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アナザーロール  作者: 清澄 武
第2章 ルクトルク王国編

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53 黒獣暴れ狂う大神殿



 ルクトルク北、大神殿にて。


 周囲を巨大な柱で囲まれた大神殿に、邪神ヴァルドはいた。黒いひたいからは天を突き上げるような二本の角が生えている。両の足で立つ巨大な黒塊は、まるで猛獣もうじゅう彷彿ほうふつとさせるフォルムで、見るものの恐怖をき立てた。


 ヴァルドの眼下には、仰向けに倒れたラトナ姫。ヴァルドの魔法によって胸を貫かれた彼女は、大地に背中を預けたまま身動き一つしない。


所詮しょせんは人間か」


 邪神は、倒れた少女を見下ろして、つまらなそうに吐き捨てた。


 それもつかの間、少女の身体が淡い光に包まれていく。


「む?」


 王女の胸のキズが、みるみるうちにふさがっていく。まるで元から攻撃を受けていないかのように、きれいさっぱりキズが消え去っていく。王女の右耳に装備された命のイヤリングから、正八面体の赤い宝石が砕け落ちた。


「ごほっ! ごほっ!」


 目を開けたラトナが激しくき込む。


 絶命していた少女は、命のイヤリングの効果で息を吹き返した。このマジックアイテムは身に着けた者の死を肩代わりするという奇跡のような効果を持つ。


 意識を取り戻したラトナの目に飛び込んできたのは、薄暗い空。


 その瞬間、少女は自分の置かれた状況を思い出した。純白のドレスには胸の部分にぽっかりと穴が開いている。右耳を触ると、装備したイヤリングには宝石がついていなかった。


(なんてこと……。命のイヤリングが……)


 冷たい石床に背中を預けている少女が、慌てて体を起こす。


 視線の先には黒い怪物――邪神ヴァルドの姿があった。


 とてつもない威力の魔法を放ったというのに、邪神を包む魔力は、ほとんど減っていない。それは邪神の持つ魔力量が異次元に多いことを意味していた。


「なぜ生きている?」


 立ち上がったラトナを、解せないといった面持ちでにらみつける邪神。さっきまでの見下すような態度は消え、すきがない。明らかに警戒している。


 ラトナが何も答えないでいると、邪神が遠くの山に指先を向ける。直後、その指先から一筋の黒い光が宙にラインを引く。わずかな間を置いて、山が爆発を起こした。その衝撃は神殿にまで届き、ラトナに襲いかかった。


「きゃあああっ!」


 少女の金髪が激しく揺さぶられる。ラトナは吹き飛ばされないようにガードするだけで精いっぱいだった。


 しばらくして震動が収まると、さっきまであったはずの山が消え去っていた。上級魔法使いであってもそんな芸当は不可能。まさにありえない破壊力。この怪物が持つ攻撃力は、そもそもの次元が違いすぎる。


「我の力が衰えたわけではなさそうだ」


(な、なんて威力……)


 常軌を逸した攻撃力に、ラトナは戦慄せんりつする。一撃で地形を変えてしまうほどの魔法など、聞いたことがない。そんなものは、完全に人の限界を超えている。


「ではなぜ生きている」


 邪神が再び問いただす。ラトナが復活した理由がせないのだろう。ヴァルドの攻撃に耐えられる人間などいるわけがない。目の前の少女が生きていられるわけがないのだ。


 少女は沈黙する。世界を破壊しようとする邪悪に、懇切丁寧こんせつていねいに答えてやる義理などない。


「……まあよい。今度こそ死ね」


 黒い指先が動き、その照準が姫に合う。ヴァルドは先ほどラトナの命を奪った攻撃を、再び放とうとしていた。


 命のイヤリングは二つとも崩れ落ちた。もしも、あの攻撃をもう一度食らえば、今度こそ助かる道はない。かと言って、絶大な魔力による攻撃を防ぐすべは、ラトナにはない。さらにヴァルドには隙が無い。この場から逃げ出すことも、もはやできないのだ。


 唯一希望があるとしたら死のリングによる相打ち狙い。しかし命のイヤリングを失った今、リングによる攻撃はラトナの死を意味する……。


「く……」


 なすすべがない。どれだけ頭を働かせてもこの窮地をしのぐ方法が思いつかない。


 その間にも邪神の指先には、膨大な魔力が集中していく。指先の一点に圧縮された黒い魔力の影響で、周囲の空間が揺らぐ。その魔力量は、最初にラトナを貫いた時の数倍に達していた。今度こそ確実に少女にとどめを刺すつもりだ。


