18 冷蔵庫、死す
◇
ゼロとクゥが、草原で、たわいもない話をしていると、どこか遠くから、人のものとも獣のものともわからない咆哮が近づいてくる。
「な、なんだ!? 悪魔か!?」
その雄たけびは、骨の髄まで響く。恐ろしいほどの声量。尋常ならざる絶叫に、ただ事ではない気配を感じたゼロが、ビクッと肩をすくめて、警戒を強める。
明らかに正常な生き物のものではない。この叫びは人の恐怖をかき立てる。それはゼロですら例外ではなかった。
「うがーーーーーーーーーーーーーーっ!」
手にしたエーテルを天にかかげて、サーニャが信じられないスピードで走ってくる。その走力は、野生の肉食獣に引けを取らないレベルで、明らかに人間の限界を超えていた。彼女はゼロたちの目の前でキキーッ! と急ブレーキをかけた。少女は鬼の形相で号泣していた。
「ひいっ!」
まるで狂人と化したサーニャの登場に、ゼロがビビり散らかす。
(な、なに、あの顔!? こわい!)
ゼロは心の底から震え上がった。サーニャの顔は、元の顔とは似ても似つかないものだった。それは、まるで怪物。
腕で涙をごしごしと拭いたサーニャは「うが!」と、ゼロにエーテルを押し付ける。光る玉がゼロの顔を照らす。
「ひっ!」
ゼロが身をすくめる。恐怖のあまり身動きが取れない。
怖い顔のサーニャが再び、エーテルを押し付けて「うが!」
「ひっ!」
ビビりまくったゼロは、エーテルに手を伸ばせない。なかなか受け取らないゼロに、しびれを切らしたサーニャが。
「うがーーーーーーーーーーーーーーー!」
「ひいーーーーーーーーーーーーーーー!」
号泣するサーニャが、怒声と共にエーテルを押し付ける。ゼロは胸元に押し付けられた光る玉を、震えながら受け取る。
ずっと泣いているサーニャを心配したのか、クゥがサーニャの元へ歩く。
「サーニャだいじょ――」
その時、クゥが足元の石につまずいてバランスを崩す。
「ぬわーーーーーーーーーーーーーーー!」
独特な叫び声で、少女が前のめりに倒れていく。小さな体が草の大地にビターン!
「ぶべっ!」
草の上に倒れた少女が、苦痛に顔を歪める。
「くぅ~~~~~……」
「おいおい、大丈夫か?」
ゼロがクゥに歩み寄る。
「うぅ……」
うめきながら、少女は立ち上がった。しかし、片ヒザからは、うっすらと血がにじんでいた。
「ひどい話さ!」
ケガを見たクゥが、顔をプクーっと膨らませる。少女は、すかさず背中に手をまわし、大きな杖をむんずとつかみ取る。そして体の前に世界樹の杖を立てると、両手で握り。
「ヒール!」
クゥがその言葉を唱えると、淡い光が少女のヒザのケガを包み込む。すり傷がみるみるうちに消えていく。
「う、うがぁ……」
怖い顔が、「す、すげぇ……」のアクセントでうなる。
ケガから解放されたクゥは、ホッと息を漏らす。
「ふぅ。死ぬかと思った」
「す、すげえ! カンペキに治ってる!」
少女のキズは、きれいさっぱり消え去っていた。
「ボクは回復魔法が得意なんだ。どんなケガでも一瞬で治せるぞ」
「魔法ってスッゲー!」
ヒールの抜群の効果に、ゼロは興奮を隠しきれない。
「ちなみに回復魔法が得意な魔法使いのことをヒーラーって呼ぶぞ!」
「ゲームでもよく出てくるよな」
なんて話していると、クゥが急に神妙な顔になる。
「すまぬ……」
少女の声は弱々しい。なにかクゥの様子がおかしい。
「どうした!? 体調が悪いのか?」
少女が急に元気を失う。いったいどうしたというのだろう。その急変ぶりに、ゼロは心配になる。すると視線を落とした少女は、小さな声で。
「お腹、空いたぞ……」
「またかよ!? さっき食べたばかりじゃん」
食いしんぼうなクゥにあきれる反面、何事もなくてホッとするゼロ。
「さっきは遠慮して、ちょっとしか食べなかったのだ」
