14 死体
◇
顔があたたかい。窓から差し込む朝日が顔にかかっている。パジャマ姿のゼロが自宅の床で目を覚ます。
Q.なぜ床で寝てるの?
A.昨日押しかけてきた自称天才魔法使いのサーニャに、ベッドが占拠されているから。
なので昨晩、ゼロはしかたなく床で寝た。
(本当に泊まっていきやがった……)
木製の床に寝そべったゼロは、目をシパシパさせると、図々しくも無許可宿泊した少女について考える。
(まいったな……。あの子、どうしよう……)
途方に暮れるゼロ。どうにも我の強い彼女は、勇者の剣の秘密を知るまで、帰る気がないらしい。しかしゼロからしたら、その話は昨日終えたのだが……。すると、目と鼻の先にあるキッチンから、なにやら物音がすることに気づく。
ゼロは、床に座ると、透き通るブルーの瞳でキッチンを見る。淡い紫色の長髪を、腰のあたりまで垂らしたサーニャが、背中をこちらに向けて立っている。気が付けば、なんだかいい匂いがする。どうやら彼女は朝食を作っているらしい。
スラリと痩身で色白な少女は、ヒザ下の露出した袖なしの紫ローブを着ている。このあたりは朝方こそ涼しいものの、昼前くらいになれば、じっとしていても、うっすらと汗ばむほどに暑くなる。サーニャの格好は、温暖なこの地方に似つかわしいものだった。
(朝飯作ってくれるとか、案外、気が利くんだな)
意外にも早起きなサーニャ。しかも朝食まで作ってくれている。案外優しいところのある同居人を、ちょっぴり見直したゼロは、ぼんやりとする眼をこすると、おもむろに立ち上がる。パジャマを脱いで、赤いTシャツと白い長ズボンといういつもの格好に着替えると、よく履き慣らしたブラウンのブーツに足を通して、キッチンに行く。そしてサーニャの背後から。
「あーら、サーニャさん。ご機嫌よう。いい朝ね。そろそろお家へお帰りになったら?」
お嬢様言葉で帰宅をうながす。
「ごきげんようゼロ。よく眠れたかしら?」
サーニャは背中越しに、上品なあいさつを返してきた。
「わたくし繊細ザマスの。硬い床では熟睡できなくってよ」
「おっほっほ。あたしはよく眠れたわよ?」
「そりゃあベッドならなっ!」
恨みを込めて吐き捨てるゼロ。
しかしサーニャはゼロの言葉など右から左。お構いなしに料理を続ける。と。
「よっしゃー、できた!」
どうやら朝食が完成したらしい。
ごきげんなサーニャは、プレートに盛りつけた料理をキッチンテーブルに並べる。イスにドスンと腰かけると、目の前の朝食に、紫色の瞳を輝かせる。
ゼロは反対側のイスに座り。
「悪いな」
「あら、どうかしたの?」
サーニャは不思議そうな顔。
「俺の分も作ってくれたんだろ?」
「あたしの分しかないわよ?」
悪びれもせずに、無慈悲なセリフを吐く魔法使い。さすがにひどすぎる。テーブルを叩きつけたゼロが勢いよく身を乗り出し。
「はあ!? そりゃないだろ!」
「だってゼロってば、寝てたんだもの。残っちゃったらもったいないでしょ?」
「冷蔵庫にしまうとかあるじゃん」
「料理は作りたてが一番おいしいのよ。知らなかった?」
人差し指を立てたサーニャが、子供をからかうような調子で言う。
「じゃ、いただきまーす!」
パンッと手を合わせて元気よく食事の開始を告げると、サーニャは皿の上の料理を次々と口に運ぶ。
「ああっ! 俺のハムと卵焼きが!」
大事な食材が少女の口に消えていく。絶望。まさに絶望だった。
サーニャは口をモゴモゴさせながら。
「トーストとコーヒーもあるわよ。あたしの分だけ」
「チキショウ!」
おいしそうな料理を見せびらかしてくる。なんてひどいやつだ。
「じゃーん! プチトマト~!」
薄情な魔法使いが、真っ赤に熟した実をゼロの口元に近づける。採れたてなのか、新鮮な緑の匂いが鼻を刺す。口をパクリとすると、少女はサッと手を引っ込める。そして自らの口にポイッと放り込み。
「おいしー!」
「ひどい!」
あんまりな所業。ゼロの目がうらめしく光る。そんな中、サーニャがさらに追い打ちをかける。
「あ、ヒマならベッドメイクしといてくれる? 食事が終わったら横になって魔導書を読むから」
少年のことをまるで召使いとでも思っているのか、少女はごくごく軽いノリで仕事を申し付ける。プチンッ。ゼロの中で何かが切れた。ドンッとテーブルを叩き付けると、荒々しくイスから立ち上がり。
「もうキレた! こんな家、出ていく!」
少年は玄関に向かってズカズカと歩く。その途中もムカムカが止まらない。ゼロが家を出る直前、背後から聞こえる居候の、のんきな声。
「暗くなるまでには帰ってくるのよー」
サーニャの忠告を無視して、ゼロは我が家を飛び出した。
◇
「クッソー。サーニャのやつ、居候のくせに好き放題しやがって……」
