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エピローグ 海と空と私とカモメ

 私の名前はメフィウス・ソーリア。先代法皇の一人娘として、大切に育てられてきました。そして、生まれたときからずっと、私は神の子なんだと言われてきました。しかし、その神になるためには、必ず男性でなければいけないと言います。私は自分の性を隠し、姿もほとんど見せる事無く、言葉を交わす事さえ限られた者達だけと決められて、籠の中の小鳥のように生きてきました。

 綺麗で広いお城の中で、神学の勉強をする時以外は、ただ出窓に肘を突いて、ぼんやりと外を眺めるだけ。遠いどこかで、私の国と、もう一つ大きな国があって、そこと戦争しているとある日言われました。

 戦争とは何か。教えられはしたものの、世間知らずの私には分かりません。いえ、戦争以外にも、分からないことがたくさんあり過ぎて、私は誰かとそんな事を、色んな事を語りたかったんです。だからある日、風船に手紙を着けて飛ばしました。

 風船は鳥のように飛んで行くけれど、私が飼っている伝書鳩と違って、どこに行くかわかりません。ある日、錬金術を研究しているネイが尋ねてきた時に、私にプレゼントだと言って、これで文通でもしてみるといいと言って、その風船をくれたのです。

 そして、私は敵対する国、エフェスの最長老であるロラン・スタントに出会いました。伝書鳩でやり取りする手紙を通じて、ロランは私が知らないことを、たくさん教えてくれました。敵国の人と話している事も、宰相のヨシュアは何も言わず、黙って見過ごしてくれました。

 そして、エフェスの神殿で彼と初めて会った時、素敵な人だと思ったことは今も忘れません。どきどきする私の手を引いて、神殿の中で君が好きだと言われたときに、私も小さくうなずいて、たったそれだけの事だったのに、戦争が中断されました。誰かを好きになるのって、みんなが優しくなれること。そんな気がして、私は少し嬉しくなりました。

 けれども、それから水不足が起こり、ダム建設が持ち上がり、ヨシュアが亡くなり、私とロランは会えなくなって、涙に暮れる日々が続きました。

 鳥のようになりたい。鳥になって、あの人に会いに行きたい。せめて許される、この手紙のやり取りの中で、彼も同じだと言ってくれました。まるで物語のような悲恋。本当の恋はこれほど辛いなんて、本にはどこにも書いていなかったのに。

 けれどもその後、辛かった日々はいつしか終わりを告げました。ヨシュア様の忘れ形見と言われたエンド・ガーウィンさんと、その従者のカル・サルードさんの活躍のおかげで、今、私の隣にはロランがいます。優しく微笑み掛けてくれるのです。

 もう同じ過ちは繰り返さない。同じ悲しみを誰かに味わわせてはならない。信じる神が違っても、肌や髪の色が違っても、違うということを認め合える。そんな国に私はしたい。

 理想主義だとあの人は笑いました。けれど、その後で少しだけ苦笑しながら言ったんです。

「法皇は、理想を語るのが仕事です。私は、現実を見るのが仕事ですけどね」

 だから、私はこれからも理想を語っていきます。理想の国を作っていこうと思います。そのための宰相はもちろん――



 マーシャ共和国、五三番街、ランベルストリート五番地に、真新しいパン屋の看板が掛かっている。その名も『アレサのおいしい手作りパンの店』。

 手元に残ったわずかのお金で、アレサ様が店を借り、自分の手で小麦粉をこねて、石釜で焼いているのです。焼きたてのほかほかを食べると、幸せの味がします。

 大して儲からないけれど、本当は一番やりたかったことなんだと、アレサ様は少し照れながら私に言いました。

 自分に嘘を吐いたり、誰かに嘘を吐いたり、大人というのはとても大変です。そして、いつしか嘘が本当のような気がして、それは嘘ではなくなるのです。でも、ある日何かのきっかけがあると、不意にそれを思い出して、嘘が吐けなくなってしまうんです。

