第19話 黄昏ロシアンルーレット
エフェス国、首都デトラ。
その日の夜遅くまで戦いは続き、時には町に炸裂弾の音が響き渡った。最長老派と、マーシャの献金に関する追求を恐れた反最長老派。元々過半数を超える長老達が、反最長老派として戦いに挑んでいた事もあって、特に町は構造がややこしく、至る所で小競り合いが頻発し、お互いに大規模な戦いに発展しなかった事も、戦禍が長引いた原因となった。
とは言え、その日のうちに終息宣言を出せた事は、何にも代え難い喜びとして、エフェスの新たな記念日、第二独立記念日として、その日は祝日とする事が最長老権限で決定された。
ささやかながらも宴席が開かれ、私もカルも、そして引き連れていた三百の銃兵達も、酒を飲み、肉や川魚、そして果物を食べて戦争の疲れを癒した。だが、私の心には幾ばくかのしこりが残っている。仮にも元は大使として、外交業務を取り仕切っていたこの私が、ほぼ力だけで全てをねじ伏せ、こうして平和を享受している。いや、明確にはまだ平和は半分しか達成されていないが、これで良かったのだろうか。そんな疑問が不意に湧く。
話し合い、友愛、それはとても素晴らしいものだ。だが、それで解決をできないから、人は争い、血と涙を流し合う。そして、血と涙を流し合う時、そこには必ず理由が存在する。
アレサにとって、そこまでして儲けたい金とは何なのだろう。一生使い切れない程の金を手に入れてなお、まだ求めねばならない理由。私には分からない。
「エンドさん、なんでそんなに悲しそうな顔をしていらっしゃるんですか?」
「カル、いたんだ。別に悲しいってわけじゃないけれど、アレサ・ウィルトはなぜ、そこまでして戦争を起こし、そこから金を吸い上げたがるのかなあって」
「なんだ、そんなことですか」
「え、カルは分かるの?」
「金を儲けたい。たくさん金を手に入れたい。ただそれだけでしょう」
「それ、答えになってない……」
不満そうな私のほっぺをつまんで、カルはそれをぐにぐにとする。
「はひをふふほはー」
「十分答えになってますよ。僕は今、エンドさんのほっぺをつまんでぐにぐにしたいと思ったから、しただけ。金を儲けたい。たくさん手に入れたいから、そうしただけ。
人が何かをするのに、難しい理由や理屈って、あまり要らないんですよ。誰かを助けるのも、優しくするのも、傷付けるのも、殺すのも、案外そんなものなんです」
「世の中の人がまるでバカみたいな言い方だね」
「ええ、たいていの人がバカですよ。僕もエンドさんも、ロラン様もバドル様も。亡くなったネイ様や、ヨシュア様も、ね」
「ふーん……分かったけど、やっぱりよく分かんないや。私、バカだからさ」
「そうでしょう。僕もバカなので、分かったけど、よく分からないんです」
言い合って、お互いに笑い合う。
深く考えるべき時もあるけど、案外そうかも知れない。
何でもかんでも理由があるように見えて、そこに理由はない。なぜ砂漠が暑いのか。なぜ川の水は流れるのか。なぜ日は昇り暮れるのか。自然現象として説明はいつの日かできるかも知れないけれど、そこに理由なんてありはしない。
ただ、時々バカなりに考える。考えて悩むから、人は人の気がする。
こうやって戦争が起こるまでは、そんな事に考えすら及ばなかった。そう思うと、やっぱりこういう事でもないと考えないから、私はバカなんだなあと、改めて、重ねて思う。
「理由はなくても酒は旨いね」
「ええ、理由は無くてもほら、星空は綺麗でしょう」
「デトラではよく、屋根に上がって一緒に酒を酌み交わしながら、星を眺めた事もあったね」
「そして酔っぱらったエンドさんが暴れて落ちそうになるのを、僕は一生懸命止めたんです」
「あれ……そうだっけ……?」
「そうですよ」
ロマンもクソもないな私! やばい、まだ若いつもりなんだけど、自重しなきゃ。
「でも、エンドさんは僕の前でしかそんな姿は見せませんから。公の場では、どれほど酒を飲んでも、顔色一つ変えない。だから僕は、嬉しかったんです。僕にだけ見せてくれる、自然なエンドさんがいるんだなあって」
「ほほう。何か嬉しい事言ってくれるじゃないか。まあ飲もうよ、うん」
「エンドさん、もう飲み過ぎですか? 顔が真っ赤ですが」
「ちょっとね! 飲み過ぎたの! うん! 寝るよ! おやすみ!」
「おやすみなさい」
やれやれ、私のいくじなし。こんなにいい雰囲気で、何もせずに逃げ出しちゃうなんて!
