58 恐るべき邪神
その時、邪神を埋め尽くしていた土砂が舞い上がり凄まじい勢いで吹き飛んでいく。それは爆発と呼ぶにふさわしい急激な土砂の巻き上げだった。そして土の下から二本の角が勢いよく生えてくる。次いで、えげつなくカーブした鉤爪付きの巨大な腕が、そして遠目にもはっきりとわかる黒い巨大な胴体が土の下から這い出てくる。まるで地獄の底から湧き上がる悪夢のようだった。
「があああああああッ! 貴ッ様ァーーーーーッ! ただの人間ではないなァァァァッ!」
黒獣が耳をつんざくような怒声を張り上げ、空気が激しく振動する。憤怒に塗りつぶされた絶叫が、世界中の空気を震え上がらせてしまったかのようだった。
ヴァルドの首が横なぎに大きく振られる。同時、邪神の眼が薄闇に真っ赤なラインを引く。殺意のこもった瞳が、大神殿にいるゼロを睨みつけた。
「うあっ!? ピンピンしてるぞ!」
まるで堪えてない邪神に、クゥはビビって腰を抜かす。大神殿に座り込んでしまったクゥの隣でサーニャが。
「ウソでしょ!? ゼロの攻撃をまともに喰らって無傷だなんて!」
信じられない耐久力を待つ邪神。地形が変わるほどの攻撃を食らったというのにヴァルドの勢いはまるで衰えない。むしろその勢いは先ほどよりも増していた。ゼロの一撃が邪神の怒りに火をともしてしまったようだ。
ゼロが神殿の外に飛び出す。一歩神殿を出ればそこには無限の荒野が広がっている。漆黒のマントをなびかせたゼロが、ブラウンのブーツで荒野を蹴る。目標は彼方で怒り狂う邪神ヴァルド。半分ほど距離を詰めたところで、邪神がゼロに指を向けて構えた。その指先が黒く光り、たちまちのうちに指先に魔力がたまっていく。
「――!」
ゼロの目にもはっきり見えるほどの黒く揺らぐ魔力が周囲の空間をゆがませる。ゼロは即座に足を止める。
「な、なんて魔力! ま、まずい! 逃げてゼロ!」
ラトナの鬼気迫る声が背後から届く。ゼロを除いた仲間たちは、まだ神殿にいる。……この位置取りは危険だ。ゼロが視線だけを背後の神殿に向ける。
(まずい……! かわしたら神殿にいるラトナたちに直撃する!)
正面にいるヴァルドからの攻撃をゼロがかわせば、その攻撃は背後にある神殿に襲いかかる。そうなれば神殿にいる仲間たちに甚大な被害が出る。
ゼロは全身に力を込め、拳を握り込んだ。それは一か八かの賭けだった。
「死ぬがよいッッッッ!」
ヴァルドの指から魔法が飛び出した。一筋の黒い輝きがすさまじいスピードでゼロに迫る。黒い光は一瞬にしてゼロの元に到達し、少年に襲いかかった。
「はあーーーーーーーーーッ!」
魔法がぶつかる瞬間、ゼロは握り込んだ拳を思い切り振り抜いた。
少年の拳がヴァルドの魔法と激突する。激しい火花を撒き散らしながら、ゼロの拳が黒い魔法の動きを止める。しかし一筋の黒い光に過ぎないその魔法は、圧倒的な圧力でゼロを押し返してくる。獰猛なまでの魔法のパワー。少年は歯を食いしばり、全身に一段と力を込める。
「うおおおおおおおーーーー!」
ゼロの拳が魔法を押し返し始めた。直後、魔法の軌道が変わり、黒い光はゼロのはるか側方に猛烈なスピードで飛んでいった。
数秒後。魔法の飛んでいった方角で大爆発が起こる。広範囲にわたって土煙が立ち込めて、そのあたり一帯の景色が、土埃の中に消えてしまった。
「なに!」
予想外の結果だったのか、ヴァルドが驚きをあらわにする。邪神は自らが放った魔法が跳ね返されたことが信じられないようで、魔法の飛んでいった方角を見ながら固まってしまった。
「し、信じられん! あれほどの魔力を素手で跳ね返したというのか!?」
神殿にいるグレンは目の前で起こった光景に、明らかな驚きを示す。
「な、なんという……」
グレンの隣でルドラも言葉を失っている。
「行きましょう! ゼロの元へ!」
ラトナの合図で、大神殿の仲間たちがゼロの元に駆け出す。
ゼロの元に仲間たちが集まり七人の戦士が集結する。
そんな中、邪神ヴァルドは一人苛立ちをあらわにする。
「虫けらどもがあぁぁぁぁぁ……!」
勢いづくゼロたちに対して、苦虫をかみつぶしたような顔で、忌々し気に怨嗟の声を漏らすヴァルド。
邪神が体勢を低くして、両こぶしを握り込む。その全身に力が込められていく。
「図に乗るなーーーーーーーーーーッ!」
邪神を包む魔力が一瞬にして膨れ上がる。黒獣の周囲を黒いオーラが立ち込める。
「バ、バカな! ま、まだ強くなるっていうの!?」
青ざめた顔のサーニャは震える声で言った。
同時、魔力の風があたり一面に吹きすさんだ。ヴァルドを中心に暴風があたりに吹き荒れる。荒れ狂う暴風が、ゼロたちに襲いかかる。
「きゃああああっ!」
激しく体をあおられて、アルルが悲鳴を上げる。
あまりにも強い風がすべてのものを拒む。風が強すぎて、このままではヴァルドに近づくことさえできない。
「か、怪物め……」
