第20話 ナショナル・ビジネス
エフェスを出て、再びブルーノに戻る。ダムの建設は後もう少しというところで止められ、川の流れはかろうじて、まだその豊かな水をエフェスに向かって運んでいく。
がれきまみれになった城の中で休息を取るエフェス軍と、私とカルを筆頭にしたラシケント銃兵達。次の目標はラシケントの首都シエナだ。
ラシケントは規模として、エフェスよりは確かに小さい。無敵と呼ばれたブルーノ城塞を除けば、それほど攻略が難しいような拠点は無いし、首都までの道のりも極めて平坦で、何の危険も苦労も無いだろう。だが、エフェスと違うのは、宰相のルアドを筆頭とした官僚のほぼ全員が、私達を敵と見なしているだろうという事だ。
彼らの抱えるそれぞれの軍が、全て束になって私達を襲ってくる。もちろんエフェスからも大量の援軍を受けているため、勝利はほぼ間違いないだろう。けれど、その被害はおそらく、かつてない規模になるだろう。銃兵の数はこちらよりも多く、こちらは兵達の移動に伴う疲労もある。なにより、ラシケントを守るためという、意味の分からない戦争に、あまり説明もされないまま、最長老の命令として駆り出されているのだ。彼らの士気が下がる事も、致し方ないことだ。
「お、フーくんじゃないか。なんでこんな所に?」
考え事をしていて、ふと顔を上げた先に、見慣れた伝書鳩が目に付く。どうやら、何かの書簡を持ってきたらしい。おそらくはブルーノが平和だった時代の、定時連絡か仕事のやり取りだろう。とりあえず確認して、つまらないものなら捨てておこう。そしてお前は自由だ。もう、人間の世話にならずに、そこの森で自由に暮らせばいい。
「えーっと、あれ、私宛だね。差出人は、アレサ・ウィルト……」
きょろきょろと辺りを確認して、隠すように書面を読む。
彼はどうやら、取引を望んでいる。自分の命を保護してくれるなら、あなたの身の潔白を証明し、戦争を回避するべく、私が献金していたラシケント官僚、全員の名を証言しようと。
さーてどうしたものか。あんなクソ狸野郎を信じる? いやいや、頭の悪い私が勝手に判断しちゃいけない。誰かに相談しよう。うん。
「何してるんですか、エンドさん?」
「うおっ! カル……じゃない、最長老!」
「ロランでいいですよ。私の方が年下ですから」
「ななな、何でもないけど何でもあるんですよ!」
「慌てて、どうかしましたか?」
うーむ。どっちにしても彼が最高責任者だし、相談した方がいいよね。ちょうどいい機会でもあるし。
「これ、見てもらえますか?」
「アレサ・ウィルトからの取引ですか」
「自分の命を保護する事を条件に、ラシケントの汚職官僚を全員告発するって言ってますけど、信じて良いのか悪いのか、悩んでまして」
「じゃあ、私が代わりに返事を書いても良いですか?」
「いいですけど……どうするんです?」
ロランは隣に座ると、手にしていた鞄から、羊皮紙、それにインク壺と、羽ペンを取り出す。そして、さらさらといきなり条件を書き始めた。
「宰相ルアドの首に……ダムの破壊費用の負担と、ダム建設に関わった費用の放棄を追加……
あのー、ロランさん。ダムの建設に掛かった費用って、マーシャ金貨三百万枚ですよ?」
「ええ、そうですね」
「あの欲の権化が、そんな法外な要求に応じると思いますか? おまけにルアドの首も持ってこいとか、余分なのも付いてますし」
「この戦争、裏切り者達が負けるのは既に分かり切っていますから。そうなれば、彼自身も自分の首が切り落とされる事も承知でしょう。それならば、その首を繋げるために、マーシャ金貨三百万枚なら安いと思いませんか? ルアドの首はその利子です」
この少年、無邪気な笑顔でさらっとえぐい事を言ってのける。だが、交渉ごとというのは少しくらい無理、無茶を吹っ掛けてちょうどだとは、生前の父も言っていた。どうせなら、これくらい要求しても、問題は無いかも知れない。
そもそも商人のアレサでは、常に銃兵の護衛が数名付いているルアドと戦うなど、およそ無理な事だ。早い話が、うまくいけば「もうけもの」という程度の交渉なのだ。
「良いかも知れないですね、それ!」
「でしょう? じゃあ、この伝書鳩さんに運ばせればいいのかな?」
「はい、くくっちゃって下さい」
「よしよし、いい子だね。それじゃ、届けておくれ」
慣れた手つきで、フーくんの足に書簡を着けると、彼は蒼穹に向かって吸い込まれていった。
