52 死地へ赴く二つの影は
◇
ルクトルク城の大広間には、重苦しい空気が漂っていた。
いま、この場所にはルドラ、グレンをはじめ、何人もの国の要人が集まっている。
昼だというのに室内は薄暗い。少し前に、黒い雲が空を覆い尽くしてしまい、窓から入る光が途絶えてしまったためだ。明かりの乏しい大広間を、メイド服の使用人たちが慌ただしく駆け回っている。使用人が壁際に置かれた燭台に近づくと、立てられたローソクに指を近づける。次の瞬間、指先から米粒サイズの炎が発生し、ローソクに火が灯る。初歩の炎魔法だ。魔法によって、一つ、また一つと炎が増え、室内は徐々に明るさを取り戻していく。
大広間の中央には巨大な円卓がある。その下には、こっそりと忍び込んだ子供が二人、隠れていた。
「物々しい雰囲気だな」
金髪の少女クゥがキリッとした顔で言った。
その隣で身をかがめている茶髪の少女リコが。
「物々しいって、どういう意味?」
「う、わからないぞ……」
難しい言葉でカッコつけたものの、クゥはその意味を知らないらしい。
その時、大広間が猛烈に揺れる。
壁一面に備え付けられた窓がガタガタと震え、激しく音を立てる。何人かが、床に倒れ込んだ。
唐突な異変に、大広間の奥にいるグレンが表情を険しくする。
「この地響きは……」
振動はほどなくして収まったものの、広間にいる人々は依然として動揺している。
すると、部屋の最奥にある窓から、薄暗い空を眺めているルドラが振り返り。
「姫が魔法を放った」
赤い瞳の少女は、いつも通りの冷静な口調で言った。
ラトナ姫の向かった神殿跡は、このルクトルク城からは距離がある。だというのに、戦いの衝撃は遠く離れたこの地まで伝わってきた。並の魔法では、こんなことは起こらない。であれば答えはひとつだった。
「死のリングを使ったということだな?」
グレンの問いに、ラトナがうなずく。
「しかし邪悪な力は消えていない……」
「バカな! 指輪の力でも敵わぬというのか!?」
ルドラの不吉なつぶやきに、グレンは柄にもなく取り乱す。
「それほどまでに邪神が強大ということだ」
北の地からは、依然として邪悪な魔力が伝わってくる。それは、魔法の達人であるルドラでさえも戦慄するほどに、禍々(まがまが)しく、強力なものだった。
切り札である死のリングが通用しないということは、ラトナには、もう戦う手段が残されていないということでもある。いまこの瞬間、姫の身に危険が迫っていることは明白だった。
緊迫感が高まる中、テーブルの下に隠れているリコの体が、急に浮かび上がる。
「むお!?」
独特な声を上げたクゥが、遠ざかっていくリコを目で追う。
リコは、円卓の前にいるメイド服の女性に抱きかかえられていた。
「うー」
空中でジタバタしながらリコがうめく。
「あ、あなた、どこから入ったの?」
勝手に忍び込んでしまったリコに、メイドは困惑している。
抱き上げられたリコを見て、クゥは、なぜか目を輝かせる。
「た、楽しそう……」
「クゥー」
宙でもがくリコが、眼下のヒーラーに弱々しい声で助けを求める。
「いいな、いいな!」
しかしクゥはのんきなもので、羨ましそうにするだけ。
その時、部屋の奥にいるルドラが。
「……私は姫を助けに行く。ついてくる者はいるか?」
赤い瞳を大広間に集う人々に向けて、同行を呼びかける。すると、身なりの良い初老の人物が驚きながら。
「ま、まさか邪神と戦うというのですか!? 邪神の強さはA級悪魔を、はるかに超えるのですぞ!」
老人が大声でわめきたてる。それをきっかけに、広間にいる人々が堰を切ったように騒ぎ出す。邪神が生きているとすれば、次に狙うのは間違いなくこの城だろう。もはや、いつ邪神が襲ってきてもおかしくない状況だった。
そんな中、きらびやかな衣服をまとった一人の中年男性が、ルドラにすがりつく。
「み、巫女殿! わ、我々はどうすればよいのですか!」
「落ち着け」
ルドラが制止するも、男は黙らない。むしろ、さらに興奮していく。
「こんなときに落ち着いていられるものですか! 邪神がここに迫っているかもしれないのですぞ!」
騒ぎ立てる男を前にして、少女は口を閉ざす。
「な、なぜ黙っているのです。巫女殿! 知恵をお貸しください!」
言いながら、男がルドラの肩を激しく揺する。はずみに少女のフードが脱げて、赤い髪があらわになった。そして額の角も。
「そ、その角は……」
ルドラの角を見た瞬間、男は少女の肩から手を離して、逃げるように後ずさる。
広間がざわつく。グレン、クゥ、リコ、ルクトルクの重鎮たち、そして使用人たち、その場にいる全員の視線がルドラに集まる。
