
前置きはなかった。
「あなたが関与した案件の周辺で」
「新たな被害が出ました」
心臓が、跳ねる。
「え……?」
「小規模です」
「ですが、あなたが“いなかった”地点です」
言葉の意味を、すぐに理解できなかった。
「……僕が、いなかった?」
「ええ」
ミナは、水晶板を取り出す。
そこに映ったのは、街外れの集落。
「あなたが監査対象になり、行動を制限された後」
「同様の“鑑定不能現象”が発生しました」
頭の中で、何かが反転した。
「……止められなかった」
「正確には」
ミナは、淡々と続ける。
「**止められる可能性があった存在が、現場にいなかった**」
喉が、ひくりと鳴った。
「被害は?」
「負傷者数名。死者はいません」
少しだけ、安堵する。
でも――
「ミナさん」
初めて、彼女の名を呼んだ。
「それって……」
「ええ」
彼女は、わずかに視線を伏せる。
「あなたが関与すれば、世界は不安定になる」
「あなたが関与しなければ、被害が出る可能性が高まる」
数字が、意味を持ち始める。
単純な善悪じゃない。
二択でもない。
「……矛盾、ですね」
絞り出すように言う。
「その通りです」
ミナは、初めて迷いを含んだ声を出した。
「だからこそ、監査しています」
「だからこそ、判断を急ぎたくない」
彼女は、僕を見る。
「あなたは、危険です」
「でも、必要かもしれない」
必要。
その言葉が、胸に重く落ちた。
「あなたがいることで、歪む」
「あなたがいないことで、壊れる」
ミナは、静かに言った。
「……正直に言います」
一呼吸置いて。
「私は、あなたを否定したいわけではありません」
「ただ、“正しさ”を守りたいだけです」
リアが、堪えきれずに口を開く。
「正しさって、誰の?」
ミナは、即答しなかった。
「……世界の」
短い答え。
「人じゃないんですね」
リアの声は、冷えていた。
ミナは、反論しない。
「だから、お願いがあります」
ミナは、僕に向かって言った。
「次の案件」
「あなたにも、同行してほしい」
驚いて、目を見開く。
「制限付き、監視付き」
「あなたが“止められるかどうか”を、見たい」
リアが、息を呑んだ。
「それは……」
「実験です」
ミナは、はっきりと言った。
「あなた自身を含めた」
胸の奥が、強く鳴った。
逃げ道は、ない。
でも――
「……分かりました」
自分でも驚くほど、静かな声だった。
「行きます」
ミナは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その仕草は、監査官のものではなかった。
一人の人間のものだった。
ミナが去ったあと、リアが僕を見る。
「……後悔しない?」
「分からない」
正直な答えだった。
「でも」
窓の外を見る。
いつもと同じ街。
同じ空。
「僕がいなかったせいで、誰かが傷つくのは……」
言葉が、続かなかった。
リアは、静かに頷く。
「じゃあ、行きましょう」
彼女は、いつもの調子で言った。
「数字の向こう側を、見に」
その言葉に、少しだけ救われた気がした。
正しさは、数字で測れる。
でも――
救いは、そこには載っていない。
次の現場で、僕はそれを突きつけられることになる。
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