後は返事を待つだけだ。
「アレサが、頑張ってくれるといいんですけどね」
「無理でしょう」
乾いた笑いを交わすと、お互いの陣地へと戻っていく。ただ、フーくんからアレサの返事を一応待つために、一日だけ余分に滞在する事にした。
気休めでも、外交らしい事をしたなあと思うと少しだけ気分がいい。
今夜は良い夢が見られるかも。
*
その日の夕暮れ、窓枠の所に昨日放った伝書鳩が戻ってきているのを、ニナが発見した。思ったよりも早く戻ってきたことに、正直戸惑いと喜びが混ざり合い、何とも言いようが無い気分になる。
あのお人好し女のエンド・ガーウィンなら、この条件でも飲んでくれるかもと思っていたが、ああ待て、お断りだという返事かも知れない。答えは中身を見るまで分からない。
「アレサ様、伝書鳩が書簡を着けています」
「分かった。読んでくれ」
「返事を寄越したのはエフェス最長老のロラン・スタントです」
その名前に、ぴくりと眉が釣り上がる。なぜロランが? 私が手紙を出したのはラシケントの元大使、エンド・ガーウィン宛のはず。
「アレサ・ウィルト及びその従者、ニナ・エルウェイの身柄を保護する条件として、ダムの破壊に関わる費用の全額負担、ダム建設に関わる費用、マーシャ金貨三百万枚の債権放棄、そして宰相ルアドの首を持ってブルーノの我が陣まで来られたし。さすればその条件を認めよう。
このように書かれております」
「最長老め……吹っ掛けたな……」
「いかがいたしますか。無視して戦争に突入しますか。それとも、要求を呑みますか」
「ニナ、私がダムの債権を放棄し、解体費用を負担すれば、ほぼ無一文になってしまう。お前に払える給金は、どちらにしてももう無い。だが、死ぬよりはマシだ。
この条件を全て問題なく遂行が出来たなら、お前には別の商人を紹介してやる。私が紹介状を書くし、元は私の従者だと言えば、喜んでお前を雇ってくれるはずだ。だから、その間だけは私の従者として、この最後の仕事を手伝ってくれ」
「嫌です」
ふむ、今さらになって理性が芽生えたか。しかし、それも仕方のないことだ。
私は今できる、精一杯の作り笑顔でニナに答える。
「分かった。ならば、今私の手元には金貨が三八枚ある。これを持って逃げろ」
「嫌です」
「足りないか? だが、私が渡せるものはこれ以上無いんだ。武器ならもちろん、この小型銃を持っていけばいい。お前は使い方を熟知しているはずだ」
「アレサ様は、私がお嫌いですか?」
この娘は、人の話を聞いていないのだろうか。まあいい。疲れていて、考えが整理できていないのだろう。
「嫌いだったら、命の次に大切な金貨をくれてやるなど、言うはずがないだろう」
「でしたら、お給金はもう一度アレサ様が商人として成功されてからで結構です。私をこれからも従者として、おそばで使ってくださるなら、私はこの契約を遂行するための、お手伝いを致しましょう」
「えーっと、ニナ、お前は今、とても馬鹿げたことを言っているんだ。ただ働きなど、奴隷がすることだ。お前はそうじゃない。お前は優秀だ。私が認める」
「馬鹿げていて結構ですから、おそばにいては、いけませんか?」
「いや、いけないってことはないが……」
「私は……アレサ様のそばにいたいです……」
こんな時、どうすればいいのだろう。彼女を大切にしてやりたい、そんな思いがあるはずなのに、やり方が分からない。
涙ぐむニナ。愛しいニナ。愛しい? そんな言葉が私の中から出てきたのか?
分からないな。さっぱり分からない。だが、少しだけやるべきことが理解できた。
ひざまずいて、抱きしめる。小さな頭を撫でてやる。それでいい。多分、正解だ。なぜなら私も今、とてもそうしたい気持ちでいっぱいだからだ。
「アレサ様、ありがとうございます……」
「お前は本当にバカな娘だよ。世界一のバカだ。私が教育してやらなければならない」
「してください。これからもたくさん、私に教えてください」
「ああ、そうするためにも、今からちょっとした仕事がある。もちろん、手伝ってくれるな」
「はい」
すっと体を離し、テーブルから真新しい小型拳銃を取ると、弾を詰めて、重さを確かめる。
そうだ、それでいい。お前にこそそれは相応しい。
私のために働いてくれ。
私のために戦ってくれ。
そして、もう一度私達の家に帰ろう――