「さらばだ。ルクトルクの王女よ」


 その時だった。薄暗がりに少女の声が響いた。


「アイシクルフォール!」


 同時、ヴァルドの頭上から、巨大な氷の柱が無数に落下する。氷柱は、ヴァルドの全身に衝突して、黒い巨体を地面に押し付ける。ヴァルドが完全に体勢を崩す。なおも氷柱は降りやまない。ヴァルドの全身に膨大な数の氷の塊が積もり重なっていく。そして一瞬にして怪物を完全に覆い隠して、氷の山を作った。


「こ、この魔法は!」


 これはラトナのよく知る魔法。氷の大魔法。こんな上位の魔法を操れる魔法使いはそう多くいない。そう。これはラトナの魔法の師、ルドラによるものだ。


「がああああっ!」


 氷の山から二本の角が突き出した。次いで黒い剛腕が、氷塊を払うように氷の下で暴れ狂う。氷の山が頂上から瓦解がかいしていく。氷の下から黒獣の巨躯が次第に姿を見せていく。まず頭が現れる。次いで現れた巨大な肩から、氷塊ひょうかいこぼれ落ちていく。氷の下敷きになった邪神はいともたやすく復活を果たす。


「何者だァァァッ!」


 怒りをあらわにしたヴァルドが攻撃者を大神殿に探す。黒い顔が左右に動くたび、深紅に光る眼球が空中に赤いラインを引く。


 邪神が瞳を彷徨さまよわせていると、その背後から、銀色の鎧を着た青髪の騎士グレンが飛びかかった。


「はあーーーーーーーーーーっ!」


 ミスリルの剣は、薄闇を銀色の輝きで照らすと、怪物の首を斬りつけた。剣がヴァルドの首に深々と沈み込む。グレンの放った会心の一撃が、無防備な獣の首を完全にとらえた。


「もらったァーーーーー!」


 グレンが雄たけびを上げる。


 ミスリルの剣は、ヴァルドの黒く太い首に、勢いよくめり込んでいく。ルドラとの連携による、急所への完璧な攻撃。どんな怪物であろうと、これを食らってはひとたまりもないだろう。グレンの前方で、不気味な赤い瞳が動いた。邪神が背後にいるグレンを、目じりで睨みつけてきた。グレンの顔色が変わった。


「何っ!?」


 ヴァルドの首に沈み込んでいたミスリルの剣が、途端に動きを止める。剣は邪神の急所に届く前に、完全に勢いを止めてしまった。


「はーーーーーーーーーー!」


 邪神の咆哮。グレンの目の前で、ミシミシと音が鳴る。超高硬度を誇るミスリルの剣の根元に、亀裂が入っていく。


「なんだと!?」


 ありえない状況にグレンが取り乱す。


 ヒビは瞬く間に剣全体へと広がっていく。ミスリルの剣が破壊されていく。特殊金属ミスリルがこうもたやすく壊されるなど、考えられないことだった。――ほどなくして刀身が砕け散った。銀色の破片がパラパラと宙を舞った。


「バ、バカな!」


 グレンが目を見開いて動揺をあらわにする。数々のA級悪魔を葬ってきたミスリルの剣が、いともたやすく粉砕されてしまった。


 最大の武器を失って無防備になった青年に、黒い拳が直撃した。はずみにミスリルの鎧が嫌な音を立てて変形する。


「がはっ!」


 邪神の攻撃をまともに食らったグレンが、彼方に吹っ飛ぶ。その体は大理石の柱に激突すると、柱を滑るように落下していく。地面まで滑り落ちると、グレンの全身から力が抜けた。それでもなお剣の柄だけは、その手に握られていた。彼の装備しているミスリルの鎧は、怪物に殴られた部分がへこみ、元のなめらかな曲線は失われて、でこぼこに歪んでいた。


「グレン!」


 倒れたグレンに向かって、ラトナが必死に叫ぶ。邪神の攻撃をまともに食らった彼は遠目にもわかるほどに深刻なダメージを受けていた。全身が不自然なほどに脱力し、首は斜め前方にダラリと倒れ、口の端からは血が流れている。まぶたはかすかに開いているものの、視線は定まっていない。


 しかし信じられないことに彼はまだ戦う意思を失っていないのか、空いた手で地面を押し、立ち上がろうとする。だが、わずかに動いたその時、口から大量の血を吐いた。


「がはっ!」


 グレンが激しくむせる。もはや戦う力が残っていないことは誰の目にも明らかだった。


「はあ……はあ……」

「ふん」


 倒れた騎士を睨みつけて、怪物はつまらなそうに鼻を鳴らす。


 グレンに斬られたはずの首には、キズひとつ、ついていなかった。


 グレンは今にも閉じそうなまぶたを強引に持ち上げながら、前方の怪物を凝視する。


(なんてデタラメな強さ……)


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