でも、平和になればまた、もう一度こんな夜もやってくる。その時は、今度こそ、次があるなんて思わずに、素直になれたらいいな―
*
ハルマキと名乗る、あの大砲を作った東洋の錬丹術師の少女の力を借りて、私とニナは、まさに命からがらといった状態で、着の身着のままにデトラを逃げ出す事に成功した。
最長老派と、私が献金していた長老衆達の派閥との間の争いは、ついに武力衝突へと発展し、もはやどちらかが完全に駆逐されるまで戦い合う、ゼロサムゲームの様相を呈していた。
もちろん勝てば何ら問題は無く、むしろエフェスという巨大国家の全てを掴む事もできる、最大の機会だったのだが、途中で最長老達と、おまけに銃で武装した兵達が突入してきたらしく、拮抗していた戦局は、一気に天秤が悪い方に傾いてしまった。
慣れない乗り物はあまり使いたくなかった上に、いざというときの為に手元に残しておいた金貨二千枚のうち、千枚を寄越せとまで言われて、まったく痛しかゆしだ。だが、そのおかげでニナと私はこうして、ラシケントの宮廷内接客室を使って、広々としたベッドの上で眠る事ができる。
―だが、それもいつまで続くか分からない。この様子では、ほぼ一〇〇%エフェスは陥落した事だろう。遠からず、エフェス軍と手を組んだエンド・ガーウィン達の軍は、この宮廷にまで押し寄せてくるに違いない。その際にはどうするべきか。
隣では、ニナが小さな寝息を立てている。自分はともかく、この幼い従者に罪は無い。今まではたぶん、人よりも楽しく生きて来れたと思っている。金貨にまみれ、金貨を増やし、金貨の中に息絶える。そんな事を夢見てきた。それはマーシャのためでもあり、私のためでもある。そう思っていたが、そろそろ潮時かも知れない。
「起きていらっしゃったのですか」
「ニナ、どうしたんだ急に。お手洗いなら出て右の奥、突き当たりのドアの部屋だぞ」
「アレサ様が心配そうにされていたので、少々気になりました」
「気持ちは嬉しいが、眠らないと体に毒だぞ」
「それはアレサ様も同じです」
じっと、片方しかない目で、私の全てを知りたいとでも言うように、瞳の奥を覗いてくる。
この娘には今まで嘘を吐いた事が無い。だが、私の中で今、彼女に一つの嘘を吐かねばならない気がしている。
「不安なのでしょう。エンド・ガーウィンと最長老のロランの連合軍が、このシエナまで攻め上ってくる事が」
「そうだな、とても不安だ。銃兵はこちらの方が多いかも知れない。だが、彼らは既に大砲を手に入れている。それを戦線に投入されれば、このシエナ宮殿そのものが破壊され、見るも無惨な姿となった後に、私達は全ての罪を着せられたまま、殺されてしまう事だろう」
「それはとても、悲しいですね」
「ああ、悲しい。しかし、時にはどれほど非情で冷酷な現実と言えど、受け止めねばならない時がある。私の命運も尽きたのかも知れない」
「アレサ様」
「何だ」
「私の知るアレサ様は、そんな上品な事を口にしません」
「おいおい、いきなりひどい事を言うね、ニナ。私はそんなに下品か?」
ニナは少しだけうつむき、何かを決意したようにこちらを見る。
「アレサ様は、もっと貪欲で下品な生き方をしています。こんな状況で、いきなり泣き言を吐くような人々を、普段のアレサ様は鼻で笑っておられました」
「ではニナ、普段の私ならこの後どんな風に事を運ぶだろうか」
「アレサ様は商人です。そうであれば、取引で解決をなさるでしょう」
「なるほど、取引か」
「はい。取引です」
その言葉に、私の中では一つの答えが導き出される。だが、その為に必要なのはニナ自身だ。彼女こそが必要であり、絶対に裏切らないという前提が必要となる。私は今一度自分に問う。この娘を、ニナ・エルウェイを信じることができるか?
「アレサ様は、私が信じられないと思っておられませんか?」
「何でもお見通しというわけか。さすがは私が認めた従者だ」
「信じられないとおっしゃるなら、今すぐこの場で、私を殺して下さっても結構です」
「ふむ……」
「或いは、残されたもう片方の目玉を抉り取られても良いでしょう。もしくは腕を切り落とす、足を切り落とす、お好きになさって下さい」
「分かった」
私はそう言って、できるだけ感情を含まない顔を作りながら、持ってきた荷物に入っていた、最新式の小型銃を取り出す。そして、銃口をニナの額に当てた。
「この銃には、全部で六発の弾が装填できる。だが、私はこの中に一発しか弾を入れていない。つまり、六分の一の確率で、お前は死ぬ」
「そうですね」
「私は今から五回この引き金を引く。その間に、怖くなったら逃げ出すがいい」
「かしこまりました」
カチリ、一発目は空だ。弾は入っていない。ニナは目を開けたまま、私の目を見つめている。
カチリ、二発目も空だ。時折瞬きはするが、ニナは目を逸らそうとはしない。
カチリ、三発目も空だった。ニナの態度は変わらないが、確率としては危なくなってきた。
そこで私は深呼吸をして、一気に四度引き金を引く。
カチリ、カチリ。
「なぜ逃げない……?」
「一度死んだも同然だった私の命は、アレサ様に預けたからです」
「では、私に殺されても問題は無い。そう思っているんだな?」
「はい」
「それじゃあ、さよならだ、ニナ」
カチリ
しばらく、時計の針の音だけがうるさく響く部屋の中で、私達は人形のように見つめ合っていた。数分間もそのままだっただろうか。やがて、私の方が口を開いた。
「お前はバカな女だな」
「バカがお嫌いであれば、いつでもおっしゃってください」
「いや、嫌いじゃないぞ。そういうバカな女は」
「ありがとうございます」
「エンドに手紙を出してみよう。届くかどうかは分からないがな」
その言葉を聞いた瞬間、いつも無表情なニナが、かすかに笑った。
私のたくらみに気付いたのか、それとも何かが嬉しかったのか。だが、いずれにしても悪い気はしない。
ニナだけは、信頼できる相手だと思えた。
だから、取引をしよう。
返事を待っているよ。エンド・ガーウィン。




