48 丘にて
◇
ルドラがラトナと出会ってから、三年が過ぎた。
13歳になったラトナ姫は、ずいぶんと背が伸びた。幼かった顔立ちも、いくらか大人びてきた。人の成長は本当に早く、ルドラは感心しきりだった。しかしそれを表に出すことはあまりしていなかったが。
対するルドラの外見には、まったくと言っていいほど変化がない。魔族であるルドラは、人間よりもはるかに長く生きる。そのためルドラからしたら、三年という時間は一瞬に等しい。
人は魔族を恐れる。魔族であるルドラは、人とのかかわりをほとんど持たずに生きてきた。だからこの三年間はルドラにとって例外的な時間だった。日々成長していくラトナ姫を見守りながら過ごすことは、ルドラにとって悪いものではなかった。姫が意外にもイタズラ好きで、おてんばなところがあることを知れたのも面白いところ。
ルクトルク城の庭にラトナ姫の勇ましい声が響く。
「アイシクルフォール!」
晴れ渡る空に向かって片手を突き出した姫が、魔法を叫ぶ。しかし、しばらくしても何も起こらない。
「……またダメ」
集中力が切れたのか、姫はがっくりと地面にヒザをつく。魔法を放つためには、高い集中力を維持する必要がある。長時間の練習をすれば、強い疲労が全身を襲う。魔法習得の道は過酷なのだ。特に上位魔法ともなればなおさら。
「それは大魔法だ。そう簡単にはいかん」
ラトナは無茶をしすぎるところがある。それを止めるのも師匠であるルドラの役目だった。
とはいえ姫には魔法の才があるようで、覚えが非常に早かった。普通の人間であれば数か月の修練が必要な魔法でさえも、数回の指導で覚えてしまうことがあった。しかし姫はまだ13歳の少女。魔力もまだまだ発達過程。あまりに高度な魔法ともなれば、その習得には時間が必要になる。
魔族と人間では生きられる時間が違う。そして魔法の習得には長い年月がかかる。この点から言っても、長命である魔族は魔法使いとしての適性が高い。だから魔族には魔法使いが多いのだろう。長くこの世に留まれるというのはそれだけで有利なことなのだ。半面、人という短命な種族でありながら魔法使いとして偉大な功績を残した者が、いかに傑物であるかわかる。
今は昼過ぎ。姫は早朝のまだ薄暗い時間から今まで、ほとんど休まずに練習を続けている。その疲労は相当なものだろう。
「はあーーーー!」
姫がひときわ気合を放ち、魔力を高める。彼女の全身を包む魔力は膨大で、とても三年の修練しか積んでいないとは思えない。それだけこの三年間が過酷だったということでもある。
その時、少女の全身から、ふっと力が抜けた。
「ラトナ!」
倒れ込むラトナをルドラが抱き留める。
少女は意識を失っていた。相当無理をしていたらしい。
ルドラはラトナ姫を木陰に寝かせた。ハンカチで少女の汗をぬぐう。よっぽど疲れていたのだろう。少女はしばらくの間、眠り続けた。
「……う」
姫が目を覚ます。まだ意識がはっきりしないのだろう。少女は目をぱちぱちさせながらぼうっとしている。その透き通るブルーの瞳が隣を見た。木にもたれかかっているルドラがそこにいた。
「無理をしすぎだ」
ルドラは無茶な弟子を注意する。
「もっと強くならないと」
ラトナは横になったまま、つぶやく。その顔からは焦りがにじんでいた。
「少し休め」
ルドラは少女のことが心配になる。ラトナはこの三年間ずっとこんな調子だ。これでは体がもたない。しかし無理をするなと言ってもこの少女は聞き入れない。ラトナは自分に都合の悪い話は、右から左。案外、我の強いお嬢さんなのだ。
「ふふ」
なぜかラトナが、おかしそうに笑った。
「どうした?」
「ルドラってお姉ちゃんみたい」
「……背、ずいぶんと伸びたな」
「もうすぐルドラを超えちゃうかもね」
いたずらっぽい笑み。
「……今日は休みにしよう」
◇
ルクトルク城近くの小高い丘。ここからは城下町を一望できる。今日は魔法の特訓を休みにして、ここで、のんびりと過ごすことにした。たまにはラトナを休ませなければいけないという、ルドラの計らいだった。グレンも誘ったら彼は意外にもすんなりと同行の意を示した。
「いい眺め」
腰の後ろで手を組んだラトナが、うーんと気持ちよさそうに背を伸ばす。
「実に平和です」
グレンはラトナの隣で町を見つめる。彼にしてはめずらしく、表情が柔らかい。
天気は良く、穏やかな風が通り抜ける。気を抜けば、すぐにでもまどろんでしまいそうな陽気だ。
「三年後に世界が終わるなんて思えないね」
町を見下ろして、ラトナは何とはなしに言った。本当になんとなく口をついた言葉だったのだろう。少女の顔には特別、悲壮感のようなものは無かった。しかしルドラはその言葉が気になった。
邪神復活まで、あと三年。タイムリミットは刻一刻と近づいていた。
「終わりはしない」
ルドラは姫の言葉をやんわりと否定する。
「……本当にそう思う?」
ラトナは、フードを目深にかぶった魔法の師を、まっすぐ見つめる。いつの間にか姫の瞳は、どこか憂いを帯びていた。
「伝承が事実だとすると、邪神の力は人の限界を超えている。あなたたちですら、きっと敵わない。当然、私も」
