55 闇に輝く赤い瞳
◇
――北の大神殿。
空は黒い雲に覆いつくされ、昼間だと言うのに薄暗い。
復活した邪神の黒い体で、はち切れんばかりの筋肉が荒々しくうごめいている。その姿は獰猛な肉食獣を連想させ、対峙しているだけで恐怖を感じるほどだった。両の足で地面を踏みしめて立ち、額には天を突くような二本の角。
ヴァルドの魔力は復活した直後とほとんど変わっていない。ラトナたちとの激闘を繰り広げたというのに、邪神にはまったく言っていいほど消耗が見られなかった。
薄暗闇にヴァルドの赤い瞳が光り、三人の小さな敵対者を見下ろす。
「グオオオオオ……」
地の底から湧き上がるような唸り声が空気を震わせる。邪神の全身を包む黒いオーラが膨れ上がる。邪神にとってはわずかに魔力を込めただけに過ぎないのだろうが、それによって生じた暴風が、邪神の正面に立つルドラのローブを激しく、はためかせた。
「くっ!」
額から二本の角を生やした赤髪の少女は、腕をクロスさせてガードすると、風圧に耐える。
ルドラの背後には白いドレスを着た金髪の少女ラトナ。彼女が両耳につけた、死を肩代わりするマジックアイテム命のイヤリングは、すでに役割を果たした。イヤリングに付属していた赤い宝石は、すでに崩れ落ちた。
ルドラの前方には、大理石の柱にもたれかかってグッタリと座るグレンの姿。邪神の一撃で深刻なダメージを負った騎士団長は、一切の身動きを取れずにいた。
「どうした。かかってこんのか?」
邪神が足元のルドラに問う。
(な、なんという魔力……)
ヴァルドの圧倒的な魔力を前に、ルドラは身をすくめる。
少女からの返答がないことを確認すると、黒い巨体は膨大な魔力をたずさえてルドラの元に歩き出す。
山のように巨大な怪物が迫ってくる中、ルドラは、背後のラトナをかばうように立ちふさがる。応戦の構えを取ると、気合を込める。
「はあーーーーーーーっ!」
ルドラの全身を力強い魔力の光が包み込む。そのまま胸の前で両手を向かい合わせると、両手の間の空間に、氷の塊が形成されていく。ルドラの得意とする氷魔法だ。
「はっ!」
ルドラが魔法を放つ。と、氷の塊は鋭利な氷柱へと成長し、目の前の黒い怪物に疾風のごときスピードで襲いかかった。そのスピードに邪神は全く反応できない。氷柱は邪神の心臓に襲いかかった。
(とらえた!)
ナイフのように鋭利な氷柱が、邪神の心臓に直撃する。同時、氷の塊は先端から蒸発してかき消えた。
「なっ!」
「なんだ今のは?」
「バ、バカな……」
動揺を隠しきれない魔法使いを、邪神は蔑むように見下ろす。
そんな彼女に追い打ちをかけるように、ヴァルドが叫びを上げる。
「はあーーーーーーーーっ!」
ヴァルドの魔力が膨れ上がり、全身から黒いオーラがほとばしる。その圧力に屈して、ルドラの足が床を離れる。宙を舞った赤髪の少女が、ラトナの後方に投げ出される。ラトナの目が少女を追う。
「ルドラ!」
石床に叩きつけられたルドラは、なすすべもなく石床の上を回転すると、うつ伏せに倒れ込んだ。
「ル、ルドラ!」
力なく倒れる少女の名を叫ぶ姫。反応はない。前方からの殺気に、ラトナは視線を戻す。
二人の乱入者を倒した邪神は、苛立たし気に歯をかみしめると、足元のラトナをにらみつける。
「忌々(いまいま)しいルクトルクの末裔め」
それは明確な殺意。
ラトナはすぐさま臨戦態勢を取る。一瞬の油断もできない。そんなことをすれば次の瞬間には命は無いだろう。頼みの綱の命のイヤリングも、すでに崩れ落ちている。もはや後がなかった。
邪神が鋭く尖ったかぎ爪を、ラトナに向ける。
