51 花舞う都に落ちる影
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ルクトルク城の北にしばらく行くと、そこには荒れ果てた大地が広がっている。草木は無く、生き物も寄り付かない、忘れられた大地。
物悲しい場所ではあるものの、上を見上げれば、天気だけはヤケに良く、澄み渡る青空には雲ひとつない。
この地には、太古に建てられた神殿が無数に残っている。その大部分は風化が進み、損傷が激しい。多くの神殿は屋根が崩れ去り、大理石の柱だけしか残っていない。無数に並ぶ灰色の柱は、まるで墓標のようでもあり不気味だ。当然、この場所を訪れるものなどほとんどいない。役割を終えたというのに、なおも世界に存在し続ける遺物は、いやに風景になじんでいた。
神殿の柱は規格外に大きい。高さは十メートルほどもある。これほどに巨大な建造物を、はるか太古の時代にいったいどのようにして造ったのだろう。考えるほどにラトナは不思議になった。
その中でも、ひときわ目立つ場所がある。直方体の石材が敷き詰められたその場所には、他の場所よりも一回り以上大きい大理石の柱がそびえたっている。周囲の景色から、この神殿だけが浮いていて、ここが何か特別な意味を持った場所であることが一目でわかる。等間隔に立つ柱は、上空から見ると円を描くように並んでいる。
当時は、さぞ立派な神殿だったのだろうが、それもおとぎの時代のこと。今となってはその残骸が残るのみで、この場所が何のために存在したのかすら、もうわからない。
純白のドレスに身を包んだラトナが、朽ちた神殿を歩く。ガラスの靴が石床を踏むたびに甲高い音が鳴り、空に吸い込まれていく。天井が無いため、青空がよく見える。
広大な空間を中ほどまで進んだときだった。地上にさす光が急激に減少し始めた。異変に気づいたラトナが空を見上げる。上空では、さっきまでは無かった黒い雲が急激に渦巻いていく。黒雲は、瞬く間に空全体に広がっていき、青空をを覆い隠していく。
直後、渦の中心が輝き、黒いいかずちが神殿の石床に突き刺さった。
「きゃああああ!」
強風が、少女の金の長髪を激しく揺さぶる。
地面に落ちた黒いいかずちは、すぐに姿を消さない。どういうわけかその場にとどまり続けている。それは音も無く球形に変化していった。
「――!」
不吉な気配に、ラトナが警戒する。
球体の上部が盛り上がり、角が生えていく。人間を一突きで肉塊にできそうな巨大な二本の角だ。次いで球体のサイドから二本の腕が生える。黒い剛腕。指先はかぎ爪状の曲線を描き、猛獣ですら容易に引き裂けそうな猛禽のごとき爪をしている。下部から二本の太い足が生えていき、石床を無遠慮に踏みつけた。床が激しく振動する。
「くっ!」
吹き飛ばされそうになるほどのひどい衝撃。ラトナは倒れないように必死に態勢を整える。
球体の上部が盛り上がり顔が姿を現す。さらに、球体が膨らみボディへと変化していく。
変化を遂げた球体。それは猛獣のようなフォルムで、全身は黒い毛で覆われていた。黒獣のまぶたが開く。赤い瞳が、闇に漂うように光った。
「グオォォォォ……」
黒い怪物が、地獄の底から響くような咆哮を上げる。口の両端から白い吐息が漏れる。その動きは、獰猛な肉食獣を思わせる。ただしサイズは野生動物とは比較にならない。まるで目の前に山が突然現れたような錯覚に陥るほどの圧倒的な威圧感。怪物はどこか遠くを見ていた。
(こ、これが邪神ヴァルド!)
眼前に復活した邪神を、ラトナが見上げる。ヴァルドの全身を包むように、黒い魔力がゆらめいている。
(あ、ありえない。なんておぞましい魔力……!)
絶対に勝てない。王女が一瞬で悟ってしまうほど、邪神の魔力は強大だった。人が何十年、いや何百年修行したところでこの魔物には絶対に勝てない。この六年の魔法の修業が無意味だと思えるほどに、邪神の持つ魔力は圧倒的だった。過去に対峙したA級悪魔ですら、この怪物の前ではかすんだ。目の前の怪異が放つ魔力は、それほどまでに常軌を逸していた。
「我が復活は成った」
それは地の底から響くような重い声。その声は聴く者の恐怖を掻き立てる。覚悟を決めてこの場にやってきたはずのラトナでさえ、震え上がりそうになる。そんな弱気を振り払うように、目元に力を込めて、邪神を見据えるラトナ。
怪物はどこかに向けていた目を、足元に動かし。
「何者だ」
それは、ただの問いかけ。しかし、声の奥からは、底知れぬ殺気がにじんでいる。憎悪。悪意。敵意。そう言ったたぐいの負の感情が、にじみ出しているのだ。それを向けられたラトナは、この場所に立っているだけでプレッシャーに押しつぶされそうになる。喉はカラカラに乾き、喉の前後の壁がひっつく。声が出せない。せき込みそうになる。少女は強引に声を絞る。
「私はルクトルク王国の王女ラトナ」
邪神ヴァルドは、かつてルクトルク王国を滅亡の際に追いやった。しかしその暴挙は失敗に終わった。突如として現れた勇者によって封印されたからだ。
自らが滅ぼそうとした国のことを覚えていたのか、邪神は南方に顔を向けて目を細める。その方角には、ルクトルク城とその城下町がある。邪神の瞳が、獲物を見つけた野獣のような輝きを放つ。ここでこの怪物を逃がせば、過去の悲劇が繰り返される。ラトナは、そう直感する。
「邪神ヴァルドよ! あなたにはここで消えてもらいます」
その瞬間、邪神が殺気を帯びた魔力を全身から放つ。禍々(まがまが)しい魔力の圧が少女に襲いかかり、ラトナは吹き飛ばされた。
「きゃあああああ!」
邪神はただ魔力を発しただけ。何らの攻撃も仕掛けていない。だというのに、立っていることすらできない。魔法使いとして一流の腕を持つラトナではあるものの、邪神との力の差は歴然としていた。
「身の程をわきまえよ」
(な、なんて魔力……。まともに戦っても絶対に勝てない! 一気に片を付けるしかない!)