姫はいつになく弱気だ。いつも明るい彼女は、人前であまり弱音を吐かない。
「ルドラは魔法が使える。グレンは剣が使える。私はどちらも中途半端」
ラトナの魔法の腕は、三年前とは比較にならないほど上達した。しかしルドラにはまだ遠く及ばない。そもそも、ルドラはラトナ姫よりも圧倒的に長く生きている。たった数年で追いつけるはずがない。
「姫にはやさしさがある。倒れていた私を助けてくれた」
三年前にルドラはラトナたちと出会った。
あの時に助けられていなければ、ルドラは今頃、命を落としていたかもしれない。
「誰かにやさしくできる。それはどんな魔法を使えることよりも素晴らしいことだ」
それはルドラの本心だった。この国に迷い込んだルドラを救ってくれたのはラトナ姫その人なのだから。
しかしそれゆえに心配でもあった。ラトナは一人でいろいろなことを抱えすぎる傾向がある。それは王女という立場上、しかたの無い部分もあった。だとしても心配になるのもまた事実。しかしあまり人と触れてこなかったルドラは、ラトナとどう接していいか正直なところ、あまりよくわからなかった。一人で生きてきたことを後悔したことは少ない。しかし今、その数少ない後悔に直面していた。ルドラの中にはラトナに対して何かをしてあげたいという気持ちだけがあった。しかしそれを行動に移すすべがわからないのだ。
「まだ三年ある。あきらめるには気が早い」
ルドラがラトナを元気づけると、少女の表情がいささか穏やかになる。ルドラは続ける。
「大丈夫だ。この国は花に守られている」
「イシュメナのこと?」
ルドラがうなづく。
「あれは希望の花だ。きっと手立てが見つかる」
城下町には白い花が舞っている。イシュメナの花。この土地にだけ咲く花。丘からはイシュメナがよく見えた。花びらはまるで町を守るように舞っていた。
「私はこの場所が好き。あなたたちとここにいると、心が落ち着く」
日々、激しい特訓に明け暮れるラトナにとって、ここで過ごす時間は、数少ない癒しの一つなのだろう。
それはルドラも同じだった。彼女は、長く生きてきたその人生で、まともに人と関わったことが無かった。生まれて初めて関係を築いた人間が、ラトナたちだったのだ。彼女たちと共に過ごす日々が、ルドラは柄にもなく楽しかった。
しかしルドラが姫に魔法を教えるという約束は、邪神を倒すまで。邪神が滅びれば、この日々も終わるのだ。
人の地には魔族に対する偏見が根強く残っている。長くとどまるのは都合が悪い。邪神を倒したその時が、ラトナとの別れだろう。そのことをルドラは今までの人生経験から察していた。
……あるいは邪神に滅ぼされるか。
どちらにせよ、別れの時は近づいていた。
終わりがあるとわかると、日々というのは貴重なもののように感じられるから不思議だ。
「こんな時間が、ずっと続けばいいのに」
姫の横顔は儚げで、今にも消えてしまいそうだった。
ルドラも同じことを思った。こんな日々が長く続けばいい、と。
誰もしゃべらなくなった。鳥さえも黙る。さっきまで、あんなに鳴いていたのに。皆一斉に口を閉ざしてしまう。静寂。不思議なくらい静か。無音。世界から音が消えてしまった。ふいにグレンがそれを破る。
「武道大会を開いてはどうでしょう」
何を思ったのか、騎士団長はそんなことを提案した。
「武道大会?」
聞き返すラトナ。グレンはうなづく。
「大陸中から強い戦士を集めるのです」
もうじき復活する邪神と戦うには、間違いなく戦力が必要になる。それも並の戦力では話にならない。圧倒的に強くなくてはならないのだ。
「……邪神と戦えるような人間が、存在するのでしょうか?」
「それは……。……わかりません」
邪神を倒すとなると、その戦闘力は王国一の騎士であるグレンをすら超えている必要がある。剣の天才であるグレンを超える人間。そんな人間が、はたしてこの大陸に存在するのだろうか。少なくともこの国にはいない。おそらく望みは薄いだろう。しかし何もしないよりは、少しはマシかもしれない。
「邪神を倒せる戦士が見つかるかはわかりません。ですが足掻きましょう」
それは淡い期待だった。何もしないよりはマシといった程度のもの。
前回の邪神襲撃時は、偶然現れた勇者のおかげで、王国は奇跡的に助かった。
奇跡は二度起こらない。
武道大会で邪神に打ち勝つことのできる戦士が見つかる。そんな都合のいいことに期待している。それは奇跡に期待しているのと同義。子供の戯言。
だがそんなことにすらすがらなくてはならない状況にラトナたちはあった。
ラトナたちには邪神に対抗するための有効な手段が一切ないのだ。
「私たちの都合に、無関係な人を巻き込んで、いいのかな」
「すべての生きる者は、この世界の住人。無関係ではない」
ルドラの言葉は、まぎれもない事実。
しかし、どうやらラトナは部外者を戦わせることに、あまり気乗りしないらしい。彼女の表情は暗い。
「この景色、あと何回見られるかな?」
「見られるさ。何度でも」
「……またみんなで来ようね」