ヴァルドの指先が一瞬、黒く輝いたかと思うと、ラトナの全身に強い衝撃が走った。
「きゃああああっ!」
視界が猛スピードで回転する。地面の感覚はなくなり、全身が浮遊感に襲われる。直後、体の前面に鈍い痛みが走った。それは思考する猶予もない刹那の出来事。
「がっ!」
体の前面から、鈍い痛みが伝わってくる。床に叩きつけられたことを瞬時に理解するラトナ。
邪神は指先にほんの一瞬魔力を込めただけ。なのにそれだけで何もできずに翻弄される。実力差が開きすぎている。もはや勝負にすらなっていなかった。
「あっ……ぐ……」
ラトナは両手で地面を押す。全身に痛みが走る。地面にぶつかった拍子に、あちこちを打撲したらしい。しかし止まるわけにはいかない。痛みをこらえて少女は立ち上がる。
ヴァルドが黒い指を音もなく動かす。その照準が前方の少女に定まった瞬間、動きがピタリと止まる。ラトナを指した指先が、黒い魔力を帯びていく。邪神の指に、計り知れない魔力が集まっていく。一点に集中した魔力は、闇のように暗く輝き、周囲の空間を歪めていく。
(あれだけの魔力を使っているのに、ヴァルドの全身を覆う魔力はほとんど減っていない。な、なんて底なしの魔力……)
ヴァルドの指に集まった魔力はすでに尋常ではないレベルに達している。食らえば今度こそ確実に命は無い。しかし反撃に出ようにはヴァルドには隙が無い。
(な、何とかして隙を作らなくては……!)
しかし反撃に転ずるだけの時間はもうなかった。
邪神の指にはすでにラトナを葬るに十分な量の魔力が集まっていたのだ。黒い指先がひときわ強く輝いた。
「さらばだ、ルクトルクの末裔よ」
低い声が別れを告げる。
黒い指先から莫大な魔力が放たれた。それは光のごときスピードでラトナに迫る。
(速いっ!)
ラトナは腕をクロスさせてガードする。それは防御にもならない些細な抵抗。襲い来る魔力があまりにも強すぎる。このままではガードを貫かれてしまう。凶弾がラトナの眼前に迫った。凶弾がラトナを吹き飛ばす直前、なんの前触れもなく、少女の目の前が白く輝く。
(な、何!?)
黒い魔力はラトナに命中する直前で、白い輝きと激突した。はずみに黒い魔力の軌道が逸れる。ラトナの横を通過した黒い魔力は、大理石の支柱の間を通り抜けて空に昇るっていく。そしてはるか上空で爆発した。
ラトナが後ろを振り返る。
「はあ……はあ……」
息を切らせて肩を上下させたルドラが、体の前で片手を構えて立っていた。その手から、白い煙が昇っていく。
ルドラの放った魔法が、ギリギリのところで王女をピンチから救い出したのだ。
攻撃を邪魔されたヴァルドが目元を吊り上げる。そして、赤髪の少女を睨みつけると。
「ザコが!」
不快感をあらわにして吐き捨てると、邪神は大木の幹のように太い腕を振り上げる。はずみに発生した衝撃波が稲妻のような速さでルドラに襲いかかる。ルドラの疲労が激しい。防御がまるで間に合わない。衝撃波が少女にクリティカルヒットする。
「ぐわあああ!」
絶叫。空中に放り出された少女は、背後にそびえたつ大理石の柱に背中から激突した。
「がはっ!」
赤いローブをまとった少女が、柱に叩きつけられて苦悶の表情でうめく。その全身から一気に力が抜けていく。まぶたが閉じ、意識を失ったルドラは、地面に落下すると、うつ伏せに倒れて動かなくなった。
「ルドラ!」
ラトナが必死の形相でルドラに呼びかけるが反応はない。
邪神は、倒れたルドラを見て「ふん」と鼻を鳴らした後、ラトナに視線を戻す。
「邪魔者は消えたぞ」