「な、なんということだ……。ルドラ殿は魔族だったのか……」
きらびやかな衣服の中年の男は、怯えた表情で言った。
ルドラが魔族であることを知った途端、国の要人たちは目に見えて態度を変える。ある者は目を見開いて言葉を失い、またある者は震えながらその場に立ちすくむ。彼らは、皆一様に怯えていた。ただ一人、グレンを除いて。
ざわつく中、ルドラが再び問う。
「……私と来るものはいるか?」
問いかけてはみたものの、返事をするものはいない。誰もが黙り込み、先ほどまでと打って変わって、大広間が静まり返る。当然だ。相手はあの邪神。戦ったところで勝ち目は無い。ラトナの元に向かうということは、死にに行くことと等しいのだ。
しばらく沈黙が続いたのち、身なりの良い老人が沈黙を破った。
「伝承によれば邪神は、たった半日で王国を滅亡の淵に追い込んだのですぞ。人間が敵う相手ではない!」
「ラトナ姫も人間だ」
ルドラが、すかさず言い返すと、老人はハッとする。今この瞬間、邪神と戦っているラトナも、一人の人間にすぎないのだ。その事実を指摘された老人は、そのまま黙り込み、それ以上、何かを言うことはなかった。
誰も声を上げないことを確認すると、ルドラは一人で姫の元に向かうことを決意する。赤髪の少女が一歩踏み出した、その時。
「待て」
呼び止めたのは、騎士団長のグレンだった。
「俺も行こう」
大広間を飛び出したルドラとグレンを見て、クゥはあわてふためく。
(た、大変だぞ!)
◇
城を飛び出したルドラとグレンが、平原を馬でとばす。向かう先はルクトルクの北、邪神が復活した地。
まだ昼間だというのに、空は薄暗い。強引に光を遮られた世界は、どこか不気味で、不安を掻き立てられた。
手綱を握ったルドラは正面を向いたまま、並走するグレンに語りかける。
「よかったのか」
「うん?」
質問の意図が理解できないのか、グレンは少女に横目を向けて黙り込む。少女の赤髪が風に揺れている。彼女の額からは二本の角が生えていた。
「おそらく生きては帰れんぞ」
ルドラはストレートな言葉を放つ。普段からオブラートに包んで話すタイプではない彼女は、こんなときでも、いつも通りに言葉をつむぐ。
「お前は若い。死に急ぐこともあるまい」
別にグレンを脅すために言ったわけではない。本心から心配しているのだ。人と魔族では寿命の長さが違いすぎる。この世に生を受けて二十六年しか経っていない青年は、ルドラから見たら子供に等しい。
魔法使いの言葉に対して、騎士団長は間を置かずに返す。
「姫様はもっと若い」
青髪の騎士はそう言うと、口角を上げて微笑む。普段笑わぬこの男が、めずらしい。これから向かうのは死地だというのに。いや、だからこそか。
ルドラはめずらしがって彼に横目を向けて見つめる。するとグレンは口元を緩めて、「はっはっは!」と大声で笑い出す。
ひとしきり笑った青年は、まじめなトーンで語り出す。
「主君を見捨てて、おめおめと逃げ延びるつもりはない。俺は騎士だ」
邪神のいる北の地は目前。だというのにグレンは冷静だ。並の精神力であれば、とてもそうは振る舞えない。普段の鍛錬のたまものか。あるいは戦いに身を置く者の性か。ともあれ、そんな相方の姿に、ルドラは頼もしさを覚えた。多くは語り合わぬ仲ではあるものの、両者の間には信頼感があった。
「そう言う自分はどうなんだ。命が惜しくないのか」
今度はグレンが問い返してくる。
「私は十分に生きた。悔いはない」
それはルドラの本心だった。
事実、ルドラはグレンやラトナとは比較にならないほどに長く生きている。途方もない年月をこの世界で生きてきた。今更、未練は無かった。なにより、ラトナ、グレンの二人と過ごしたこの数年間に、彼女は満足していた。
しかしグレンの表情は、かすかに曇る。
「お前はもともとこの国の人間ではない。そこまで義理を感じる必要はないのだぞ」
グレンの言うことは、もっともだ。しかし、ルドラは義理だけで動いているわけではない。
「私はただ、あの子が守りたかったこの国を守りたいだけだ」
ルドラは、あくまでも自らの感情に従って邪神の元に向かっている。ラトナを守るため。そしてルクトルクの地を守るために。
グレンは凛々しい目元を前方に向けると。
「強いな、お前は」
しかし冷静な態度で振る舞っているルドラではあるものの、内心は穏やかではなかった。
(なんだ、この胸さわぎは……)
どういうことかはわからないが、北の地が近づくにつれて、ルドラの不安は高まっていく。それは邪神との戦いが迫っているからではない。何かこう、もっと絶望的な予感だった。少女の白い手が手綱を強く握る。
「急ぐぞ。……どうも嫌な予感がする」