「いや、十分食ってたぞ?」
ゼロがツッコミを入れると、ぐうう……とクゥのお腹が鳴った。
少年はポリポリと後頭部をかくと。
「じゃ、家に帰るか!」
「うむ!」
「うが!」
「ひっ!」
鬼の形相のサーニャに、少年はいつまでもビビり続けるのだった。
◇
「ふー! お腹いっぱい!」
クゥは、ゼロの家に帰ってくるなり、朝ごはん(2回目)を済ませた。少女はキッチンテーブルのイスに座って、満足そうに腹をさすっている。
「れ、冷蔵庫のHPが0に……」
ゼロはスカスカの冷蔵庫を見て愕然とする。隣のサーニャも、クゥの食欲に驚いているらしく。
「見事に空っぽねぇ……」
「冷蔵庫くーーーーーーん!」
朝食だけで2回行動するヒーラーによって、冷蔵庫は息絶えた。
そんなこんなでクゥの腹ごしらえも終わり、ダラダラ過ごしていると、少しずつ太陽が顔を出し始める。キッチンの窓から暖かい日差しが差し込む。朝と昼のはざま。早朝の肌寒さは遠のき、かといって暑すぎもせず、過ごしやすい時間帯。
ゼロがキッチンのイスに座って日課のゲームタイムを楽んでいると向かいの席から。
「なにをしているのだ?」
身長140センチにも満たないクゥが、肩口までの金髪ボブヘアーを揺らしながら、ゼロの持つ携帯ゲーム機の画面をのぞき込む。
「ダンジョンを探検してるんだ」
「ほえー」
画面の中では、剣と盾を持ったキャラクターが、迷路のような場所を移動している。
ゼロはイスにもたれると、どこを見るともなく。
「あーあ。現実世界にもダンジョンがあればなー」
それは少年の心からの願いだった。ここ数日、ゼロはヒマさえあればダンジョンに潜っている。まだ薄暗い時間に起きて、熱心にプレーするほどに、どっぷりとダンジョン探索にハマっていた。ダンジョンという未知の世界が放つ魅力が、少年の心をつかんで離さなかった。
ベッドに寝転がって魔導書を読んでいるサーニャが、顔だけをゼロに向け。
「なんでダンジョンなんかに行きたいのよ?」
「ダンジョンって言ったらモンスターにお宝! ワクワクするだろ?」
興奮気味のゼロが、目をキラキラと輝かせる。
「ふーん」
自分から聞いたくせに、サーニャの態度はそっけない。
「なんだよノリ悪いな」
「だって興味ないんだもーん」
「冷めたヤツめ」
ゼロはゲーム機をテーブルに置くと、頭の後ろで手を組む。
「ま、そんなゲームみたいな場所、あるわけないよな」
もしもダンジョンなんてものがあるなら、ぜひとも潜ってみたい。とはいえ現実世界にそんな場所がないことくらい、ゼロだってわかっている。だけど胸のトキメキは止まらない。ドキドキワクワクの冒険が、そこにはきっとあるはずだから。
「あるわよ?」
ベッドから、そんなセリフが聞こえる。
「だよな。あるわけ……。……え?」
「あるわよ。ダンジョン」
サーニャの語り口はいつも通りで、別段、ゼロをからかっている感じはない。まるで、ダンジョンが存在することが、ごく当たり前のことであるかのような、そんな口ぶり。
ゼロは、目をパチクリさせ。
「マジで?」
果たして、そんなゲームのような場所が実在するのだろうか?
少年は少女の言葉が、にわかには信じられなかった。
「ここからだと歩いて5、6時間くらいかしら」
「そんな近くに!? ていうか、なんでそんなこと知ってるの?」
「常識でしょ。それくらい」
魔法使いは、あきれたように流し目を送る。
ゼロは勢いよく立ち上がると、グッと拳を握り込み。
「行こうぜ、ダンジョン!」
まだ見ぬ冒険に期待を抱き、少年は仲間をいざなう。
「嫌よ」
好奇心旺盛なサーニャのことだから、喜んで乗ってくると思ったのに、彼女は意外にも、そっぽを向く。不思議なこともあるものだと思いつつゼロはたずねる。
「なんでさ?」
「めんどくさい」
実に単純明快な理由を少女は述べた。