「パンはいりませんか。おいしいパンです」

「頑張ってるねえニナちゃん。アレサのダンナは元気かい?」

「はい。今度はエフェス原産の、ナッツを使ったおいしいパンを作ると張り切ってます」

「後はニナちゃん、もうちょっと愛想良くパンを売れたらいいんだけどねえ」

 おじさんの批評はとても辛い。でも、私は愛想良くするというのが、今もできないでいる。

 精一杯頑張ってるつもりなんだけど、アレサ様の足を引っ張っているようで、とても悲しい。

「おっと、ご、ごめんよ! おじさん言い過ぎちゃったな! もう一個パンをもらうよ!」

「ありがとうございます」

「いい笑顔だ! ニナちゃん、それ! それだよ!」

「こ、これですか?」

「そうそう、がんばりなよ!」

「はい!」

 頑張って声を張り上げて、みんなに聞こえるように言う。

 私はアレサ様のパン屋の看板娘。眼帯が一応のおしゃれポイント。今日も一生懸命売るよ。

「ニナ、バゲットが焼き上がったぞ。店頭に並べてくれ」

「はーい。皆さん、ただ今バゲットが焼き上がりました。いかがですかー」

 アレサ様、本当に嬉しそう。あんな笑顔にできる、アレサ様のパンには不思議な力がきっとある。食べればみんな、アレサ様みたいに笑えるようになるよ。

 皆さん、お一ついかがですか?



 吹き抜ける潮風が鼻をくすぐり、私は甲板で空を見上げて寝そべっている。

 海は広い、めっちゃくちゃ広い。想像してるより百倍も千倍も広過ぎて、私は思わず、笑い出しそうになってしまった。

「エンドさん、甲板がやけにお気に入りですね」

「だーって、船室なんかにいても面白くないし。ほら、横を向いたら水平線を挟んで、空と海の両方の青が見えて、何かもう、無駄に気分がたかぶっちゃうし!」

 困ったような笑いを浮かべて、私の隣に座るカル。でも、今はその手に銃は無い。

「ねえ、後悔はしてない?」

「するなら、今ここに居ませんよ」

「そうだよねー」

 ほんの少し前まで、私はエフェスとラシケントという二つの国に跨って、戦争のまっただ中にいた。どちらの国にも良い面があり、悪い面がある。どちらの国もある種の神を信じていて、その神を唯一無二と思っている。私は元宰相だった父の名声を汚さぬように、国を乱さぬようにと、ただ必死になって生きてきた。

 無責任と言われたくない。ただそれだけ。誇りだとか何だとか、難しい事はよく分からない。でも、責任というのは重くて、二度と背負いたいとは思わない。

 どこそこの大使だとか、どこそこの副官だとか、もうまっぴらごめん。

 私は自由に生きるのよ。そう、あの空を舞うカモメのように。

「本来なら、エンドさんがラシケントの宰相に相応しかったんですけどねえ」

「それ、言いっこ無し! 私はただの国をかき回しただけの迷惑女! だから、責任を取ってこのように、国外追放となってしまったのよ! ああ、なんてかわいそうな私!」

「無理矢理に変な罪に問わせて、メフィウス法皇に有罪って言わせたのに……」

「いーのよ! だってさ、こうやって君と一緒に肩を並べて、海が見れるんだから。もし私があのまま宰相になっていたら、いつになったらこんな小さな夢が、実現できたか分からないんだもの。だからね、私は今とても幸せなの。そして、私が幸せにここでこうしていられるのは、君のおかげなんだから! 大感謝!」

「主人を罪人として国外追放させて、感謝って言われてもなあ……」

「主人じゃないって、何度言わせたら分かるのかな君は?」

「ああ、ごめんなさい」

「謝っただけじゃ許せないなあ。そう、例えば私にキ―」

 と、あまりにも気分が高ぶっていたせいで、危うく取り返しがつかない事を言いそうになってしまった。ギリギリで今のは無しだよね?

「キ?」

「キリンさんを見に行きたいなあとか……」

「言葉の繋がりがおかしいですよ、エンドさん」

「あーもーっ、いいのいいの! カルのバカっ!」

「はいはい、どうせ僕はバカですよ」

 その時、おでこにカルの顔が近付いて、柔らかい感触が触れた。

 えーっと、何だっけ、そのー、んー。

 いかん、熱が上がってきた。

「あれ、ちょっとエンドさん? 倒れちゃ駄目ですよ!」

「君はいつもいつも……もういいよ……あはは……」

 最高だよカル。君がナンバーワン。

 これからどこに行こうかな。

 君と一緒ならどこにでも行ける。

 新しい大陸でも発見する?

 それとも未踏のジャングルに挑む?

 これから、私達は始まるんだからねっ!


(了)

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