顔を腕でガードしたグレンが、苦い表情で邪神に吐き捨てる。
その時、ヴァルドの体が宙に浮かび上がった。
「浮いた!」
アルルが言った。
黒い魔力に包まれたヴァルドが、空高くへと昇っていく。
上空のヴァルドが大地を見下ろす。
上空の赤い瞳をゼロが睨み返す。
「これで終わりにしてやる」
そう言うとヴァルドが頭上高くに片腕を掲げて気合いを込める。
「はああああああああああ!」
掲げられたヴァルドの手で、黒い魔力が渦巻いていく。それは形を変え、半透明のガラス玉のような魔法へと変化する。それは最初、ごく小さな球体だったものの、たちまちのうちに膨らんでいき、巨躯を誇るヴァルドと同等のサイズにまで巨大化してしまった。半透明の球体の中では黒い炎が燃え盛っている。魔法から放たれる魔力が、ゼロの肌をビリビリと刺激する。上空と地上でかなり距離が離れていると言うのに、その魔力が伝わってくる。
サーニャのアゴから汗が滴り落ちた。サーニャはヴァルドの魔法を見て完全に固まってしまった。
「な、なんということ……」
ヴァルドの魔法に釘付けになったラトナは、弱々しく声を漏らす。
「こ、この一帯を消し飛ばす気か!」
ルドラの声から焦りが漏れる。
「サーニャ!」
唖然としているサーニャのローブを、クゥが乱暴に引っ張る。しかしサーニャは反応しない。空を見て固まっている。
「サーニャっ!」
クゥがもう一度その名を呼ぶ。今度はさっきよりも大きな声で。
サーニャが、ハッと我に返り、小さな少女を見つめた。
「クックック。逃げても構わんぞ。……もう間に合わんがな」
圧倒的大魔法を携えたヴァルドが上空で愉快そうに笑う。その魔力は神殿跡一帯を吹き飛ばすに十分な量だった。いや、へたをしたらルクトルクまでをも巻き込むエネルギー量かもしれない。
(な、なんてパワーだ……。この一帯を消せるだけの魔法……。かわしたらサーニャたちの命が無い! 絶対にここで食い止める!)
大魔法を前にして、ゼロが両腕を構える。
「う、受け止める気か!?」
「無理だ! レベルが違いすぎる!」
「む、無茶よ、ゼロ!」
グレンが、ルドラが、サーニャが少年の無謀とも言える少年の行動を制止する。
「バカが。この一撃で、この地は終わりだ」
上空のヴァルドがゼロをあざ笑う。そして。
「王国もろとも、消え失せろーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
黒く巨大な腕が振り下ろされる。超巨大魔法弾がヴァルドの手を離れ、大地に向かって緩やかな速度で落下を始めた。
「俺から離れろーーーーーーーーーーーー!」
叫ぶと同時、斜め上方から落下してくる大魔法を受け止めるべく、ゼロが全身に力を込める。
ゼロの声に真っ先に反応したのはサーニャだった。
彼女はクゥを抱えると、ゼロを見つめて立ちすくむアルルの手を引いて、大神殿の方角へ走り出す。
次いで、ルドラが動く。迫り来る魔法弾を凝視して言葉を失っているラトナの手を引っ張って、サーニャの後を駆けだした。
残されたグレンがゼロを一瞥する。騎士団長は何も言わない。彼はゼロにすべてを託し、身をひるがえすと、逃げていく仲間の後に続いた。
ゼロを残して仲間たちがヴァルドから離れていく。魔法弾は、すでに地上に落ちる寸前だった。
「伏せろーーーーーーーーー!」
最後尾からグレンが叫ぶ。その合図で逃げていた全員が地面に飛び込み、体を伏せた。
ついに魔法はゼロの目前に到達した。ゼロが気合いを込める。
「はーーーーーーーーーーッ!」
大魔法がゼロの手に触れる。ただそれだけだというのに、体がバラバラになりそうなほどの衝撃が全身に走る。少しでも気を抜いたらその瞬間にこの場所から弾き飛ばされてしまう。
「ぐあああああああっ!}
ゼロが地面を押されていく。少年の体が、大地を後ずさる。ゼロの手に受け止められた魔法弾は威力を弱めず、少年をいとも簡単に押し返してしまう。このままでは大神殿まで押し返される。その途中で伏せて身を守っているサーニャたちが巻き込まれてしまう。
「……はああああああ!」
ゼロがパワーを振り絞る。黒炎うごめく魔法球を、渾身の力で押し返す。大地を滑り続けていたブーツの速度が徐々に落ちていく。そしてその動きが、ついに停止した。
「と、止めた!」
グレンの声色には驚きと喜びとがまじりあっていた。
しかし――。ゼロの表情は芳しくなかった。
(な、なんてパワーだ……!)
魔法を止めたのもつかの間、魔法弾の押し付けるような圧に、今度はゼロの足元が地面に埋まる。魔法の威力で大地にヒビが入り地面が簡単に陥没していく。少年の腰までが一気に地面に埋まってしまう。
「ぐあああああっ!」
ゼロが苦悶の叫び声を上げる。どれだけ押し返しても魔法の威力がまるで落ちない。最初と変わらぬ圧倒的圧力でゼロを追い込んでいく。