家を飛び出したゼロは、ぶつぶつと愚痴りながら早朝の路地裏を歩く。路地裏の突き当りにあるゼロの家から大通りに行くためには、この道を通るしかない。路地裏は両サイドを建物の壁に囲まれているため、日中であっても、ほんのりと薄暗い。ましてや朝日が顔を出したばかりとなれば、なおさらだ。
「寒っ……」
心なしか、いつもより空気が冷たい。足元はブーツだし、お気に入りの漆黒のマントだって羽織っている。温かいこの地域にしては、十分に着込んでいるほうだ。というか、この街でこんなに暑そうな格好をしていたら、変わり者の烙印を押されたっておかしくない。空を見れば雲はほとんどなく、きれいな朝焼けが見える。そもそも、この街において肌寒さを感じることなんて、めったにない。街全体を包む空気が、どこかいつもと違う……。
(この後どうしよう。こんな朝早くじゃ店もやってないし……)
朝焼けに染まる空を眺めながら、今後の予定を考える。正直なところ、外にいたところでやることはない。正直、家に帰りたい。しかし自ら飛び出した手前、帰りづらい。帰ったところで、間違いなくサーニャに、からかわれるだろう。それは絶対にイヤだった。
「まったく。なんで俺がこんな目に……」
ぶつくさ愚痴りながら大通りに出た瞬間、ゼロは、なにかに足元を取られた。考え事に夢中で、完全に油断していた。世界がひっくり返る。
「ぶべっ!」
へんてこな態勢で地面と激突。肉体ダメージは無いものの、精神に、ほんのり効く。サーニャから受けた仕打ちといい、今日は朝からとことんツイてない。
「なんだあ……?」
自らを転ばせたハタ迷惑な相手を確認するため、ゼロは、うつ伏せのまま足元に顔を向ける。そこには、10歳くらいの小さな女の子が、うつ伏せで倒れていた。どうやらこの子に、つまづいたらしい。
「子供……?」
少女の髪は金色で、肩くらいまでの長さのボブヘアー。半そで半ズボンの旅人の服を着ている。丈夫な布地で仕立てられていて、長旅をする者が好んで着る服だ。そして、少女の背中には、ひときわ目を引く大きな杖。杖は少女の背丈ほどもあり、小柄な彼女には明らかに不釣り合いなサイズだ。
見覚えのない子だった。服装からして、たぶん旅人。そこまでは察しがつくものの、なぜこんな場所に倒れているのかまでは見当もつかない。
倒れている女の子に歩み寄る。
「ねえ、大丈夫?」
返事がない。
「おーい、こんなところで寝てるとカゼひくよー?」
再び声をかける。やはり返事がない。それどころか女の子は倒れたまま微動だにしない。その肌は病的に白く、血の気がまるでない。何度も呼びかける。反応なし。何かがおかしい。いや、何がおかしいかに本当は気づいている。だけど信じたくなかった。まさかそんなことが自分の身の回りで起こるわけがない。そんなことはフィクションの世界の話。まさか自分の身に降りかかってくるわけがない。脳が現実を受け入れることを拒否してくる。だけどいくら現実から目を背けたところで、それはまぎれもない事実。耐えがたい現実。ゼロはついにその言葉を口にした。
「し、死んでる……」
なぜこんなところに子供の死体が。
なぜこんな朝っぱらから。
なぜよりにもよって、自宅の近くで。
昨日この道を通った時には、少女はいなかったはず。となれば、この子がここに倒れたのは、ゼロが帰宅した後ということになる。
――いや、本当に倒れたのか?
嫌な想像が頭をもたげる。そんなことは本当は考えたくない。今すぐに自分の頭の中から追い出してしまいたい。でもそんなことをしても、現実は何も変わらない。だけどそんなことを信じたくない。その考えを否定するために、もう一度考えてみる。だけどやはり無理だ。考えは変わらない。変えることができない。いくら考えても、その可能性を否定できない。
――少女は“誰かに放置された”のでは?
それはつまり……。……。その先を考えることを脳が拒絶する。その先の言葉を紡ぎたくない。嫌だ。今すぐに、この場から逃げ出したい。だけど……もしも……。もしもこの少女が“自分でここまでやってきたのではない”のなら。それが示す答えは一つしかない。それは――。
――少女は誰かに殺されてここに放置された。
……いや。まだそうと決まったわけではない。事故の可能性だってあるのだ。
あたりには争ったような形跡はない。
じゃあ事件ではない? いや、わからない。ここではないどこかで事件に巻き込まれた後に、ここまで運ばれて放置されたのかもしれない。情報が足りない。思考をめぐらせるためのパーツがあまりにも不足している。目の前の事実だけでは答えを導くことができない。
わからない。わけがわからない。わからないことだらけだ。
しかし自分の生活圏で人が死んでいる。それだけは動かしようのない事実。耐えがたい現実。目の覚めた悪夢。
ゼロの視界が揺らぐ。唐突に日常が崩れ去り、急激に現実感が失われていく。