ラトナは立ち上がると、胸の前で左の拳を握り込む。人差し指に装備した死のリングが、まばゆい光を放つ。
「指輪よ、力を貸して……」
指輪から血のように赤い光の筋が飛び出し、一直線に天空へ昇っていく。はるか頭上に達した光は、黒い空に吸い込まれるように消えていった。
「ぬ……」
ピクリと目元を動かした邪神が、上空を見上げる。直後、赤い光が天から落下してヴァルドに直撃する。それは柱のような巨大な光。ヴァルドの姿が、赤い光の中に完全に消え去る。
「グオオオオオオオオオ!」
死のリングの魔法をまともに浴びたヴァルドが、光の中で絶叫する。
邪神は咆哮を上げるばかりで、一切の身動きが取れない。呪われたアイテムから放たれたあまりにも強大な魔法が、邪神の全身をむしばんでいく。
――赤い光が収まっていく。中から姿を見せた黒い怪物は、目を閉じて、ひざまずいていた。全身は脱力し、微動だにしない。まるで魂が抜け落ちてしまったかのようだ。邪神がまとっていた禍々しい魔力も、完全に消滅していた。
「や、やった……!」
少女の左耳のイヤリングから、赤い宝石が崩れ落ちた。
(イヤリングが!)
死のリングを使用した者は、その代償に命を失う。今、命のイヤリングがラトナの死を肩代わりしたのだ。
さすが呪いのアイテムと言うべきか、死のリングの威力は絶大だった。邪神でさえ、ただの一撃で仕留めてしまったのだから。
「ふう……」
額の汗を、手の甲でぬぐうラトナ。
かつてルクトルク王国を窮地に追い込んだ邪悪は、その子孫であるラトナ姫の手によって討たれた。ルクトルクと邪神の因縁はここに終結を迎えたのだ。
王女は黒い怪物を見上げる。天井の無い神殿の中心で、邪神は静かに座している。この場所が何のために存在するのかラトナは知らないが、息を引き取った邪神は、祀られたご神体のようでもあり、どこか神秘的だった。
ラトナは身をひるがえし、歩き出す。ガラスの靴が床を踏むたび、勝者をたたえるような甲高い音が鳴る。――と。
「キサマ……。何をした……」
その声は、背後から聞こえた。
「な……」
足を止めたラトナが慌てて振り返る。
邪神は閉じているまぶたを開いていく。その動きは、ひどく緩慢だ。
(バカな! 直撃したはず!)
死のリングの直撃を受けたというのに、邪神にはまだ息がある。怪物は地に着いたヒザを立てて、大地を踏みしめる。立ち上がった黒獣が、忌々し気にラトナを睨みつける。
「グウゥ……」
邪神の口の端から白い煙が上がる。一度は立ち上がったものの、怪物はうめき声をあげて再び地にひざまずく。そのまま倒れそうになるも、大地に手をつき、上体を支えた。
(き、効いている! もう一度当てれば倒せる!)
体勢を崩しながらも、怪物は険しい形相でラトナを睨みつける。その瞳には、さっきまでまでの油断が、まるで無い。一瞬でも気を抜けば、逆にこちらがやられかねない。手負いとは言え相手はあの邪神。ラトナを殺すことなど造作もないのだ。
(……隙が無い。何とかしてチャンスを作らないと……)
最初の一撃は、ヴァルドが無警戒だったからこそ、うまくいった。しかし今は違う。邪神はラトナを完全に警戒している。死のリングを発動しても回避される可能性が高い。
ラトナは全身の魔力を開放する。
「はーーーーーーーー!」
王女の手から、巨大な氷塊が飛び出す。ラトナは高位の氷魔法を一瞬にして発動した。鋭利な氷の塊が、一直線にヴァルドに襲いかかる。
「小賢しいわーーーーーーーーーーーーッ!」
ヴァルドは、目前に迫った氷魔法を、片手で力任せに払いのける。分厚い氷の塊が、砂糖菓子を壊すかのように、一瞬で粉々に砕け散った。
「なっ!?」
全力で放った魔法があっさりとかき消された。信じられない状況に驚愕したラトナが身を固くする。
歯を食いしばった怪物は、忌々し気にラトナを睨みつけると、指を突き出して少女に照準を合わせた。
「死ねい!」
ヴァルドの指先に黒い光が集まる。邪神は、高位の魔法使いですら操ることが困難な、高密度の魔力を一瞬で作り出すと、ラトナ目がけて放った。
(まずい!)
ありえない魔力密度に、ラトナの全身が凍り付く。
黒い魔力は宙に一筋のラインを描くと、一瞬のうちに少女の胸を貫いた。
「かっ……」
小さな体が宙に投げ出される。心臓を貫かれた少女は虚空を漂うと、受け身もとれぬままに背中から石床に叩きつけられた。華奢な腕が、だらりと地面に垂れる。ほどなくして、その全身から力が抜けた。




